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回答No.3

今回、東日本で大きな地震と津波があり、災害の死を意識されたのかもしれませんね。 私自身、危険作業に従事している者であり、災害による死傷にさらされる危険は自他ともにあります(実際、多くの人間を見送りました)。 さてどうすれば、質問されたあなたのような人生が全うできるのか? これは永遠の課題です。また、別の角度から見て頂きたいと思うのです。災害による死亡は、最悪の死なのか? 例えば殺害による死も、三大成人病による死も同じだとは思われませんか。 愛する人の死は、本当に辛いです。 でも、避けられないこともあります。 むしろ直面したときに人として試されるのは、こういった苦しみや悲しみを乗り越える「力」だと思うのです。 また同時に、この力を養うための技術やノウハウは存在しません。 学生さんであればついつい、受験勉強のように準備できるものと思うのかもしれません。また、準備不足の人が怠け者だと見えるのかもしれません。 社会に営み、数多くの後輩を育て、私自身「死」の恐怖に直面した者として言えるのは、死はどのような人にも「隣合わせ」だということです。 又、努力家・非努力家に関わらず、死ほど素晴らしいものもない。何故か? お互いの差がリセットされるからです。これを先回りして受け止めると、人間が謙虚になります。 仏教や神教が最も帰納的に言い表したいことは、この完全平等・公平の観念だと思うのです。 総理大臣を経験した人もホームレスも、死んだら同じです。死そのものに「差」を設けることはできません。 これが寿命というものです。 今を見つめることができるのは、人間だけだと思うのです。なので、学生という今しかできないことを、思いっきりやってください。 つまらない授業を聞くこと。これを洗練できれば、どのようなつまらない話も聞くことができるようになり職業であれば、営業職に於いては、エースになれること必定です。本を読み、考える時間は社会人には遠く及ばないほど豊かなのが学生です。このときの思考は「資産」だと断言できます。間接的に活用することが多いからです。打算的ではありますが是非、勉学を楽しめるようになってください。 そうすることが、先人たちの知恵を活かすことであり、後世に受け継ぐ「営み」だと思います。いかがでしょう?

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質問者

お礼

 そうですね。一説によると人間は自殺を除いて生まれる前から死ぬ日が決まっているそうです。つまりどのような人生になるかも大体決まっているということです。自分の大切な人が死ぬというのも生まれる前から決まっているということですね。つまり宿命というわけなのです。  災害死、事故死、殺人などはこっちからすると悲惨な死ですが、あの世界からすると寿命をまっとうしたこと、つまり修行を終えたことになっているのです。  どのようなつらいことが待っていようがそれが修行だと思えば乗り越えられるかもしれません。 回答ありがとうございました。

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