日本には仏教伝来以前にキリスト教が伝わっていたのか?偶然か、そうでないかを見極める方法はあるのか

このQ&Aのポイント
  • 日本には仏教伝来以前にキリスト教が伝わっていたのか?(1)~(4)にあげた事例は偶然かそうでないかを見極める方法はあるのかについて考えてみます。
  • 京都・太秦の広隆寺や大酒神社にはキリスト教の文化的遺産のようなものがある。(3)の弥勒菩薩半迦思惟像の手の印は、景教徒の手の印と同じである。(4)では、聖徳太子の生誕とキリストの生誕が同じであるとされている。
  • (1)~(4)にあげた事例は偶然だという説もあるが、それを見極める方法はまだない。学会では時代考証の問題もあり、日本にキリスト教が伝わっていたという証拠はないと認識されている。
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偶然か、そうでないかを見極める方法はありますか?

偶然か、そうでないかを見極める方法はありますか? 歴史に詳しい方よりも、数学に詳しい方に聞いたほうがいいだろうと思うので ここに質問させていただきます。 たとえば、日本には仏教伝来以前にキリスト教が伝わっていたという説があり 次のような証拠があげられています。 (1)京都・太秦の広隆寺は太秦寺ともいったが、中国ではローマを「大秦」、ネストリウス派キリスト教寺院のことを「大秦寺」といった。 (2)広隆寺の東北にある大酒神社はかつては「大辟神社」「大闢神社」と称していた。 中国ではダビデのことを「大闢」といった。 (3)聖徳太子が秦河勝に与えたという弥勒菩薩半迦思惟像の手の印は、絵に描かれた景教徒の手の印と全く同じである (4)聖徳太子は馬小屋の前で生まれたとされていてキリストの生誕と同じである。 秦氏は4世紀後半から5世紀前半に朝鮮よりやってきて日本に帰化したと考えられています。 広隆寺は秦氏の氏寺です。 太秦という地名は京都以外にもありいずれも秦氏の本拠地だとされています。 古い文献によれば秦一族を率いてやってきたのは弓月君(ゆづきのきみ)だとされています。 中央アジアにかつて弓月王国と言うキリスト教国があり、秦氏は弓月王国からやってきたのではないか と佐伯好郎氏はときました。 しかし佐伯氏の説は時代考証があわないということで学会では認められませんでした。 a.この説は時代考証があわないとして学会では認められませんでした。 ネストリウス派キリスト教は431年エフェソ公会議で異端として排斥され、布教の矛先を東洋に向けたというのが定説です。 秦氏が帰化した4世紀後半から5世紀前半では、まだネストリウス派は東洋に進出していない、というのです。 【質問】 aの説に基づけば、(1)~(4)にあげた事例は偶然だということになります。 偶然かそうでないかを見極める方法はありますでしょうか。 ※質問は「日本には仏教伝来以前にキリスト教が伝わっていたかどうか」というではありません。 「偶然かそうでないかを見極める方法はあるか」というのが質問です。 「日本には仏教伝来以前にキリスト教が伝わっていたかどうか」についてのみ述べられた回答は 趣旨からずれるためスルーさせていただきます。あしからず御了承ください

noname#163492
noname#163492

質問者が選んだベストアンサー

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noname#194289
noname#194289
回答No.4

#2kaitara1です。生物学における相同と相似について書いてみます。蝙蝠の翼と人間の上肢は相同の関係にあります。蝙蝠の翼と昆虫の羽根は相似の関係にあります。相同は現在のはたらきは違っていてもその起源をたどると同一であることが分かります。相似の方は働きは同じでもその起源は別です。全く素人の想像ですが、歴史でも見かけは全く違っていても、その起源は同一であったという場合と、逆に一見よく似ていても、起源はまったく別というような場合もあると思います。さらにずれる余計なことですが、仏教関係では用語の期限がサンスクリット語である場合が多いのではないでしょうか。漢字で音を写した後は漢字の意味が初めから存在を示すようなことも多いのではないでしょうか。現在の例ではコカコーラの口可口楽があります。マリシテンという神様は漢字で示されていると軍神マルスとの関連が分かりにくくなります。旦那に至ってはお寺にものを寄付する人という意味で臓器移植のドナーとほとんど同じ意味で使われていますが、客寄せの掛け声と医学用語が同一の起源であるとはだれも思わないと思います。

