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英訳

今年はソ連崩壊20周年でもある。1991年夏の守旧派の共産党幹部によるクーデター失敗後に求心力を失ったゴルバチョフ氏は、同年12月25日に大統領を辞任、69年続いたソ連は消滅した。 「私はペレストロイカのある時期に自信過剰になった。自ら過ちを認めることは難しい。私は傲慢になりそのことで罰せられた。」ゴルバチョフ氏は最近の英インディペンデント紙とのインタビューで権力を追われた背景をこう自己分析した。 かなりの難問です。 英語が得意な方がいましたらお答え願います。

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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • sayshe
  • ベストアンサー率77% (4555/5904)
回答No.2

<訳例> This year is also the 20th anniversary of the collapse of the Soviet Union. Mr. Gorbachev, who lost centripetal force after the failure of the coup d'etat by the old-guard crony of the communist leaders in summer in 1991, resigned the presidency on December 25 of the same year, and the Soviet Union which had lasted for 69 years perished. "I became overconfident in a certain period in the perestroika. It is difficult to admit mistakes by oneself. I became arrogant, and I was punished for it." In a recent interview with the Independent of Britain, Mr. Gorbachev himself analyzed why he had been displaced from power.

nogarin
質問者

お礼

参考にさせていただきます。

nogarin
質問者

補足

ちなみにお仕事は・・・? 英語関係ですか? たとえば塾の先生だとか・・・

その他の回答 (1)

  • purunu
  • ベストアンサー率42% (518/1214)
回答No.1

This year marks the 20th anniversaly of the end of the Soviet Regime. Gorbachov lost the centripetal force, after the failed coup d'etat by the conservative communist leaders in 1991 summer, and resigned his chair as the state president in the 25th of December the same year; this lead to the annihilation of the Soviet Republic. He analyzed himself on the background of his expelled power, in the last time interview by the British paper "Independent", as follows: "I became too confident on me in a time of Perestroika (Reconstruction). It is too hard to know one's own failure. I became arrogant, and was punished by it."

