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お気に入りの哲学者教えてください

おはようございます。 先日、学生時代に集めた本から一つ取り出し、通勤時に読んでいました。 ヴィーコの『われらの時代の学問方法について』でした。社会科学系の学部でしたが、社会"科学"をやればやるほど、その学問的背景にある理論そのものに対して懐疑的にならざるを得なくなり、清水幾太郎の『倫理学ノート』、科学哲学のクーンなどからヴィーコにたどり着き、何回か読んだ記憶があります。 皆さんのお気に入りの哲学者、その理由も教えてください。なにぶん哲学そのものに関しては超ド素人なので、的外れのお礼を書いてしまうかも知れませんが、ご容赦ください。

noname#5645
noname#5645

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  • apple-man
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回答No.3

>皆さんのお気に入りの哲学者、その理由も教えてください  フランスの近代哲学者、 ジャン・ポール・サルトル が私のお気に入りです。  なんか全ては自由だって言って くれてるところが魅力的です。  本当に何でもそんなに自由なのか? という議論は今でも絶えないようですが。  サルトルに引かれた切っ掛けは 高校生のとき、原子だ電子だといった 物質の話を掘り下げたような内容が 物理の授業で本格化したあたりから、 そもそも存在とは何なのか迷い始め、 丁度そのころこの「存在と無」を本屋で 見つけ、何か自分の疑問の答えて くれそうでこの本を買いました。  高校の物理では、物質は原子という粒で できているがその質量の殆どは中心の 原子核というところに集まっている という説明を受けたのですが、そう すると物質の容積の殆どは空間と いうことになり、スカスカの状態の はずです。人間が認識している空間と 物質の関係は、非常に曖昧であると 感じ、考えてしまったわけです。 >科学哲学のクーン・・・  トーマス・クーンですね。 まだ亡くなってから10年もたって いませんよね。  私は大学院で電子工学を専攻していましたが、 物理学科の科学史という授業をとったとき そこでパラダイムの転換の話を聞きました。  科学革命の構造は、もうずいぶん前に 買ったのですが、まだ読んでいません。(笑)  今は言語学者のソシュールの本を読んで います。

noname#5645
質問者

お礼

ありがとうございます。 >なんか全ては自由 私もそういうのは結構好きです。 ファイアアーベントって人もそんなことを言ってます。 何でもかまわない、とか。 彼も物理学者だったかな。 >人間が認識している空間と物質の関係は、非常に曖昧 物理学の一番面白そうな部分ですね。 自分も数学が得意なら、科学哲学を真剣にやってみたかったなぁ。

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  • netcatme
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回答No.7

フッサール。 なんだか思想がドライで好き。 #1のマックス・ウェーバーは社会学者として好きです。世界をプラチナのメスで軽やかに解剖しているみたいですね。ほら、これが心臓だよ、鼓動しているだろ、って感じかします。

noname#5645
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 フッサールといえば現象学ですね。 本質直感とかでしたか。 >マックス・ウェーバーは社会学者 私はウェーバーはプロ倫を読みかけて、これまた途中で挫折した口です。

回答No.6

ミシェル・フーコー(1926-1984:仏)。 現代社会と権力の形式に関して「歴史」的手法を用いつつ考察を重ね、読後においては「今、見えている社会」のあり方がまるで違って見えてきます。 『狂気の歴史』では狂気が「心の病」であるとされていることを疑い、『言葉と物』では人文科学の「真理」のあり方を暴き、『監獄の誕生』においては「見る-見られる」という権力の形を明らかにし、そして『性の歴史』で、最もプライベートな部分にまで「告白する-聴く」というあり方で権力が侵入していることを白日の下にさらした。 あのコレージュ・ド・フランスに「思考体系の歴史学」という、彼のためだけの講座が作られてまで教授に迎えられたというだけでもその仕事のインパクトの大きさがわかります。

