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全てに対しあるがままに心を開く
ということが解かっていてもできません。 いろいろな経験や失敗を重ね、出した答え ですが実行できません。それを実行しようとすると 自分と戦かわなくてはならないのかと思い とほうもない恐怖感が競うのです。 心を開くと人は優しくしてくれるというのは解かっていますし なにより自分が成長できるということも解かっています。 ですが今の自分からの決別にどれだけのエネルギーを 必要とするのだろうと考えると一歩も前に進めません。 全てに対しあるがままに心を開くにはどうしたらいいでしょうか
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まず何故、心を開きたいと思われたのですかね? 心を開くための重要な要素はその動機にあります 開けない人の理由 ・心を開く=良い結果という意識 ・他人に良く見られたいという意識 ・空気が読めない まずその類いの問題があれば解決する 必要な意識は 「より良い自分になりたい」という非常に強い気持ち その気持ちが不安な気持ちより勝ると前向きな行動をする そしてありのままの自分を出せた後 その自分を周囲に受け入れられたと認識できた時 心が完全に解放された感覚がわかると思うし とてつもない幸福感から他人の不幸が辛く、他人に幸せになって欲しいと 心底思うようになる
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自分と戦うのではなく、人間的な思想や意識、感情、それらを、疑ってみてください。自然界の大きな営みや、抗うことの出来ない生死は、人間的な常識や好悪、感情、人格全てを一切考慮に入れません。ただ、大きな力で与え、奪うだけです。そして、それらは神のうちに人間の意思に関係なく動いてゆきます。それは、大きな脅威でしょう。でも怖がらなくていい。私たちは自然から生まれ、自然に死んでいくだけ。 人間が、人間であるがゆえに、人間のために作り出してきたもの、その思想や、感情、常識は、本当に正しいのか?人は、自分という枠のなかでしか、他の人や現象を捉えることが出来ないように思います。自分の目線、自分が正しいと思っていることすら、他人の目には間違って映るでしょう。ならば、人間のあらゆる感情、思想というものは、いまここの時点での視野狭窄に陥っていることが、分かるでしょう? 全体の中のひとつだという事を忘れないでください。全体の中のひとつである私たちは、そのひとつにしがみつく必要など無いのです。何が正しいのか、何が間違っているのか、そんなものは個人の幻想でしかない。それらを統合できるのは、ただ全てを包み込むことの出来る思いやりや愛だけですよ。 ということが実感できれば、オッケー牧場(笑)。恐怖は、いりません。自分という人間意識を捨てるだけです。 ただし、自分を捨てすぎて、退屈しないように!
お礼
ありがとうございます 『全体の中のひとつだという事を忘れないでください』 のところに感銘をうけました 為になります。
- kigurumi
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あるがままを受け入れるって、要するに無の心ってことですよね。 ブッタだったと思いますが、妹が犯され殺されたらどうするか? って聞かれて「べーつに」って答え、「じゃあ あなたが殺されそうになったらどうするか」って質問したら「べーつに」って答えたそうです。 妹がまわされ犯されたあげくに殺されるなんて、なんて哀れな妹の短いむごい人生なのだろう となげく必要は全く無い。 たくさんの男に犯されころされた それが一体なんだというのか。 自分が殺されそうになる それが一体なんだというのか。 全てはその状況を受け入れようとしないことで苦が生じており、全ては幻だとわかれば、悲しみも苦しみも喜びも感動も無い 無の心でいられる。 こういうことらしいです。 で、人の自分をわかってもらい理解してもらいたいというその欲望が苦を生んでいるわけです。 他人に依存しているので、他人が自分の思い通りにならず、それで苦しい思いをしているわけです。 自分が思い描くどうすれば自分は他人から好かれるか という妄想が、あなたを苦しめているわけです。 人の価値は一定ではなく、他人の利益になることをした場合は、あなたはその人にとって一時的に存在価値がある人だ となるあwけです。 で、今まで仲良くしてくれていた人が、あなたよりもっとその人に利益を与えるようになると、「もういらない あっちいって」ってあなたを捨てるわけです。 他人の評価を柱としてもたれかかっていきていたら、柱がなくなると転ぶわけです。 そしてなんとか 自分の柱に戻ってもらおうと ゴマをすったり こびへつらったり、相手を喜ばそうとへとへとになる。 他人のために生きているような状態になる。 自分の人生は他人のヨ転びのために利用させることで、寄生をしようとする。 それはとても もろい生き方。 あるがままとは自分は他人に依存した生き方をしているということを認めることです。 他人の価値次第で、まるで他人の奴隷としてご主人様を喜ばせるために生まされてきた奴隷のような人生だったと認めることだと思う。 今までずっとそうで、これから死ぬまで他人の奴隷として存在させてもらおうとしていると認めることだと思う。 自分が無い 存在してなどいない 自分は幻だ と認めることだと思う。 存在しないとわかれば、全ては幻なので、驚ろきや喜びや悲しみや苦悩は実在しないってわかるでしょ? これが不動の菩薩の心。
お礼
ありがとうございます そのような解釈もあるのですね 参考にします。
お礼
やはりそうでしたか ご回答頂いたアプローチがやはり 一番自然だと思います。 もしかしたら自分は誰かにその言葉を 言って貰えるのを待っていたのかもしれません。 他人の不幸が辛く、他人に幸せになって欲しいと 心底思うようになりたいです。 簡素かつ愛のある回答ありがとうございました。