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    創価学会は盗聴と工作が宗教活動になっているという学者や政治家が多いですが、 大規模盗聴事件を起こしたのは創価学会だけであり、しかも異常な行為を何度も起こしていますが、こういう宗教団体はカルトといえませんか。 反社会的な教団が政治参入していて問題ありませんか? 参考図書を挙げておきます。 共産党・宮本議長宅電話盗聴事件を検証する(第1回) ジャーナリスト 段 勲 電話盗聴――。通信の秘密、プライバシーの権利の侵害でもある。 まして被害者が公党の最高幹部なら、政治活動の自由を侵害するという憲法違反がこれに加わる。 これまでも公的機関による電話盗聴は、何件か発覚し、裁判沙汰にもなった。あるいは、仕事熱心な新聞記者による盗聴取材もあった。  しかし、平和と人権を強調し、社会の模範となるべき大宗教法人が、電話盗聴で裁判に訴えられ、しかも、その事実が認定されたケースは、わが国の歴史上で一件しかない。 創価学会である。  その創価学会の最高指導者・池田大作名誉会長は、世界諸国を歴訪し、自らの信仰を広める一方で、平和の大切さ、人権の重要性を説いて歩く。 でも、電話盗聴を行なった被害者に対 し、一言のお詫びもなければ、反省の色さえ見せることはない。  真に池田氏が、平和主義者、人権派を標榜するなら、被害者に丁重にお詫びしてこそ本物である。他国から人権賞などの勲章を貰う前に―。  だが不幸にして、これが創価学会の救い難い体質である。創価学会の行動はすべて正しい、池田先生に間違いはない、というのだ。 極端な話、いまだに学会員の間に 「電話盗聴は、反学会グループの謀略。日本共産党の作り話」 と、信じて疑わない人々も存在する。  しかし事実、創価学会の手によって、「日本共産党・宮本顕治(現・中央委員会議長)宅電話盗聴事件」が起こされた。  公党の最高幹部宅に電話盗聴機を仕掛けるなど、あまりにも大それた行動である。 それも、〝公安〟がやった、というならまだしも、歴とした宗教法人の仕業である。  いまあらためて、学会が起こした前代未聞の「電話盗聴」という事件を題材にし、信仰の美名に隠された創価学会の謀略性について検証する――。  創価学会はなぜ、「日本共産党・宮本顕治書記長(当時)宅」を電話盗聴したのか。 動機は、同会が起こした昭和四十五年前後の「言論出版妨害事件」である。 以下、まず電話盗聴に至る経過を、日を追って簡単に説明しておこう。  昭和四十四年十二月十三日、日本共産党の松本善明衆院議員が、NHKの討論会で創価学会の「言論出版妨害事件」を指摘。  同事件とは、明治大学の教授であった藤原弘達氏 (現・政治評論家)が、『創価学会を斬る』(日新報道刊)を刊行した。 当時、創価学会を表面切って批判する本は少なく、社会から注目される。その一方、これは後に発覚するが、同著の刊行に対して創価学会 は、公明党議員を使って著者に圧力。 さらに出版後も、各書店に「同本を扱わないように」等、圧力をかけていたのである。   こうした事実関係はすでに週刊誌等で報じられていたが、先の松本議員がNHKで指摘したことから、問題は一挙に表面化した。 以来、同事件に対する共産党の追及は激しく、創価学会は防戦に追われることになる。   同年十二月十七日、藤原弘達氏が『赤旗』紙に、言論出版事件に田中角栄自民党幹事長(当時)が介入していたことを暴露。さらに、事件は国会に飛び火する。  昭和四十五年一月五日、公明党の竹入義勝委員長 (当時)が、言論出版の妨害を全面否定。  同年一月六日、田中角栄幹事長、言論出版妨害に関与した事実を認める  同年一月十一日、創価学会の学生部幹部会に登壇した渡部一郎公明党国対委員長(当時)が、言論出版妨害問題を「バカバカしい話」との暴言をもって否定。  同年二月十八日、国会で共産党の米原衆院議員が代表質問に立ち、言論出版妨害問題を言及。この頃、「言論・出版の自由に関する懇談会」が結成され、〝言論・出版の自由に関する大集会〟などが開催される。 同事件は全国的に知られ、社会の衆目を集めるようになる。  同年二月二十七日、渡部一郎氏が前記暴言の責任を追及され、国対委員長を辞任。  週刊誌、新聞、テレビがこの問題について報道する中で、創価学会が実際に行なってきた「言論出版妨害」が次々と明るみに出された。  妨害を受けた著作物をざっと列記してみると、『公明党の素顔』(内藤國夫)、『これが創価学会だ』(植村左内)、『創価学会・公明党の解明』(福島泰照)、『創価学会』(竹中信常)、『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』(隅田洋)、『公明党を折伏しよう』(塚本三郎)、『小説・創価学会』(梶山季之)などである。  