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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:10億光年の彼方から来た光について)

10億光年の彼方から来た光について

雪中庵(@psytex)の回答

回答No.6

相対論効果によって、光速で運動するものは時間が過ぎません。 つまり、光子に限らず、光速で彼方からやって来たものについて、 「過去のものに触れる」のは、何の矛盾でもありません。 時間と空間のダイナミックなつながりを正しく把握しないと、 宇宙の構造を正しく認識できません。 「宇宙の果て」が『果て』なのは、そこが137億年の歴史を持つ 宇宙の、137億光年先=137億年前の姿だからです。 そこはビッグバン開始時の点であり、実際、強烈な輻射が (光速に近い後退速度で間延びして)観測されています。 その『果て』からこちらを見れば、こちらが137億光年前の、 ビッグバン当時の姿=果てなのです。 すなわち、宇宙のどの地点においても、必ず観察者を中心に 宇宙年齢光年の半径の宇宙が見えるのです。 その爆発によって噴き出した宇宙の一番「端っこ」は、あなたのいる所です。 また、その137億光年向こうに立って見ると、あなたの立っている所が、 137億年前の姿=「爆発の輻射」の壁の一部に見えるのです。 その「自分を中心とした半径137億光年の球面」は、ビッグバン開始時の 点であり、「ここ」も含まれているのです。 「こっち側」は、時間的に収束していますが、「むこう側」は、空間的に収束し、 両端で点に収束していて、そんな葉っぱのような形を張り合わせて地球儀を 作るように、この宇宙も球の表面(ただし四次元空間における三次元球面) のように果てはないのです。 本来、ビッグバンの慣性で膨張しているのであれば、重力によって 減速して、その「宇宙寿命光年先のビッグバン当時の輻射」は、 晴れ上がってもいいのですが、ずっと見えている不思議に対して、 「加速している」とか「ビッグバン初期に超光速で飛散した」とか、 諸説が唱えられています。 しかし量子論的に考えると、認識によって宇宙が生じる=自己 (現在/感受/光速)から過去(記憶/時間/超光速)と 未来(予測/空間/光速下)が対発生していると考えれば、その基底 としての時空が広がる(時間経過=空間膨張)のは当然のことです。 我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、 「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の 感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験 (過去=超光速)による予測(未来=光速下)として時空的 広がりは発生しているのです。 全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に つめこむと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限のゼリーの 中に、仮想的な認識体の断面を切ると、その認識体にとって、 相補的不確定性を伴う存在による宇宙が見えます。 しかしその「存在」は、認識される階層的現象の表面的に生じる もの(自我仮説に対する相補)で、根源的に絶対化しようとすると、 元の無限不確定性に発散します。 実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対に よってしか存在は無い、という帰結を潜在的に持っています。 客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。 認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。 その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの 収束の時系列化)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、 認識体はその光の向うに、自我仮説の補完としての時空仮説 =宇宙を認識します。 即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として 生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という無の射影として、 存在は生じていると言えます。 無いとは分からない事が有なのです。(「世界」とは疑問自体)

mesenfants
質問者

お礼

ご高説に感謝します。 勉強不足ですみません。 わたしの悩みは「同一性」というこなのかもしれません。 10年まえの私と今の私は、ものの本によれば、すべて細胞が入れ替わっているのに「同一」に私であるというのには矛盾を感じません(関係性ということなんだと思われるので)(もっとも遺伝子は同一ですかね)(遺伝子がたとえ変化しても同一であることに矛盾は感じません)。 時間(t-1)にあるAと時間(t-2)にあるAとが「同一」としなければ「科学」もなにも始まらないということなのかもしれません。 目の前にりんごがある、それは私がいなくても、りんごでありつづける(だれかがそのりんごを食べてしまわないかぎり)、というのが真実であるというレベルでの胸のつかえでしたから、もったいないご説明には恐縮するばかりです。 ありがとうございました。

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