noname#163492
質問者

お礼

たびたび回答をありがとうございます。 相同・・・現在のはたらきは違っていてもその起源をたどると同一であること 相似・・・働きは同じでもその起源は別。 これはわかりやすいですね。 理解できました。ありがとうございます。 >マリシテンという神様は漢字で示されていると軍神マルスとの関連が分かりにくくなります。 旦那に至ってはお寺にものを寄付する人という意味で臓器移植のドナーとほとんど同じ意味で使われていますが、客寄せの掛け声と医学用語が同一の起源であるとはだれも思わないと思います。 ああ、これは例をあげてくださっているのでわかりやすいですね。 つまり中国の大秦と、日本の太秦は起源が別である可能性があると。 回答者様が例をあげてくださったように、それでは日本の太秦とか大闢はどんな意味なのか、について調べてみるとはっきり関係がない、ということができますね。 お寺や神社の名前って意味なくつけることはあまりないと思いますので。 とても参考になりました。感謝します。

その他の回答 (3)

回答No.3

統計学では、仮説検定というものがあります。 例えば、あるサイコロを 10回振って 1 が 5 回出たら それはいかさまサイコロかどうか? というような話です。 正しいサイコロで、1 が 5 回出る確率は、1.6% ぐらいなので、 ありえるけど、もう 5 回やってみてもそうだったら、 イカサマっぽいですよね。 アンケートなんかで、1000人ぐらいにとると、 そのアンケートの結果が ±5% 以上ずれる確率は、 0.13% ぐらいなのでほぼ正しい結果であると思われています。 このように、数学では、それが正しい確率はどれぐらいかという 示唆を与えてくれます。 そういった意味で、まず、それぞれの現象について、偶然で一致する 確率というのが必要になってきます。 さて、実際に、それぞれの確率はいずれも高くはないでしょうし、 それら全部がというと、極めてわずかな確率ですので、本当であるように 感じてしまいますよね? ただ、名称なんかでも、(正確にいくつかは知りませんが) 何百個もお寺があって、そのうちの一つがたまたま同じだったからといって、 そこまで意味がないという考え方があります。 これは、「マーフィーの法則」という数学には類されない話ですが、 「めったに起こらないものの方が印象に残るので、確率が高く感じる」 という話です。(ネットで調べてみると、酒のタネにはなりますよ) つまり、めったにないけど、たまたまあったからといって、それだけを 取り上げても、それが正しいとは考えられません。 ただ、むしろ自分が思うのは「キリスト教が伝わった」という言葉の 定義が重要な気がします。 新しい寺や、宗教を起こそうという時に、中国のそういった名前を 拝借しただけという事もあるかもしれませんね。

noname#163492
質問者

お礼

回答ありがとうございまう。 仮説検定について教えていただいてありがとうございます。 >それぞれの確率はいずれも高くはないでしょうし、 >それら全部がというと、極めてわずかな確率ですので、本当であるように >感じてしまいますよね? そのとおりだと思います。 >ただ、名称なんかでも、(正確にいくつかは知りませんが) 何百個もお寺があって、そのうちの一つがたまたま同じだったからといって、 そこまで意味がないという考え方があります。 >つまり、めったにないけど、たまたまあったからといって、それだけを 取り上げても、それが正しいとは考えられません。 そんなもんでしょうか? 私などこれだけ揃っていたら絶対とはいえなくとも、その可能性はある、と考えてしまいます。 マーフィーの法則というのはどれだけ信憑性があるのでしょうか。 >ただ、むしろ自分が思うのは「キリスト教が伝わった」という言葉の 定義が重要な気がします。 >新しい寺や、宗教を起こそうという時に、中国のそういった名前を 拝借しただけという事もあるかもしれませんね。 おお、「名前を拝借しただけ」だとおっしゃるけれど、これは少なからず影響を受けたのではないか、ということですね!