これら創価学会批判の各著作に対し、同会は「一切の批判を許さない」という態度で、金や組織の力で懐柔・脅迫・弾圧を加えた。 あるいは時の権力者である自民党幹事長や右翼まで使い、出版物を闇から闇に葬ろうとしたのである。  むろん公明党議員も、創価学会の一兵になって言論弾圧に奔走した。 ほんの一例を紹介しよう。  『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』の著者・隅田洋氏とは、当時、西日本新聞東京支社・論説委員の隈部大蔵氏のペンネームである。 隈部氏は、その後、『月刊ペン』の編集長になり、いわゆる月刊ペン裁判の原告になった人物だ。  その隅田氏こと隈部大蔵氏が、著書の中でこう記述している。  昭和四十三年九月十一日午後一時、東京赤坂プリンスホテル新館の一室。 同室に隈部氏は、公明党副委員長・参議院議員北条浩氏(後の創価学会四代会長=故人)から呼び出される。 以下、二人の一問一答。  北条: 隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』という学会批判書の著者である隅田洋を、今日まで半年がかりで探した結果、やっと探し出した。この隅田洋なる者が、ここにいる隈部大蔵その者だ。人違いであるとは、絶対に言わせない。  しかしだ、いくらペンネームを用いて学会を批判しようとも、全国的に張りめぐらされている学会の情報網に引っかからない「虫ケラ」はいないのだ。わかったか。  隈部: ……。  北条: よく聞いたがよい。たとえていえば、創価学会は「象」それも巨象だ。これに比べてお前は一匹の「蟻」だ。 創価学会を批判する輩に対しては、たとえ一匹の蟻といえども、象は全力をもって踏みつぶすのだ。  隈部: ……。  国会議員とも思えぬ暴言のオンパレードだが、この当時、創価学会は万事この調子であった。  昭和四十五年五月三日、東京・両国の日大講堂で開催された創価学会第三十三会本部総会で、池田大作会長は、「結果として……言論妨害と受け取られ、世間にも迷惑をおかけしてしまった」 と、反省とお詫びをした。 この時、政教分離の宣言も行なっている。  だが、池田氏が世間に向けて謝罪をする一方で、創価学会は、同事件追及の急先鋒にいた共産党・宮本書記長宅の電話盗聴作戦を密かに進めていたのである。  同年五月十四日、創価学会の盗聴実行グループが、宮本宅電話盗聴の拠点として、「青木高井戸マンション」を賃借。  同年五月下旬、盗聴実行グループが宮本宅の電話線に盗聴機を設置し、盗聴を開始する。  同年六月十八、十九日、宮本書記長の秘書が、電信柱に付いていた盗聴機を発見。日本共産党は犯人不明のまま盗聴犯人を告訴した。  なお、創価学会の盗聴実行グループはその後、当時、敵対していた「妙信講」(現・顕正会)をはじめ、六件に及ぶ盗聴を実行した。  ところで、宮本宅の盗聴機が発見されたとき、犯行者としてもっとも疑われた機関は公安であった。 むろん確証など何一つないが、被害者の日本共産党や一般世間もまた、犯人・公安説を信じて疑わなかったのである。  やがて歳月の流れとともに、社会から宮本宅電話盗聴事件は風化し、迷宮入りかと思われた。  ところが、事件から十年の時が過ぎた昭和五十五年六月、『週刊ポスト』誌が、「宮本宅盗聴は創価学会がやったとの内部証言」 (六月十三日号) と、報じるのである。    昭和四十五年六月、日本共産党・宮本顕治書記長宅(当時)の盗聴事件が発覚以来、ちょうど十年目にして、犯行グループが浮上したのである。 当時、共産党は、犯人不明のまま盗聴犯人を告訴していたが、同党は犯行グループを、おおむね〝公安〟か〝公調〟あたりと目星をつけていたようだ。むろん、このとき、創価学会が犯行者などとは思いもついていない。  これより二ヶ月前、〝ポスト誌記者は、宮本宅盗聴は創価学会〟説の情報を得て、潜かに取材に入った。他のマスコミに知られないように、隠密取材である。   やがてポスト誌の記事が出て、他のマスコミも取材に動き出した。 だが、これほど大きい事件なのに、新聞社など大手マスコミは沈黙。沈黙したのは大手マスコミに限らない。ことマスコミ、わけても雑誌報道に〝厳重抗議〟が好きな創価学会本部も、この一件には、貝のように口を閉ざし沈黙した。 その一方、被害者である日本共産党の行動は素早かった。『赤旗』社会部切っての敏腕記者達がチームを結成して取材をスタート。それこそ地を這うような取材を展開し、早くも、宮本宅盗聴の際、創価学会の実行部隊が使用した根城をつかんだ。 こうして、宗教団体が政党最高幹部宅を電話盗聴するという、前代未聞の「日本共産党・宮本委員長宅電話盗聴事件」裁判が開廷する――。 http://www.toride.org/tap/tap1.htm

