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文楽の出遣いはなぜ?

お世話になります。 今の文楽は出遣いばかりで、遣い手が裃をつけて顔を出していますが、これはいつ頃から、どうして始まったことなのでしょうか。 単純に考えれば、人形劇としては陰遣いのほうが表現力も舞台の完結性も高まってより芸術的になるのだろうと思うのですが。

noname#9289
noname#9289
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  • neil_2112
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回答No.1

回答が無いようですので、全くの私見ですが文楽のいちファンとして若干思うところを書かせて頂きます。 恐らく、これは観客の意識の高度化や色々な条件を背景に、江戸時代に起こった変化だと言えるのではないでしょうか。 ご承知と思いますが、芸能全般はもともと宗教的な存在で、歴史的に異界とこの世をつなぐ媒介であったわけです。ですから芸能は、異界とこの世を区切る境界にあたるものを必要としてきました。それが舞台であったり特異な衣装であったりしたのですが、それらに支えられて人々は芸能によって「異界」と触れていたことは重要な点です。 文楽も、人ならぬ人形が演じることでその異界性の一端が大いに確保されていたわけで、それが重要な点でした。ところが江戸時代のいつ頃からか、観客の方の意識が高度化してきて、芸能に「異界」ではなくて純然たる「フィクション」を感じるようになっていったのでしょう。そうなると、文楽はその本来の存立基盤であった“人形ならではの異界性”という強みを失って、単なる“人形劇”ということになっていってしまいます。 ここに至って、むしろ観客の方が望んで遣い手が顔を出すようになっていったのではないでしょうか。観客は、かつてのように人形が本来持つ異界性を回路にして劇を見るのではなく、人形を演じる遣い手を回路にして劇に自己投影できるようになることで、フィクションをリアリティとして受け止めることができるからです。 この精神性の背景には、言わばこの時代に発達した惻隠の情、言わば「もののあはれ」といった感覚が大きく働いていると思います。 江戸のような都市で特に発達したのが、今に続く日本人のメンタリティともいうべきこの「もののあはれ」です。具体的に言うと、お互いつらいことがあるこの社会の中で、そのつらさを人は決して表に出すことなく、いわば気丈を装うのですが、その表面から漏れ出てくる隠し切れない辛さ、悲しみというものを繊細に感じとって共感し合う、という感覚です。仏教なら「同苦同悲」と言うでしょう。 悲しさや辛さを表に出されると、ひとは不快になるだけです。しかし、それが隠されることが一種の社会的な礼儀であり美徳であって、そうされてもなお、あふれ出てくることのある悲しみ、辛さにひとはいたく共感するのです。言わば、隠されることが共感の条件なのです。 恐らく、これと同じ感覚で観客はフィクションとしての文楽を見るようになっていった時点があるのではないでしょうか。そこでは観客は、人形劇の主人公に感情移入しているのではなく、主人公を演じる遣い手に感情移入しているのです。というより、はっきりいうと自分を消そうとしている遣い手に感情移入しているのです。 遣い手が姿を露わにしながらも自分のエゴや存在を消し、人形に没入して演じようとするほど、観客はその隠された使い手の思いを回路にしてその劇に入り込むことができるのです。 つまり、文楽が異界性を失ってフィクションとなった時点で、文楽を単なるフィクションではない、共感できるリアリティのあるフィクションとするために、観客が遣い手に顔を出すことを求めるようになっていったのではないか、というのが私の推測です。 歌舞伎でもそうなのですが、西洋の演劇論で言うような「演じきられた客体」として劇中人物がいるのではありません。むしろ、名場面になるほど俳優に声がかかることからもわかるように、我々日本人は「演じきろうと没我の境に入る俳優」に感情移入することを通じて劇を体験する仕組みになっているのです。

noname#9289
質問者

お礼

どうも丁寧な回答をありがとうございます。何度も恐縮です。 なかなか刺激的な内容に感じました。私なりにまとめてみますと… かつて文楽は宗教性、異界性を持ったものだったが、やがて観客にとってそれらが不必要になってくると、単なる人形劇というフィクションになってしまった。 そうなると、観客としてはそこに没入して参加するためには、自分を“消して”人形になり切ろうとする俳優が“見えて”いる必要があった。そこに働いているのは「もののあはれ」を感じ合う惻隠の情である。 ということでよろしいでしょうか。 日本文化全体に広がりそうな論理ですね。町衆の成立というか都市化も背景にありそうですし。もののあはれというのは演歌的なメンタリティでもありますね。こういうものの成立なども調べると余計に幅が出そうです。 どうも今回は(も)、有難うございました。

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