noname#194289
noname#194289
回答No.2

ご質問の趣旨から外れるかと思いますが、参考にならないかと思うので書いてみます。生物学にアナロジーとホモロジーという概念があります。それぞれ相似と相同という日本語があります。いずれも似たような状況では似たようなものが生じてくるというような理解でよいと思います。歴史的な出来事でも同様なことがたくさんあるのではないでしょうか。歴史は繰り返すというのもその一つの言い方のように思います。

noname#163492
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 (1)アナロジーとホモロジーと言う言葉は始めて聞きました。 ウィキペディアで調べてみました。 【アナロジー】 類推(るいすい)類比(るいひ) 特定の事物に基づく情報を、他の特定の事物へ、それらの間の何らかの類似に基づいて適用する認知過程である。 類推は、問題解決、意思決定、記憶、説明(メタファーなどの修辞技法)、さらに科学理論の形成などにおいて重要な過程であるが、誤謬を導く可能性も大きい。 類推はヒラメキの要素が強いので、狭義には 演繹や帰納と分けて考えられる。 【ホモロジー】 数学、とくに代数的位相幾何学や抽象代数学において、ホモロジーは与えられた数学的対象、例えば位相空間や群に、アーベル群や加群の列を対応させる一つの一般的な手続きをいう。 うっ・・・何のことかわっぱりわかりません。 生物学ではこれらの言葉をどのような意味で使用しているのですか? (2)>いずれも似たような状況では似たようなものが生じてくるというような理解でよいと思います >歴史的な出来事でも同様なことがたくさんあるのではないでしょうか。 それはあると思います。 時代が要求するものがあり、複数の人がそれに答えたということかもしれません。 飛行機の開発に情熱を注いだ人物がアメリカにはライト兄弟、日本には二宮忠八がいたように。 「太秦」「大闢」などの言葉にも同じようなことがいえるでしょうか? 漢字は中国から伝来したもので、邪馬台国の時代から中国とは国交があります。 中国より伝わったものだと考えるのが自然なような気がします。 時代が合わないことについては、次のような可能性を考察する必要があると思います。 a.431年のエフェソ公会議より早い時期に東方へ進出したネストリウス派があった。 b.ネストリウス派ではなく原始キリスト教が伝わった。(佐伯氏は後年、このように説を改めました) c.奈良時代~平安時代、遣唐使が伝えたものを秦氏がいちはやくとりいれた。 大変参考になりました。

  • Trick_art
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回答No.1

(4)しか分かりませんが、同じ誕生日になる確率は結構高いです。 23人集まると50%の確率で同じ誕生日の人がいて、50人集まると90%以上の確率で同じ誕生日の人がいることになるそうです。 なので、偶然かもしれません。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%95%E7%94%9F%E6%97%A5%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

noname#163492
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 すいません、説明不足だったようです(汗) 誕生日が同じ日なのではなく、生誕伝説が同じなんです。 ●キリスト→馬小屋で生まれた。 ●聖徳太子→馬小屋の前で生まれた。 ※広隆寺をたてたのは秦河勝と言う人ですが この人は聖徳太子の寵臣でした。 広隆寺の弥勒菩薩像は秦河勝が聖徳太子から授かったものだとされていて その弥勒菩薩像の手の印が、壁画に描かれたネストリウス派キリスト教徒の手の印と同じなのです。 キリストは死後3日後に蘇っていますが 聖徳太子は蘇っていません。 しかし、弥勒菩薩は56億7000万年後にこの世に現れるとされています。 聖徳太子=弥勒菩薩と考えると、聖徳太子は将来蘇る予定だということになります。 しかし、貼っていただいたサイトは大変参考になりました。 ありがとうございました!

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