  • 社会問題になったこの盗聴事件について意見を求めます

    創価学会は盗聴と謀略が宗教活動になっているそうですが、これはカルトの構成要素といえませんか。 大規模盗聴事件を起こしたのは創価学会だけであり、しかも、その極めて異常な行為を何度も起こす創価学会はカルト教団なのではないでしょうか。 共産党・宮本議長宅電話盗聴事件を検証する(第1回) ジャーナリスト 段 勲 電話盗聴――。通信の秘密、プライバシーの権利の侵害でもある。 まして被害者が公党の最高幹部なら、政治活動の自由を侵害するという憲法違反がこれに加わる。 これまでも公的機関による電話盗聴は、何件か発覚し、裁判沙汰にもなった。あるいは、仕事熱心な新聞記者による盗聴取材もあった。  しかし、平和と人権を強調し、社会の模範となるべき大宗教法人が、電話盗聴で裁判に訴えられ、しかも、その事実が認定されたケースは、わが国の歴史上で一件しかない。 創価学会である。  その創価学会の最高指導者・池田大作名誉会長は、世界諸国を歴訪し、自らの信仰を広める一方で、平和の大切さ、人権の重要性を説いて歩く。 でも、電話盗聴を行なった被害者に対 し、一言のお詫びもなければ、反省の色さえ見せることはない。  真に池田氏が、平和主義者、人権派を標榜するなら、被害者に丁重にお詫びしてこそ本物である。他国から人権賞などの勲章を貰う前に―。  だが不幸にして、これが創価学会の救い難い体質である。創価学会の行動はすべて正しい、池田先生に間違いはない、というのだ。極端な話、いまだに学会員の間に  「電話盗聴は、反学会グループの謀略。日本共産党の作り話」 と、信じて疑わない人々も存在する。  しかし事実、創価学会の手によって、「日本共産党・宮本顕治(現・中央委員会議長)宅電話盗聴事件」が起こされた。  公党の最高幹部宅に電話盗聴機を仕掛けるなど、あまりにも大それた行動である。 それも、〝公安〟がやった、というならまだしも、歴とした宗教法人の仕業である。  昨年一年間は、オウム真理教事件に開けて、創価学会問題で閉じるという、いわば宗教の年であった。 その結果、普段は宗教に関心を抱かない国民も、大いに興味を持つようになった。今年一年、オウム事件は、進行する裁判経過の中で真相がさらに明らかにされよう。しかし、昨年に増して国会の焦点になる、宗教と政治の主人公・創価学会については、まだまだ未知の部分が多い。  いまあらためて、学会が起こした前代未聞の「電話盗聴」という事件を題材にし、信仰の美名に隠された創価学会の謀略性について検証する――。  創価学会はなぜ、「日本共産党・宮本顕治書記長(当時)宅」を電話盗聴したのか。 動機は、同会が起こした昭和四十五年前後の「言論出版妨害事件」である。 以下、まず電話盗聴に至る経過を、日を追って簡単に説明しておこう。  昭和四十四年十二月十三日、日本共産党の松本善明衆院議員が、NHKの討論会で創価学会の「言論出版妨害事件」を指摘。  同事件とは、明治大学の教授であった藤原弘達氏 (現・政治評論家)が、『創価学会を斬る』(日新報道刊)を刊行した。 当時、創価学会を表面切って批判する本は少なく、社会から注目される。その一方、これは後に発覚するが、同著の刊行に対して創価学会 は、公明党議員を使って著者に圧力。 さらに出版後も、各書店に「同本を扱わないように」等、圧力をかけていたのである。   こうした事実関係はすでに週刊誌等で報じられていたが、先の松本議員がNHKで指摘したことから、問題は一挙に表面化した。 以来、同事件に対する共産党の追及は激しく、創価学会は防戦に追われることになる。   同年十二月十七日、藤原弘達氏が『赤旗』紙に、言論出版事件に田中角栄自民党幹事長(当時)が介入していたことを暴露。さらに、事件は国会に飛び火する。  昭和四十五年一月五日、公明党の竹入義勝委員長 (当時)が、言論出版の妨害を全面否定。  同年一月六日、田中角栄幹事長、言論出版妨害に関与した事実を認める  同年一月十一日、創価学会の学生部幹部会に登壇した渡部一郎公明党国対委員長(当時)が、言論出版妨害問題を「バカバカしい話」との暴言をもって否定。  同年二月十八日、国会で共産党の米原衆院議員が代表質問に立ち、言論出版妨害問題を言及。