類義語の使い分け(「差し支える」と「指し障る」
「差し支える」と「指し障る」という二つの語についての使い分けについて伺いたく思います。
*私が、この質問を立ち上げた動機というのは、ある話の流れから、友人より
『「指し障る」という語は殆ど用いないし、否定形では使わない』
という指摘を受け、疑問に思った為です。
(私は「指し障る事のないように頼む」という言い方は不思議ではないように思うのです)。
この問いが日常会話に於いて、枝葉末節にすぎないものである事は重々承知です。
(ですので、友人に指摘してきた際に、その事を詮索する事はしませんでした。
言葉の細部までとやかく追及していては会話が進みませんし、
友人の指摘も、一人の話者としての感性に基づいているように思われる為です)。
ですが、語感・言葉のあやといった、それ自体としては些細なものが思わぬ仇となってしまう事は、
多少なりとも社会生活を送られた方であれば、思い当たる節があるかと思います。
(ここで訪ねている内容とは逸れますが、「毅然」と「憮然」は言い違えたら大変な事態になる事を考えて頂けると、幾らか、私の杞憂についても伝わるかと思います)。
そして、私は「指し障る」という語をついつい使ってしまうクセがありますので、この語による感性の相違には注意したいのです。
ですので、私が主に伺いたいのは、「差し支える」と「指し障る」という語についての
『私にはこのように感じられる』『私には違いが感じられない』といった
いわゆる辞書的な意味ではない、個々人が持っている語感についてなのです。
(勿論、日本語の文法構造からの指摘というものも大いに歓迎致します)。
この質問は、あくまでみなさんの語感について尋ねたいだけですので、
本旨から大きく逸脱してなければ、どのような回答をして頂いても構いません。
(ですので、「区別の必要はない」でも一向に構わないのです)。
暫くは回答を締め切る予定もありませんので、気軽に答えて頂ければ幸いです。
お礼
ありがとうございます。 本当に助かりました!