参考URL:
http://www5d.biglobe.ne.jp/~simpli/01-1-1Faucault.htm
noname#5645
質問者

お礼

ありがとうございます。 >『監獄の誕生』においては「見る-見られる」 視覚による支配ですね。 ベンサムのパノプティコンって奴でしたね。 これには社会科学を勉強していた私も、影響を強く受けました。特に政治学なんかはそうでしたね。 >『言葉と物』では人文科学の「真理」のあり方を暴き 面白そうですね。調べてみます。

noname#6420
noname#6420
回答No.5

ずばり、「プラトン」です。 特に、快楽や正義や幸福に関しての彼の考察は 読む者を引き込む力があると思います。 約2500年も前の人ですが、その平易な言葉を使った素朴な問いかけは、 まさにこれぞ哲学と思わせてくれます。 参考文献「ゴルギアス」「国家」「クリトン」などなど。

noname#5645
質問者

お礼

ありがとうございます。 >ずばり、「プラトン」です 自分も『饗宴』を読んだことがあります。 対話法によって真理に迫る姿は、古代の哲学らしく、アテネの風景が脳裏にうかぶようで、圧倒された記憶があります。

  • ret
  • ベストアンサー率40% (8/20)
回答No.4

イマヌエル=カント大博士。 ハインリッヒ=ハイネに 「抽象的な独身生活を送っただけの生涯も経歴もない人生」 「くそまじめで、疑い深く文章はひからびた包装紙」 てなことを言われていますが、 現時点においてもカント哲学を完全否定できる哲学思想は 存在していませんね。 ただ、純粋理性批判・実践理性批判は凄くいいのですが、 定言的命法まで踏み込んだのはやめてほしかった。 先生…。形而上や絶対を語っていますよ…。

noname#5645
質問者

お礼

ありがとうございます。 >くそまじめで、疑い深く文章はひからびた包装紙 ヒュームのは、印刷機から死んで生まれた、って言われたとか(笑)ボロクソですね。 >カント哲学を完全否定できる哲学思想は存在していませんね 今日、回答していただいたことで興味を持って道徳形而上学原理を読み始めました。もともと倫理学に興味があって、でもカントは敷居が高そうでしたが、がんばってみようかなと。

  • mutuoo
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回答No.2

パスカルはいかがですか? 「人間は考える葦である」で有名な、またパソコンの元になる原理を発明した数学者でもあります。 哲学書は「パンセ」が有名です。パンセを読んで理解できたらもう、そりゃ本当に凄い哲学を理解した事になるでしょう。モラリストという概念を創った方でも有ります。 かなり、シビアなニヒリスト、ニーチェとかにも影響を与えた偉大な哲学者です。ユーモアと思索に富んだ哲学者です。相当考えさせられます 是非おすすめします。

noname#5645
質問者

お礼

ありがとうございます。 >パスカルはいかがですか? これまたさわりだけで挫折しました。 なんか苦手でした・・。 >パンセを読んで理解できたらもう、そりゃ本当に凄い哲学を理解した事になるでしょう ちょっとソソられますね。 積み上げてある中から探してみようかな、と思いました。

  • izumokun
  • ベストアンサー率30% (1129/3679)
回答No.1

 私もど素人なんですが、次の方々が好きですね。 ○ ソクラテス  「無知の知」に代表されるように真摯な哲学的態度 ○ マックス・ウェーバー  客観的な認識方法について徹底的に追究し、「理念型」を提案した ○ 岩崎武雄  平易な言葉で哲学を説く一方で、真理論・存在論・実践論などを体系づけた

noname#5645
質問者

お礼

ありがとうございます。 >岩崎武雄 初めて耳にしました。 調べてみますね。 >ソクラテス ソクラテスの弁明をさわりの部分だけ読みましたってあれはプラトンの著書でしたっけ。 ソクラテスって、ジーコと同じ時期のブラジル代表のひげ面がいつも思い浮かんでしまってます。 当のソクラテスもあんな顔だったんだろうな~。

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