この頃、「言論・出版の自由に関する懇談会」が結成され、〝言論・出版の自由に関する大集会〟などが開催される。 同事件は全国的に知られ、社会の衆目を集めるようになる。  同年二月二十七日、渡部一郎氏が前記暴言の責任を追及され、国対委員長を辞任。  週刊誌、新聞、テレビがこの問題について報道する中で、創価学会が実際に行なってきた「言論出版妨害」が次々と明るみに出された。  妨害を受けた著作物をざっと列記してみると、『公明党の素顔』(内藤國夫)、『これが創価学会だ』(植村左内)、『創価学会・公明党の解明』(福島泰照)、『創価学会』(竹中信常)、『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』(隅田洋)、『公明党を折伏しよう』(塚本三郎)、『小説・創価学会』(梶山季之)などである。  これら創価学会批判の各著作に対し、同会は「一切の批判を許さない」という態度で、金や組織の力で懐柔・脅迫・弾圧を加えた。 あるいは時の権力者である自民党幹事長や右翼まで使い、出版物を闇から闇に葬ろうとしたのである。  むろん公明党議員も、創価学会の一兵になって言論弾圧に奔走した。 ほんの一例を紹介しよう。  『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』の著者・隅田洋氏とは、当時、西日本新聞東京支社・論説委員の隈部大蔵氏のペンネームである。 隈部氏は、その後、『月刊ペン』の編集長になり、いわゆる月刊ペン裁判の原告になった人物だ。  その隅田氏こと隈部大蔵氏が、著書の中でこう記述している。  昭和四十三年九月十一日午後一時、東京赤坂プリンスホテル新館の一室。 同室に隈部氏は、公明党副委員長・参議院議員北条浩氏(後の創価学会四代会長=故人)から呼び出される。 以下、二人の一問一答。  北条: 隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』という学会批判書の著者である隅田洋を、今日まで半年がかりで探した結果、やっと探し出した。この隅田洋なる者が、ここにいる隈部大蔵その者だ。人違いであるとは、絶対に言わせない。  しかしだ、いくらペンネームを用いて学会を批判しようとも、全国的に張りめぐらされている学会の情報網に引っかからない「虫ケラ」はいないのだ。わかったか。  隈部: ……。  北条: よく聞いたがよい。たとえていえば、創価学会は「象」それも巨象だ。これに比べてお前は一匹の「蟻」だ。創価学会を批判する輩に対しては、たとえ一匹の蟻といえども、象は全力をもって踏みつぶすのだ。  隈部: ……。  国会議員とも思えぬ暴言のオンパレードだが、この当時、創価学会は万事この調子であった。  昭和四十五年五月三日、東京・両国の日大講堂で開催された創価学会第三十三会本部総会で、池田大作会長は、「結果として……言論妨害と受け取られ、世間にも迷惑をおかけしてしまった」 と、反省とお詫びをした。 この時、政教分離の宣言も行なっている。  だが、池田氏が世間に向けて謝罪をする一方で、創価学会は、同事件追及の急先鋒にいた共産党・宮本書記長宅の電話盗聴作戦を密かに進めていたのである。  同年五月十四日、創価学会の盗聴実行グループが、宮本宅電話盗聴の拠点として、「青木高井戸マンション」を賃借。  同年五月下旬、盗聴実行グループが宮本宅の電話線に盗聴機を設置し、盗聴を開始する。  同年六月十八、十九日、宮本書記長の秘書が、電信柱に付いていた盗聴機を発見。日本共産党は犯人不明のまま盗聴犯人を告訴した。  なお、創価学会の盗聴実行グループはその後、当時、敵対していた「妙信講」(現・顕正会)をはじめ、六件に及ぶ盗聴を実行した。  ところで、宮本宅の盗聴機が発見されたとき、犯行者としてもっとも疑われた機関は公安であった。 むろん確証など何一つないが、被害者の日本共産党や一般世間もまた、犯人・公安説を信じて疑わなかったのである。  やがて歳月の流れとともに、社会から宮本宅電話盗聴事件は風化し、迷宮入りかと思われた。  ところが、事件から十年の時が過ぎた昭和五十五年六月、『週刊ポスト』誌が、「宮本宅盗聴は創価学会がやったとの内部証言」 (六月十三日号) と、報じるのである。    http://www.toride.org/tap/tap1.htm

