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叩くことについて
はじめまして。中学1年生と3歳、2人の娘のママです。 最近しつけについて悩んでいることがあります。 年の離れた上の娘には3歳頃から、ほんとうに悪いことをしたときには、パンツも 下ろしてお尻を叩くことにしていました。私も叱るときは本気だったし、娘も相当痛かったはずですが、叱った後はお互いそのことを引きずることなく、娘は同じことを繰り返すこともありませんでした。最近では、娘自身、ニュースに登場する同年代の小中学生を見て、「親に怒られたこともないんだろうな」なんて言ってますから、私のしつけも肯定的に受け取ってくれてるようです。ところが、最近体罰は全て悪のように言われていますよね? 下の娘は、体罰と言われそうなことは避けて育てています。でも、下の娘は叱って いるときもふざけているし、その後すぐに同じようなことを繰り返してしまいます。口で叱るのにも限界があるような気がしています。かといって、上の娘のように叱ったら、通報されてしまうのではないか思い、それも出来ずにいます。みなさんのご家庭では、しつけで手をあげることはありませんか?私は、ときには必要だと思うのですが・・・
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- 38110
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小学5年生と3年生の息子を持っています。 さすがに、暴力(度が行き過ぎているもの)はしません。 が、しかし、悪いことをしたら「精神がおかしい」と怒鳴りいろんなことをします。 例えば・・・物置に閉じ込めたり、30分ぐらい、自分で書いた反省文を読みながら正座させたり、外でたらいと洗濯板と石鹸だけで自分の靴をきれいに洗うまで家に入れなかったり、自分の靴の匂いを30分間ひたすら嗅がせたり・・・ 2人ともよく、遊んで動くので靴が結構よごれたり、匂います。 とにかく、精神を鍛えるようなしつけにします。 これなら、武道と同じようなことなので、虐待になりません。
- yasuto07
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通報ってだれにされるの家の中のことなのに?、意味分かるかな。 いまは、無責任に、だれもしかりません。学校の先生も普通のただの隣人に成り下がりました。 親として、自分の子供に責任を持つのは当然です。ですから、下の子も、上のこと分け隔てなく、 同じ子をとして、自信をもって、育てるべきです。あなたは、世間のつまらない常識に合わせようと すれば、子供は、足元をみて、世間並みのレベルの子供に育だちます。 自分の痛みが分からないから、人の痛みも分からない、だから、中学頃になって、徒党を組んで、 表では手をださなくても、裏で言葉をつかい、仲間をつかい、いじめるタイプになるのです。 貴方の子供の上の子は、中学でいじめとかしていないでしょう。それは、貴方の教育が 良かったからです。 私は52歳、子供のころ、ありとあらゆる道具で、殴られました、木刀、竹刀、尺八、梱包用の板、 白黒テレビの足の1本。母には足の小指の爪の上にお灸、うまのりになって、やられた。寒い冬に 井戸水をかけられたこともあります。 中学、高校の頃は父が怖くても、まともに意見もいえませんでした。それでも、父、母を、あいして いますし、その父、母の面倒をみるのは、子供の義務だと思って育ちました、意味分かるかな。 あんたの娘さんも、父母の面倒を見るのは、、、、と、思ってくれるといいですよね。 人生は伝えることです。貴方の意見、考えをしっかり、子供にたくしましょう。幼児から、小学校、 中学校と、必要なことを、延々と教えていけば、人間として、しっかり形の整った、しっかりした 子供たちに、いずれは、しっかりした、大人になれると思います。貴方の思いを、子供が受け継ぎ そして、その子供が孫に伝えていくのです、途中でひるんではいけません。子供はしっかり責任 をもって、しつけていくべきでしょう。イギリスなどでは、普通に鞭で、たたくようですよ。 ハリーポッターでもやっていたでしょう、歴史があるということは、そういうことなのです。 歴史を否定してはいけません。肯定して生きていきましょう。貴方の愛情がしっかり伝わるように。
- com6111
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いかなる場合であれ、自分の主義主張を暴力で押し付けることは許されません。
- 参考URL:
- http://www.npa.go.jp/
私自身が叩かれたときの話で恐縮なんですが。 私は今成人女性で、もうおばさんと呼ばれることもある年齢です。 私自身は、子供の頃両親から体罰は沢山受けてきました。 でも、子供ながらに、罰として受けているのか、カッとして ぶたれているのかの違いはなんとなくわかっていました。 頭やお尻を叩かれたり、布団たたきのハート型の棒で腿やお尻を叩かれたり、 線香をちょんと痕がつかないようにつけられたりといったことです。 棒や線香は、子供の頃はやりすぎじゃないの?と思ってたけど、周りにも 同じことをされている人はいました。 でも、自分自身で許せる範囲は、お尻を出されてぶたれるくらいです。 あとのは、勢いで腹が立ったからやられたことだと思います。 または自分が神様だと勘違いしているのだと思います。 正直言って、恨んでいます。 お尻を出すというのは、一呼吸あるので、親も考える暇が あると思います。 でもいきなりバーンと頭を叩かれたりするのは「はあ?」と思いますよね。 きちんと理由を説明する時間があるのならいいんじゃないでしょうか? 他のご家庭では、子供も人権があると思いすぎるあまり、 子供にバカと言われたり、全く同等に思い込まれていることがありますが、 親に世話になっている限り、親が一番偉いと思わせる必要はあるので、 威厳を見せることは大事だと思っています。 でも、こんな風に虐待なのか?と悩むikukomamaさんである限り、 虐待ととられることはなさそうに感じますが。 むしろ、下の子供さんにちょっと舐められているような??
