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武士の家計簿の作家について

武士の家計簿の作家にインタビューする番組をみました。 その中で32年間キチンと生真面目に詳細に記録し続けるのは 日本人は「得意」であるが 全体の事を考えるのはあまり得意ではないのが 「日本人の特徴」のひとつだと長い歴史的な見地から 述べられていました。 ではなぜ日本人は、小さな詳細については、キチンと出きる才能を発揮するのに 対して物事の全体的な戦略を立てるのは苦手なのでしょうか? これはビジネスにもいろいろと応用できることだと思うとります。 よろしくお願いします。

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回答No.1

 何故という問いではなかなか難しいでしょう。  国民性として必要のない生活と歴史、日本の情況だったから。という以上はいえないのかと存じます。  異文化、多文化、異民族の多数を纏める必要性がなかった。  なんとか日常を自分でやっていけばことは転がっていく。展開して進んでいく。という歴史ですよね。  管理する必要がなかった。  まぁ近年は違います。私も46年(10年前に退職)同じ大学にいましたが、図書館ですし戦争などをする必要のない部門ですから、管理もされなかったし管理職になっても管理は無用でした。  平の時の仕事の仕方で、全学や理事会の時の代表になるくらいしか違いはない。  でも総務の統括やその他管理系統の管理者になると、異種の業種やその調整が出てきて、全く無能でした。  人格は全く引き合いにしたら不遜ですが、西郷さんも実は剣術も駄目、なにもだめですが駄目だから上にいられた。  有能な人が取り仕切ってくれたから。  乃木希典大将も、実は人格と漢詩(日本人が読むと、中国人はこれを歌うことは出来なかった)は素晴らしいが、どうも軍人の指揮官としてはあまり有能ではなかった。  科学や情況、現実を計算的に見ることなどは価値を認めていなかったようです。美学の、哲学の世界の人ですね。  日本人の兵卒は世界一。日本人の指揮官は世界最低。というフレーズはこういうことでしょう。  些事は、つまり具体的なことや計算とか現実のことは上にいるものは関与しない。  看板と象徴でしかない。そういうあり方の人しか育ちませんでしたのでしょう。  私は看板にも象徴にも為りませんで、偉い人と歓談するくらいしかできず、給料だけもらっていました。

goodmanman
質問者

お礼

日本は植民地統治を受けた事がなく 異民族との争いを心配する必要がなく平和な時代が長く続いてきた からだと言う プロフェッサーのご指摘とても参考になりました。 また、機会がありましたらよろしくお願いします。 ありがとうございました。

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