  • カンボジアの歴史について 自分の認識

    カンボジアの歴史について、自分がしっているおおよその流れが正しいかどうか教えてください。 0. WW2後にフランスの植民地だったカンボジアが解放され 1. 1954年にノロドム・シハヌーク国王によるカンボジア共和国が成立する 2. シハヌークが北ベトナム支持を表明し対米関係があっかによる国交断絶。経済政策の不安。 3. 将軍ロン・ノルによる親米クーデターでカンボジア王国からクメール共和国に成り。シハヌークを追放。シハヌーク中国へ。クメール・ルージュと国王が同盟 4. インドシナ共産党の分派であるクメール・ルージュが反発武力闘争。表向きは親ベトナム。 ベトナム戦争の終了(ベトミン・ベトコン)の勝利。民主カンプチア成立 5. パリ協定調印 6. インドシナにおける戦争の停止 7. シハヌークは後にカンボジアに帰るが、既にクメール・ルージュ独裁体制。クメール・ルージュは国王批判 シハヌーク国王軟禁と政治失脚 8. ポル・ポトは国内ベトナム人を虐殺→国境付近ベトナム領の町村を襲撃 9. 1978年からのカンボジア・ベトナム戦争はベトナムの完勝。クメール・ルージュの虐殺発覚 10. 1979年1月10日にカンプチア人民共和国(新ベトナム・ベトナム傀儡政権)がカンボジアに成立。 11. 中国はベトナム批判。越中戦争に発展。ソ連ベトナム支持。中国、日本、米国はカンボジア支持 12. 越中戦争はベトナムの勝利 13. 三派連合(シハヌーク、ノン・ロル残党、クメール・ルージュ)VSベトナム。ベトナム撤退 14.UNAMICがカンボジアに入り調停 15. クメール・ルージュ一派が政権から脱落 辺境で武装闘争 16. 求心力を失ったポル・ポトはタ・モクに拘束され、またタ・モクもカンボジア暫定政府軍に捕縛される 17. 選挙の結果シハヌークが当選。カンボジア王国の復興をはたした。 カンボジア内戦の歴史の経過は自分の以上の認識で正解でしょうか?間違っているところをご指摘してください。お願いします。

  • 英訳(誰が英訳をお願いします。)

    PAYPALより払い戻しがありましたが、 私は決して注文分をキャンセルしておりません。 あなたのところから発送が遅れているため 私はPAYPAL経由で私の保証期間を確保するために、異議申し立てをして 注文分を早く発送するようお願いしただけです。 キャンセルはしてませんので誤解しないようにお願い致します。 現在、私の注文分は取り消しになったのでしょうか? あなたから返事で あなたのサプライヤから入荷が遅れるとのことでしたので いつになれば発送できるのか正確な情報を私は知りたいです。 質問したら無視しないで必ず返事していただけないでしょうか 宜しくお願い致します。 誰か英訳お願いできませんか 宜しくお願い致します。

  • 英訳で困ってます。英訳お願いします。

    英訳で困ってます。英訳お願いします。 「私も同じ気持ち。私にとってあなたや子供達は私の全てだよ。今の私達の状況はとても厳しいものだけど、これはテンポラリーなものなんだって自分に言い聞かせながら毎日過ごしてる。 昨日2人でよく話し合ったよね、私達の夢が早く実現すればいいね、ここから1日も早く出ていけれますように。私も愛してるよ!」

