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1987年鈴鹿でセナに感動した佐藤琢磨について。

1987年鈴鹿でセナに感動した佐藤琢磨について。 佐藤琢磨がF1レーサーを目指した理由でよく、1987年鈴鹿で初めて見たF1で、セナの走りに感動した、という話が出てきます。 しかし、1987年鈴鹿のセナは、決勝は2位だったものの、赤いフェラーリに乗るベルガーのポールtoウィンの方がはるかに印象的だったと思います(特に子供だった琢磨の目には、そうではないかと)。 この話は、琢磨自身の、後付けの話なのでしょうか?

みんなの回答

noname#230179
noname#230179
回答No.3

1987年は鈴鹿で初めての開催でした。 ポールポジションのバーガー飛び出しゴールしたレースです。 途中ヨハンソンが追い上げた場面もありましたが・・・ ロータスのセナですが、スタートがよくウイリアムズのピケの前で 終始レースを続け後半ピケがセナの後ろにつきすぎたこともあり オーバーヒートでリタイヤしました。 この件についての当時のホンダの桜井監督のコメントは、 なかなか考えさせられました。 確か、ピケにセナの後ろから離れて冷却するような指示を 出すことは、見に来ている観客に対して失礼なので、 出さなかったとのことでした。 ウイリアムズに比べても明らかにダウンフォースの 少ないロータスでのセナの走りには、見応えがありました。 また、セナは最終ラップでヨハンソンを交わして 2位なったのでした。 テレビには移りませんでしたが、現場で見ていたら感動しても 普通だと思います。 私が覚えているのはこの程度ですが、 当時小学生だった佐藤にここまでわかったかどうかは?ですが・・・。

noname#155097
noname#155097
回答No.2

その時の概要が載ってます。 http://afw.fc2web.com/f1/injapan/87.htm ポールツーフィニッシュは目立たない。 特に当時のベルガーは存在薄かったし。 この日を境に日本でも注目され始めたといってもおかしくない。 一番注目はマンちゃん。でも早々にリタイヤ。 その日に一番目立ったのはやはり中島悟でしょう。 初のホームグランプリ。 地の利を活かしてのパッシングは 見るものすべてを魅せました。 特にテレビでは中島ばっかり。 その合間にセナも天才の名に恥じぬ走りをみせてました。 現地でみていたのなら、見た目にその迫力を感じたのでしょう。

noname#189120
noname#189120
回答No.1

こんな質問をしてどう答えて欲しいのかわかりませんが。 必ずしもポールトゥウィンが印象に残るかは分かりませんよ。 その人次第ですから。 例えば、おとといの鈴鹿なんて、一番印象に残っドライバーって誰でした? 日本人はみんな可夢偉だったと思いますよ。 表彰台に上がれなくても、彼の走りはすごかった。 日本のファンの心に残る走りだったと思いますが。

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