- yukinkoman
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私も叩く事は考えた事があります。 実際私がよく叩かれて育ったのですが、どうして叩かれたのかわかっていたし、 親の感情で叩かれたとも思っていません。 叩いた後にちゃんと抱きしめながら説明してくれたからだと思います。 言ってもわからないくらい小さい時に叩くのは・・・ですが 親の言ってる事が理解出来ているときは、あんまりにもわからないときは叩くと思います。 でもその前に10秒だけ数えると思います。 うちの親がそうしていたのですが、10秒だけ待ってくれました。 私たちは親が10かぞえたすと、いそいで悪い事はやめてました。 だから私の子供もまだ小さいのですが、とりあえず10数えようと思います。 これを数えてたらいけないことなんだ!ってわかってもらえたらいいです。 私も自分の親と一緒の様に愛情をもって、どうして叩かれたのかちゃんとわかるように説明していきたいと思います。
- ventmas
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根本的には「叱る」という事と「怒る」と言うことが別なのだと考えなければならないと思います。前者は感情的では無く、理路整然としていると言うところ。それに対して後者は自分も混乱しているいわゆる「切れた」状態。最近は後者が増えているように思うんです。何故なのかな?と考えると・・・。前者的な親が減り、後者的な親が育てた子が親になり始めたのでは無いのかなと思うんです。 例えば「危ないからナイフで鉛筆を削らせない」また「刃物を使った工作などもさせない」全てイケナイとしたならば「刃物で切ると痛い」という事実を想像でしか感じられないという結果になっていると思うんです。同じように多少の「叩く」という親の叱る行為も同じで、それを知らずに育った子供は加減という物がやはり分からなくなる場合が多いのでは無いかと思います。 確かに難しい問題ではありますが、幼少期に学ぶ感性や感情は親が本気で向き合わないと中途半端なものになってしまうような気がします。
- kayukko
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私も同じく叩く事について考えた事があります。 以前姉の子供が(3歳)我が子(2歳)にむかって、おもちゃを投げた事がありました。その時に姉は思いっきりホッペをぺシッと叩いた事がありました。 勿論なぜ駄目か説明をして…姉の子供は叩かれた事にイライラしたらしく奇声をだし反抗してました(顔は真っ赤) その時私は姉の子供をギュッと抱きしめて「ママも本当は○○の事叩きたくないんだよ!ママも心がすっごく痛いと思うよ!」と言うと姉の子供は姉の方にいって手を撫でていました。 小さいながらに理解したんだなぁ~って思いました。 ただ自分のイライラをぶつける為に叩く事はいけない事だと思いますが、本当にいけない事をしてしまった時、言っても効かない時叩く事は愛情だと思ってます。 でも以前私も自分の子供に手をあげた事があります。 その事が原因かはわかりませんが、子供に叱った時子供は自分の頭を叩いた事があります。 これにはショックでした。その時は叩かなくてもいいんだよと撫でてやりましたが、とても不安になりました。 その事を両親に言うと「もしかして叩いてるの?」と言われ何も言えませんでした。でも自分が叩く時は頭を叩かない様にしているし、本当に悪い事をした時しか叩いていません…なによりも両親が私に軽蔑したような目で見た事が自分自身ショックでした。 世間では親が子供に手をあげれば、子供も同じ様に友達に手をあげるような子になると言われてます。 皆が皆そうなのでしょうか?愛情をもって叱る時に叩いてしまう事ってあると思うんです! 現在、今の所以前みたいに自分自身を叩く事もありませんし、友達を叩く事もしていません。 かと言って私自身も叩く事を止めたわけではなく、本当に悪い時は手はでるし、とても良い子の時は思いっきり抱きしめてあげています。 でも近所はきっと虐待してるんじゃないかと思っているかも…声を張り上げて怒ってますからね~
