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ヒキニートだけど誰にも認められない虚しい死にたい。そこらへんの人の何倍
ヒキニートだけど誰にも認められない虚しい死にたい。そこらへんの人の何倍も頑張ってると自分でも思う。学校とか会社に行ってるわけじゃないけど一日15時間勉強するのは当たり前みたいな気持ちで毎日生きてる。ただその勉強ってのが未だに「受験勉強」とか「資格の勉強」とか実際に将来のやくに立つものになる気配が全くなくて、ただひたすら心理とか哲学とかの本を自分なりにかじって考えてメモするだけ。たまにそれらをまとめたやつをブログにUPするけど誰も関心がない様子。自分の中ではどこにも書かれていない生や死のしがらみから脱却するための方法をやっとの思いで言語化できたつもりでいるのだから、もう人生まるごと否定されている感じ。表現の仕方が稚拙だったりやたらぺダンティックだったりするのかもしれないけど、せめて俺がやろうとしている方向性だけでも共感してくれて一緒に闘ってくれる仲間がいるものだろうと思ってた。これっぽっちもいない。いろんなブログとか本とか読んでみても「そんなこと考えて何か自分の+になるのか?」とか「それで結局何が言いたいの?」とか思うだけで自分の志向とはかすりともしないものが多い。読解力がないのかもしれない。確かに難解な哲学書をすらすら読めたり東大に一発合格できる力は今の自分にはない。けれど精一杯身振り手振り、あらゆる手段で自分の気持ちを伝えていけばなんとなく心に響いてくるものだし、せめて相手がどういうことを問題として捉えているかくらいは分かるだろう。もういいかげん分かってくれ。俺も誰かや何かを認めて心から献身してあげたいし、そのために社会や生に対してしっかりと目は開き続けているはずだ。 助けてくれ。 誰にどう言えば伝わるだろうか。死なら分かるだろうか。 ※なるべく邪推しない方向の回答だとありがたいです。
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- tttyyyuio
- ベストアンサー率6% (13/196)
どこかの大学の哲学科とか行けば あなたみたいに哲学を勉強している人と 会えるかもよ。
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
貴方が「ヒキニートだけど誰にも認められない虚しい死にたい。そこらへんの人の何倍」と感じている事は、本当は貴方の中の、「私はヒキニートなんかじゃない、誰にも認められるものを持っているぞ、虚しくもないし死にたくも無くて、そこらへんの人の何倍も強く生きる力があるぞ。」と言う貴方の、分かっている貴方の心を、あなた自身が否定しています。 人間は誰でも。そうだと思います。人間の心は何時も自問自答しています。貴方が感じる否定感は、貴方が自分のもう一つの心を否定しているだけです。貴方には、何もかも分かっている貴方の強い心が存在しています。 強い事が分かる人は弱い事も分かります。良い事が分かって良い事をしている人は、逆に言うなら「悪い事を知り尽くしている人」貴方の感情の表現はその逆を知っている貴方の本当の心が今、少し見えなくなっているだけです、貴方の文章を見て、貴方が努力家と言う事がわかります。諦めないで続けてください。学んでください、貴方だけしか出来ない事があるはずと思います。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
哲学(精神世界への探求)と生活力(経済力)の2つが両輪と考えると、 たいていの人は生活のことで頭がいっぱいでしょうね。 あなたはその逆で哲学的なことで頭がいっぱい。 体を寿命まで生かすためには衣食住は欠かせない。 哲学よりパンが必要。 でも人はパンのみで生きるにあらずなわけで、 バランスが大事なのよ。 中庸ね。 哲学するのは結構だけど、 あなたもそうだけど、みんな自分のことで精いっぱいなのよ。 だから、一方的に「自分を分かってくれ」ではコミュニケーションは成り立たないの。 そもそもあなたは何のために哲学しているの?
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
No.9です。 thymos さん お応えをいただきありがとうございました。 わたしは thymos さんのご質問に投稿したことがあったのですね。お名前は見覚えがあるのですが そのやり取りとしては思い出さなかったのでした。 さて端的にまいります。 ★ No.9補足欄 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ あなたは「書物を通してではひとと共通感覚、共通主観を持てた」ということを言っていましたがそういうのはもはや偶然に等しいものではないかと思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ そして《その偶然とは「メタな勘違い」の類ではないかと思いますが》と見ておられることがらについてです。具体的な例をひとつ挙げます。 ▲ (『詩篇』について) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ・・・ しかし他から攻撃され誹謗されるということは その人間が人々の間にまだ問題とされていることを裏付ける。 しかるに彼らから全く忘れ去られたと思う時 われわれの孤独と寂寞とは その極に達するのではなかろうか。 さればこの詩人は言う。 我は死せる者の如く人の心に忘れられ 破れし器の如くなれり (詩編31:12) (浅野順一:『詩編――古代ヘブル人の心――』) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ けれども この《孤独》が 人間の孤独であって この地点にも人の心があって 言葉がこのように発せられるとするなら これは 《もっともわたくしなる》主観であると同時に 人びとに共通なる感覚ではなかろうかと思うのです。言いかえると 共同主観の核であるのではないだろうか。 来たるべき時代は むしろもはやこの《孤独》が大前提となるであろうとさえ考えています。 そうしてもう一例として次の文章を掲げます。最近引用したことのあるものですが。信仰ものですからいくらか突っ込みの入ることを覚悟のうえですが やはり上の例と同じ主題におけるヨブなる人にかんしてです。 ▲ (アウグスティヌス:ヨブについて) ~~~~~~~~~~ 神はヨブが試されることを悪魔にお許しになりました。ヨブは試されました。悪魔は困惑させられました。 ヨブが神を自由に(神のために)礼拝すること 神を自由に(神のために)愛することを見出したからです。 神がヨブに何か(力)を与えたもうからではなく 神ご自身がヨブから去りたまわなかったからであります。 ヨブは言っております。 主は与え 主は奪う。主はみこころの通りになされる。 主の御名はほむべきかな。(ヨブ記1:21) と。試練の火はかれに迫りました。しかし その火はヨブがわらではなく金であることを発見しました。その火はそのものから不純物を取り除き 灰には変えませんでした。 (アウグスティヌス:Sermones 共観福音書説教 マタイによる福音書 説教91 茂泉昭男訳) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ここには 《普遍性》があるとわたしは思います。どうでしょう?