  • 教団の首脳陣から愛想を尽かされる会長って一体

    創価学会では、首脳陣がみな教団を離れて批判する立場に回っていますが、これほどまでに身内に愛想を尽かされる理由って一体なんでしょうか。 宗教として魅力がないだけでなく、大きな闇を抱えているからでしょうか。 素晴らしい宗教なら誰も脱会しないし、仮に脱会しても批判しませんよね。幹部ならなおさらです。 政治家、芸能人、文化人、元幹部がこぞって創価学会批判する理由を教えてください。 100人以上の著名人が批判をしているって凄いと思いませんか。 ○創価学会の批判者 田中角栄(元首相、自民党幹事長経験者):秘書の早坂茂三によれば「池田大作はしなやかな鋼だ。煮ても焼いても食えない。公明党は法華さんの太鼓を叩くヒトラーユーゲントだ」。 石原慎太郎:1999年東京都知事選挙を直前に控えた時期に、池田大作に対する人物評価を尋ねたアンケートに「一言で表現すれば、『悪しき天才、巨大な俗物』。」 『週刊文春』 平成11年3月25日号。 ニコラエ・チャウシェスク:Jurnalul National(ルーマニア国営新聞)で池田を絶対的な権力を持っているよう他人へ見せかけるだけで強きものには諂い、弱きものには傲慢な態度で臨む小悪党だと批判。 ○批判する立場になったまたは袂を分けた元幹部 龍年光(元創価学会幹部・元公明政治連盟書記長・元公明党東京都議会議員)[54] 原島嵩(元創価学会教学部長)[19] 山崎正友(元創価学会副理事長・元顧問弁護士)[55] 竹入義勝(公明党元委員長)[56] 矢野絢也(公明党元委員長)[57] 福島源次郎(元創価学会副会長)[58] 石田次男(元公明党参議院議員)[59] 大橋敏雄(元公明党衆議院議員)[60] 桑原春蔵(元公明党大田区区議、創価学会副会長)「池田が政治権力を握って天下を取るといった姿勢は、もはや信仰者ではない。信仰を利用した魔物」[61] 後呂雅巳(元創価学会壮年部長)[62] 山口隆司(元創価学会幹部)「池田大作の名誉欲達成のために、大変な資産と人生の半分を費やしたのが腹だたしい」[63] 鈴木広子(元創価学会幹部)[64] 細谷健範(元創価学会幹部)[6 https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%A4%A7%E4%BD%9C_%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%A4%A7%E4%BD%9C%E6%9A%97%E6%AE%BA%E8%A8%88%E7%94%BB 創価学会を批判する著名人 内藤国夫 - 「政界に進出し、国家権力と結びつく、また結びつこうとする権力志向、権力依存の宗教団体は邪教の中の邪教ということだ。オウムより、はるかに始末が悪い難問である」。 浅見定雄(元東北学院大学教授) - 「メンバーが結果的に一つの政党しか選ばなかったり、その宗教団体の指示による以外は他の政党に投票することもない-創価学会の指示で信者が自民党に投票する場合のように-もしそういう宗教があれば、その宗教は必ず政教分離の原則を破っているのであり、また恥ずかしいことだが、非常に未成熟で前近代的な宗教である」 石原慎太郎 - 池田名誉会長を「悪しき天才、巨大な俗物」と批判。 俵孝太郎 - 学会と対抗していた組織四月会の代表幹事。2005年9月1日の『日刊ゲンダイ』でも創価学会を批判。 徳川義寛(元昭和天皇侍従長) - 皇太子徳仁親王の親王妃候補について新宗教(創価学会)を信仰する人間は親王妃(未来の皇后)としていかがなものかとの考えを示した。 テリー伊藤・佐高信 - 共同著書『お笑い創価学会』で創価学会を批判。 杉田かおる - 自書『杉田』で創価学会を批判、主に池田大作や男性創価学会幹部の堕落ぶりを批判、また杉田自身が学会関係者から受けたセクハラについても触れている。 大槻義彦 - ブログ「大槻義彦のページ」で池田大作・創価学会・公明党を政教分離の原則の観点から批判。 いしいひさいち - 自書『大問題』で創価学会を批判。 フロランスラクロワ - パリの国立研究院の博士。十数年にわたり創価学会を取材・研究を重ね、「創価学会、タブーの解剖」というフランス国家博士論文を発表。 筒井康隆 -筒井康隆 - 『SFマガジン』1965年8月増刊号で発表した短編小説『堕地獄仏法(中公文庫『東海道戦争』収録)』で、創価学会・公明党を連想させる宗教団体・政党が『政教一致体制』で支配する恐怖の日本社会を描いた 段勲 - 自書『反人間革命』で創価学会を批判。 蛭子能収 - 公明党支持者から食事中に強引なサインを要求され、公明党への支援も頼まれたことに立腹。「公明党の信者って、なんでそう熱心なのか不思議だが、相手の気持ちを考えない我がままな人ばっかりの集まりなんだろうなーと思う」と批判。 H・N・マックファーランド(アメリカの学者) - 1963年から64年にかけて日本に滞在して日本のPL教、生長の家などの新宗教について調査し、「神々のラッシュアワー」という本にまとめた。その本の中で唯一、創価学会の調査の時だけは不快な思いをしたとして「創価学会の多くの信者の厚かましさや無作法によって何度も何度も気分を害される」と記している。 島田裕巳 - モアハウス大学キング国際チャペルの主催により世界各地で「ガンジー・キング・イケダ展」が開かれていることに関し、世界的に高く評価されているガンジー、キング牧師に対してイケダに二人に匹敵するだけの功績があるか疑問に思う人は少なくないであろう、とした。 猪口邦子 - 2000年(平成12年)に創価学会の「宗教的団結心」("religious solidarity")を核とした「巨大な政治的力」("enormous political power")を警戒する人もいると述べた。 石井一 - 国会で創価学会と公明党の関係について質問した。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A#%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E6%89%B9%E5%88%A4 創価学会を批判する書籍一覧 https://ameblo.jp/worldwordpress/entry-12058738834.html