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新共同訳聖書について

ぼくは、最近聖書を読みたいと思うようになりました。 なので、初心者で何も知りません。 しかし、いろいろと調べた結果、新共同訳の聖書にすることにしました。 そこで質問です。 買おうとは思っても、この聖書が初心者に向いているかどうかが不安です。 初心者でも大丈夫かを教えてください。 また、この本が初心者向き出ないとしたら、どの聖書がオススメですか? また、あなたはどの聖書を使っていますか?

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  • kigurumi
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回答No.1

共同訳版ができた背景には、キリスト教といってもおくつも派閥があり、それぞれの派閥が独自の聖書を作って用いているのですが、それぞれが使う箇所や翻訳の仕方や解釈の仕方がまちまちで、それゆえに共通認識というものが持てず、「自分たちの聖書こそただしい、他の聖書は間違い」「自分たちの解釈こそ正しい、他の解釈は間違い」といがみあっていたんです。 そかし 同じ神をあがめながら、いがみあうというもはいかがなものかとなり、それぞれの代表が集まり共通の聖書というものを新たに作りましょう ということになり、できたのが共同訳。 いままでは堅苦しく古臭い言葉を使っていたため、意味不明な内容になっており、それで読んでも理解できない というおことになっていたとして、平易な表現を用いたんです。 ところが、平易は表現を用いたら、神の権威が表現できなくなり、聖書の重々しさが無くなってしまったんです。 また、今では差別とされる言葉も使われていたので、そこらを改善するとして作られたのが新共同訳聖書。 「見て 女が子供を産んだよ」と訳すると、どういう意味かわかりますが、なんか 慣れなれしすぎますよね。 「見よ 女が子供を産まん」とすると、産まん が産んだか産まなかったのか読んだ人もピンとこない。 それですばらしいことだと訴えつつ、産んだということを伝えるには、どういう表現を使えばいいかとか、そういうことを うんたら かんたら と考えて、なるだけ読んでも書かれている意味30%くらいは理解できるまでにし、かといって神の権威が失われないように考えて作り直されたんです。 昔の聖書は読んでも何が書かれているかわかる人は、ほとんどいなかったそうです。 文字が読めないとかそういう問題ではなく、言語能力のあまり高くない人が翻訳していたんじゃないかと。 それでできたのがギリシャ語なのかどうかわかりませんが、それを日本語訳にさらに翻訳して日本でも売られているわけです。 しかし、新共同訳を作るのは作ったが、それぞれの派閥は自分たちで作った聖書を相変わらず使っている、、というのが実情。 だから共通の聖書はあるが、それを持って他の派閥の礼拝に参加しても、「何ページ」と言われても違っており、やっと自分の聖書だとここだと開いても、他の人たちが読み上げる内容と、自分が持っている聖書に書かれている内容は違うので、結局 そこで使っている聖書を借りて礼拝に参加するしかないわけです。 また、ローマ・カトリックは解釈がひとつですが、プロテスタントとなると、牧師の説教を聞けばわかるのですが、牧師の数だけ解釈が違う。 逆に言うと、プロテスタントは、どう解釈しようと自由ってことです。 牧師の解釈は間違えている と言ってもいいわけです。 ローマ・カトリックは絶対にそれは無い。 上が解釈した内容が唯一正しいと、全信者に言うので末端の信者にいたるまで、解釈はひとつ。 ところが、それでも実は「これどういう意味ですか?」と信者が神父(ローマカトリックは神父、プロテスタントは牧師と呼ばれる)に聞いても、「聖書を何度も読んでいれば、おのずと神様が教えてくださる もっと読みなさい」と、曖昧にしか返答してくれない。 その意味は「俺もわからん。読み方が足らんのか今もってわからん」ってことなわけです。笑 で、結局 読めば半数の人は何が書かれているのか理解できる聖書というものは、この世に存在しないんです。 もともと シュメール・アッカド人が作った神話が、語り継がれユダヤ人と呼ばれることになる人々に伝わったわけですが、口伝で内容が、神をヤハウエイとする派閥と、エロヒムとする派閥でも、解釈が違い、同じことを語っているはずなのに、表現が違っていたんです。 旧約聖書と呼ばれるものが聖典化したのが、1世紀で、たくさんある書物の中から、どれを聖典に入れるかとなり、誰もどれが正しいのかわからず、「まあ これはこの文章が正しいのではないか」と思ったものを聖典の中に入れていったのだそうです。 ところが、それぞれを入れた時点では気付かなかったが、トータル的に読むと、矛盾がいっぱいあり、その矛盾をはらんだままのものが聖典となってしまったので、後の人も 「矛盾があるようだけど、正しいと言っているのだから自分が矛盾していると思うほうが間違いで、読み方が足らないせいで、理解できていないんだろう」と自分のせいだと思って過ごしていたわけです。 で、さらに新約聖書となると、エジプトのホルス神話、ギリシャのプラトンの思想とか柱となってしまったので、神話の内容は現実不可能なことも書いてあるのですが、それを現実起こったとして新約聖書を作ってしまったので、、、、 例えばハリー・ポッターは人間が作った創作の物語の中にのみ登場しますよね。 1000年後、ハリーポッターの本が出てきて、1000年前は魔法使いが実在していたんだ と人々が思えば、「ハリー・ポッターは実在の人物で、我々も修行すれば、彼のように魔法を使えるようになる」ってなったとしても、我々は1000年後生きていませんので、「それは架空の人物です。いくらやっても魔法使いにはなれませんよ」って言えないので、1000年後の人の誤解を解くことはできませんよね。 ですが、エンターテイメント作品としてなら、娯楽として十分楽しめる。 http://www.youtube.com/watch?v=-_eLaY-fQgE 聖書は分厚いので全部読むにはものすごく時間がかかりますが、上の動画がおおよそのメインを説明しています。 よろしかったら、どういう内容か、キリスト教は誰にとってどう都合が良かったか、どうハリー・ポッター神話 じゃなくてホルス神話は悪用されてきたのかを考えてみたほうが時間を無駄にしなくて済むと思います。

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