しつけのために叩くことと、虐待とは全く別物です。 まずしつけのために叩く場合は、 1.それほど本当に力を入れる必要はない。 自分が怒られているというのを悟る事が出来れば十分である。 2.自分自身は感情的には怒っていない。 つまり冷静である。叱っているが怒ってはいないということである。 3.叩く場所なども相手にとって、怪我することのないように気を付けながら叩いている。 4.叩くことによって相手が十分怒られたことを悟った後は、その後きちんと言葉で叱ると共に優しくフォローもしてあげる。 これにより子供は叱られても、ごめんなさいして良い子になれば優しくしてくれるのだと理解する。 それにより、叱られることは良くないことだとわかる。つまり愛情から叱られているというのがよくわかる。 1~4に当てはまらなくなるのが虐待であると思いますね。 特に4は重要です。基本的に2叱ると8優しくしてあげるというのが目安ですね。 (とはいえ、2~3歳だとどうしても比率が高くなりがちで大変ですけど、、) ということで、私も時には手を上げますけど、虐待とはかけ離れている、必要な行為だと思います。 実際力なんてそんなに入れていませんから。こづく程度でも十分効果がありますので。 あと、押入行きなども使うことがあります。 本当に言葉だけでしつけようとするとかなり大変だと思いますよ。相手が相手ですから。 私自身そうやって叩かれながら全うに育ったし、あれを虐待とは呼びません。愛情はきちんと感じ取れていました。 では。
叱るにも、プロセスが有ると思います。 実際、仕事で小学校の学童保育の場面で叱るのも、第一段階、第2段階とズンズンレベルを上げる叱り方へと変化と付けています。 第一段間は、どうしてやっては良くないかの理由 第2段階は、どうして同じ過ちをするのか、本人に考えさせて自己改善を促す。 第三段階では、レッドカードで言葉も最強の強さになります。 叩く時は、我が子には出来ますが他人の子には出来ません。 それこそ体罰と指摘されかねない状況下の為です。 最後のレッドカードが他人を叱る最後の方法です。 最終的には、親御さんの判断で躾となるので、我々指導者はアドバイスはしますが「こうしなさい」は言い切れない今のご時世です。 我が子は、レッドカード以上になれば、手も上がりますよ、そりゃ目一杯のわがままで来る以上、親の威厳で手も出たし、けりも有りで我が子は大きくなりました。 成人してしまえば、良い思い出ですが生命危機の時は罵声も体罰も有りで躾て来ましたが、些かやりすぎたかでしょうか?
昨今、子どもの虐待のニュースなども多いので、自分が加害者になるとは思っていなくても、及び腰になってしまうお気持ちも良く分かります。 しかし主に社会的問題とされているのは、教師の生徒に対する体罰でしょう。これは法律で明確に禁じられており、絶対に許されない行為です。ただ、家庭においては必要最低限の体罰も必要悪として認められるべきではないかというのが私の個人的な見解です。 前述のように、学校の先生は今「手足を縛られた状態」です。子どもたちも「先生は手を上げない」ということを分かっていますから、ikukomamaさんが学生さんだったころと比べ、教師の言うことを聞かなくなっています。これは、近頃中央教育審議会の答申などでもたびたび出てくるように「家庭の教育力の低下」が大きな原因の一つと考えられています。共稼ぎで、かぎっ子で、TVでお笑い芸人がいたぶられるのを笑いながら、誰にも叱られずに育った子が、どういう大人になるか想像してみて下さい。 もちろん、家庭においても体罰はしないにこしたことは無いでしょう。しかし、子どもに十分な規範意識が芽生えるまでは、状況に応じてそうした手段を用いる必要もあると思います。 以前、何かのTVで「体罰ではなく徳罰を与えよ」といっていたのを聞いた覚えがあります。罰として、手を上げるのではなく、お手伝いをさせるとか、何か「良いこと」を強制的にさせるという内容だったと思います(うろ覚えなので、少し違うかもしれませんが)体罰と徳罰、あるいは時には「(アメとムチの)アメ」も使っていくのが良いのではないでしょうか。 あまり参考にならないかもしれませんが・・・。
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