「てしまう」の使い方について

このQ&Aのポイント
  • 「てしまう」とは、物事の完了や後悔・残念の気持ちを表す表現です。例えば、長い小説を一晩で読み終える場合などに使います。
  • 「しまう」には「意志動詞+てしまう」と「無意志動詞+てしまう」の2つの使い方があり、前者は完了を表し、後者は遺憾の気持ちを表します。
  • また、「ちゃう」とは、「してしまう」と同じ意味で使われることがあります。例えば、高いものを買ってしまう場合に使います。
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“てしまう”の使い方

日本語を勉強している中国人なんですが、“てしまう”の使い方について、ちょっと納得できないところがあります。 1.物事の完了 400ページもある小説を一晩で全部読んでしまった。 2.後悔・残念(遺憾)の気持ち お金を落としてしまった。 3. (8)ちょっと待って。すぐ食べてしまいます。 (9)私は毎晩9時には寝てしまう。 (10)早く・・。店が閉まってしまうよ。 (11)3歳の息子にはいつも困ってしまう。  ここでの「~てしまう」は「後悔・残念(遺憾)の気持ち」が起こっていることを表しています。 (8)(9)では、「意志動詞+てしまう」が、一方、(10)(11)では「無意志動詞+てしまう」が使われています。文脈・状況にもよるので一概には言えませんが、「意志動詞+てしまう」のときは完了を、「無意志動詞+てしまう」を表すことが多いようです。 (出所:http://homepage3.nifty.com/i-yasu/)  私の質問は1、(8)(9)(10)(11)の「しまう」がどう説明されたらいいですか?あるいは翻訳。。。(中国          人に聞いたらいいかな)         2、この例の中のちゃう「=しまう(*^__^*) 」どういう意味ですか?どんな状況で使えます           か?自分にもこんな話をしたいです。          例:日本でだと、これは確かに高くないね。物もいいし、買っちゃうか。  また、質問文にはなにか不自然な表現がありましたら、教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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  • SPS700
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回答No.1

>>私の質問は1、(8)(9)(10)(11)の「しまう」がどう説明されたらいいですか?  (8)(9)(10)は、完了。(11)は後悔・残念(遺憾)です。  買っちゃう=買ってしまう、で完了ですね。

ananzhenzhen
質問者

お礼

素早いご回答ありがとうございます。また分からないことがあれば、今度もお願いいたします。

ananzhenzhen
質問者

補足

「買っちゃう」は完了の意味ですね。でも、こんなときは「買うか」を入れ替えたら、どういう違いありますか?「買っちゃった」はすでに完了の意味がわかりますが、「買っちゃう」も完了の意味で、どうやって使い分けますか。

その他の回答 (1)

回答No.2

貴方の分類上の整合性が全く不明ですが、とにかく、3、での例文では、「慣習的な未然・未遂」というのが、その特徴になりましょうね。 食べてはいないし、寝てもいないし、閉まってもいないし、また、今現在は、子供は悪戯をしていなくて、困ってもいません。あるいは、悪戯が終了していて、今、そういう困った状態が回避されています。 まあ、それにつけても、質問者様には、大切な事柄を失念されているのが気になりました。 文法的に突き詰めていっても日本語は分かりません。日本語に限らず、あらゆる言語とはそういうものです。そもそも、一定に定められた真実の文法などというものは無いのです。便宜的に文部省が定めた嘘八百の文法とされるものが、恥かし気も無く存在しているだけなのです。明治維新に功績のあった薩長土肥の言語(ぢじづず発音・言い回し)が重用されたとか、様々な政治的力関係で、学問上の正当性が無視されてきたという側面も大いにあるわけです。歴史を無視して、そんないい加減な文法を今更信用してはいけません。 かつて、まだ、大学というものが正常に機能していた時代に、言語学とか、国語学を専門に学んだ経験のある人は承知していますが、「国語文法の種類は、言語学者の数だけある」というのが当たり前の合言葉でした。文法・言語学というのは、奈良時代以来の「古書」を読み込むところから出発しますが、虫食いやら、判読不能文字があったりで、各研究者独自の「読み方」に差異が生じます。学閥、派閥があって、なかなか、若い頃には、大きな声で言えないことなのですが、みな、それぞれの独自解釈と言うものがあります。あるいは、そういうものが無い学者は、学者とはいえません。オウム返しに、先人の言を繰り返す人を学者と認めるほど国語の学者界は寛容ではありません。 確かに、校本(定本)と言うものはありますが、それは、その古書を校閲した当人解釈によるものにすぎません。やや時代が下れば、御所本とか、御物とか、流布本系とか、様々な古書が現存している今日、それを一つに本文校合することなど不可能なのです。他者の校閲の全てを盲目的に認めると言う人は、学者ではありません。 文法的な解釈で、日本語を理解しようというのは止めましょう。誰も、そんな説明を聞きませんし、信用もしません。特に若い方々には、嗤われるのがオチでしょうね。生きた言語を学ぶという意味を考えてみてください。 言語学者になりたいというのならば、一貫性と統一感のある独自の体系を構築して下さい。勿論、この場合、全ての文法を否定するところから出発して下さい。

ananzhenzhen
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。"例文では、「慣習的な未然・未遂」というのが、その特徴になりましょうね。"これは私には貴重な意見になります。“貴方の分類上の整合性が全く不明ですが”、まさにおっしゃったとおりです。そういう分類については自分がいま分っているところを現したかったです。ご迷惑をおかけしまして、すみません。外国人にとっては、母国語ではなく、必ず理解できないところがありますよね。普通の電話会話とかだったら、ただの暗記で済ませますが、十分に文法の使い方が理解できないときは、暗記だけで十分ではないかなと思います。それは言語の微妙なところでしょうか。

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