文学や古典が軽視される理由
僕は文学とか古典が好きですが、多くの人がそうではないみたいで残念です。
因みに僕は理系で、数学ばかりやっていました。
数学は高校数学なら大体分かっていると思います。
一方で、文学青年でもありました。
今は33歳ですが「現代思想史入門」というのを読んでいて、哲学とかにも関心を深めています。
今までドストエフスキーとかトルストイなどを読んでいました。
また矢内原忠雄の「聖書講義」とか読んでいました。
僕は数学は好きなんですが、化学なんかは興味がなく、文系の方に興味があります。
ラッセルとかホワイトヘッドといった哲学者も数学者、論理学者も兼ねています。
考えてみて「理系」というのは、そもそも生物学、化学、物理学といった理科がメインで、数学は物理学を補助するツールみたいなイメージです。
数学だけやっていて、理科をあまりしないのは、どうなのかな?とは思います。
さて話を戻して、文学とか古典が軽視されている。多くの人が役に立たないと言いますが、本当にそうでしょうか?哲学は無味乾燥な学問なのでしょうか?僕はそうは思いませんね。『奥の細道』とか『方丈記』『徒然草』を読みましたが、心に沁みるというか、その思想に感銘を受けました。
原文で読むのが苦痛なら、現代語訳を読めば良いのですよ。英語と要領は同じです。
まぁ、西洋の科学的な合理主義の精神とは相容れませんね。岡潔も言っていましたが、日本の古典文学には情緒的なもの、美しいものがあって、これは西洋の産業革命以降の資本主義、合理主義精神とは対極にあるのでは?と思います。のんびりとしているのです。
「猫に小判」とか「馬の耳に念仏」ではないですが、分からない人には古典文学の味わいが理解できないのでしょう。
現代社会は何でも「コスパ、コスパ、効率、効率」ですものね。
確かに効率は良いかも知れないが、自然の美しさとか春の花鳥風月、冬の雪みたいな、そういう情緒的な感性はないものでしょうか?
古典(古文、漢文)をやらず、ゲームとかスマホに何時間も熱中していている人には分かりますまい。
長文失礼しました。
皆さんは、文学や古典が軽視される理由とかは何だと思いますか?
また意見や感想なども回答待っています。
宜しくお願いします。
お礼
ありがとうございます。早速探してみます。