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驚愕の新事実!龍馬暗殺の犯人は千葉さな子だった?
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坂本龍馬は2流の剣術使いだと思いますか? 最近2流に思えてなりません。 よく言われている根拠ばかりかもしれませんが、 1、千葉道場の目録免許は薙刀のものだったと判明。 2、桂を破った剣術試合は、桂は別の場所にいるはずなので武市のデマ。 3、名刀を持っているにも関わらず短銃を愛用。 相手を切らずに脅かせ、事を収めるには良いとは思いますが。。。 4、当時では長身のようですが、食生活からかひょろい。ひょろすぎる。 暗殺時も刀の鞘で受け止めているが押し切られて頭を打たれている。 まったく根拠はないですが剣豪宮本武蔵は打たれ強かったという話も聞きます。 やはり人間、漫画やスーパーマンではありません。 敵に囲まれたらやられます。 人物像についても司馬さんの影響からかもう定着しちゃってますよね。 昨今嫌になほどの龍馬ブームですが、 家族を捨てて脱藩、当時他藩のことは外国のようでしたから、 今でいえば土佐藩以外のことを考えるのは日本を離れて海外へ向かうようなもの。 結果論からは勿論素晴らしいことでしたが、、、ありえないと思います。 街中を女性と手を繋ぐとかもありえないようですね。 現在でいえば電車内でいちゃいちゃしたりするようなものではないでしょうか。 他人の目を気にせず、マナーとかルールとかあまり気にしない、 今で言う駄目人間、世捨て人とかなんというか。 みなさんどう思われますか?
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龍馬の暗殺犯は新撰組の今井なんたらと、名前忘れましたが他に数名いたと思いますがほぼ確定しているはずです なのに、何故龍馬を殺害した犯人は不明で、今でもそれが西郷さん陰謀説とかになっているのですか?
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長文ですが、坂本竜馬暗殺について質問させてください。 私は歴史については素人ですが、興味があっていろいろ勉強している者です。特に幕末の坂本竜馬暗殺事件の犯人について興味があるのですが、私個人としてはやはり会津藩が黒幕で、松平容保が見回り組に指示して実行させたと思うのです。他にも紀州藩説や薩摩藩説、新撰組説などがありますが、以下の理由で違うと思います。 (1)紀州藩説 いろは丸との衝突事件で後藤象二郎や坂本竜馬との交渉で8万両もの賠償金を払わされた腹いせとの説ですが、大金には違いないものの、所詮個人の金ではなく藩の金なので暗殺するほどの強い理由があるとは思えない。記録を見ても紀州藩としては早く金を払って一件落着したい向きがあり、いろは丸事件をほじくり返すようなことはしないはず。 (2)薩摩藩説 武力倒幕派の薩摩としては穏便に解決したい坂本竜馬の存在が邪魔になって暗殺したとの説ですが、確かに坂本竜馬が邪魔だったとしても西郷隆盛と龍馬は個人的に親しい関係にあり、「殺してしまえ」とまではいかなかったと思う。それに薩摩藩は寺田屋事件の時にいち早く龍馬の救出に出向いており、薩摩藩と龍馬の関係は悪くなかったはず。 (3)新撰組説 暗殺の時に伊予言葉で「こなくそ」と言っており、伊予出身者が新撰組にいるからという理由と、新撰組行きつけの料理屋(瓢亭)の下駄が現場に片方残されていたという理由ですが、新撰組という殺しのプロフェッショナル集団が、そんな間抜けな証拠を残すはずがなく、これは新撰組の仕業にしようとした意図がみえみえだと思います。 少なくとも実行犯が京都見回り組だと仮定すると、やはりその直属の上部組織である会津藩がテロリストとして認識していた危険人物の坂本竜馬暗殺の指示をしたと考えるのが一番自然だと思います。そもそも新撰組の芹沢鴨暗殺を命令したのも松平容保であり、邪魔者は排除しようとした思考回路があったのではと思います。 それと決定的なのは、黒幕が紀州藩にしろ薩摩藩にしろ、見回り組が会津藩以外の藩の命令など聞くわけがないと思います。紀州や薩摩が黒幕だとしたら見回り組に暗殺を依頼したわけで、そんな依頼など断っていたはずです。「そう思うならそちらで勝手にやってくれ」と回答していたはずで、「はいそうですか」と簡単に請け負うはずがないのです。 あくまで私個人の見解なので専門家の方たちにはいろんな意見があると思いますが、私の考え方は方向性が間違っているでしょうか。龍馬暗殺の真相は新しい史料でも出てこないかぎり永遠の謎だと思いますが、私の考え方への意見をいただければ幸いです。よろしくお願いします。
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歴史愛好家ならではのご意見ありがとうございます。 たしかに海援隊は主に貿易商社(武器)で経済的な組織であるのに対して 慎太郎の陸援隊は軍事組織でした。 その意味からすると、暗殺の目的は慎太郎であってもおかしくはないですね。 慎太郎が亡き後は、早々と解散を余儀なくされています。 ちなみに海援隊は、岩崎弥太郎が土佐藩から正式に引き継ぎ九十九商会(土佐湾の別名)さらには 今の大阪市西区長堀で三菱商会(後の日本郵船)へと発展していきました。 つまり岩崎弥太郎は、龍馬の二番煎じとうことです。 オリジナルは、やはり龍馬だったのですよ。 それにしても思うのは美人であっても必ずしも幸せな一生を送るとは 限らないところがまた人生の難しいところだと思うとります。 参考になりました。 ありがとうございます。