- bari_saku
- ベストアンサー率17% (1827/10268)
>すごいってなんなんですかねー。 人間の評価は、トータルで見ますから。 ご親戚の学者さんは世俗に疎い方のようですが、ノーベル賞候補にあがるような方なら、その点が欠点を補って余りあるわけです。 また候補にあがるということは、スキルが社会に評価されている証拠でもあります。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 thymos さんとは 初対面だと思います。(やり取りがあったかも知れませんが 中身での絡みをいま思い出せません。記憶違いでしたら ごめんなさい)。手さぐりでお尋ねします。 ★ けれど精一杯身振り手振り、あらゆる手段で自分の気持ちを伝えていけばなんとなく心に響いてくるものだし ☆ この事態は すでに体験なさったことでしょうか? それともそういう推測でしょうか? いえわたしは 何十年ものあいだ 基本的なところでひとと共通感覚あるいは共同主観を持てたという経験は――書物をとおしてのほかでは―― なかったものですから どうかな?と思ったのですが? いづれにしましても 今度は――あらたにですが――哲学のどれか一つ二つ主題を取り上げて ご自分の見解を示しつつみなさんに問うてみるということ これをなさってはいかがですか? ★ 自分の志向 ☆ というもの これを表現なさってはいかがですか? ★ 自分の中ではどこにも書かれていない生や死のしがらみから脱却するための方法をやっとの思いで言語化できたつもりでいるのだから、 ☆ ということですよね? この主題については いわゆる宗教にからむ場合が多いようですが ここでもいくらでもと言うほど 取り上げられているではないですか。 過去の経歴を見ずにでしたが 以上のような点にかんしてどうでしょう?
意欲は旺盛だが能力がついていっていない。 まあ、一般的によくあることです。 必要なのは等身大の目標ではないでしょうか。 ただ、目の前の障害を切り分けて長期スケジュールに組み込み修正しながら実行するという作業ができないから悩んでいるのだろうから解決法になっていないね。 簡単なのは、管理能力のある人の下で働きながら学んでいくことかな。 みんな、そんなもので上手くいくかの分かれ目は謙虚かどうかでしょう。 謙虚とは ・自分にできないものはやらない。 ・自分が思う自己評価の1割程度評価されれば成功と思う。 ・他人に素直に助けてもらう(俺も苦手・・・)
お礼
傲慢になることはそんなに悪いことでしょうか。昨日と今日でそんなことはないとさらに思いこめるようになってしまいました。なぜなら誰も何も全く役に立たない、やっぱり自分しか頼れる人はいないということを改めて自覚できるようになったからです。これもみなさんのおかげです。ありがとうございました。今日からまた頑張ります。
- bari_saku
- ベストアンサー率17% (1827/10268)
#6です。 人生経験から申し上げます。 他人に認めて欲しいのなら、まずは当たり前の、ごく普通の生活をすること。 (要するに、学校に行くか働いているかです) そして、ある程度は他人におもねること。 とくに前者は重要です。 あなたのような生活をしていてもなお、社会に認められる人は確かに存在します。 ですが、そういう人たちは脳みそのスペックが全然違うのです。 会って話をすると、そう思います。 山に例えたら「とにかく高くて、途中から上が雲に隠れてしまってそれ以上は見えない」という感じでしょうか。 「東大なんか合コンの片手間にした勉強程度で合格できてしまって、一流企業にも楽々入社できるんだろうけど、あえてアウトローな生活をしている」 というレベルの人でないと、無理です。 人並みの脳みそである場合は、一発逆転ホームランを狙わずに、ちまちまとヒットを重ねていくしかありません。
お礼
知り合いに数学者で物理学者の方がいるのですがその方は学問に対しては正にスペシャリストで 数学の未解決問題なんかにも挑戦して、毎回ノーベル物理学賞の候補に選ばれるくらいの素晴らしい頭脳の持ち主なのですが 人生観や人間の感情の機微に関してはびっくりするくらい疎いため本当に「すごい人」なのかどうしても自分は疑ってしまうんです。 すごいってなんなんですかねー。どうもお付き合いくださってありがとうございました。
- bari_saku
- ベストアンサー率17% (1827/10268)
>もういいかげん分かってくれ。俺も誰かや何かを認めて心から献身してあげたいし 考え方が逆です。 自分を理解して欲しいのなら、まず自分が他人を理解することからはじめないと。 社会の鉄則です。 それができるようになれば、世界観は相当変わるはずです。
お礼
社会や生(他人)に対して目を開き続ける(理解しようとし続けている) です。誤解を生むような雑な文章ですいませんでした。
多くの哲学書などを読んだ方のプライドを尊重して、からかいや非難として誤解されないように、短く、かつストレートに回答致します。 それが、あなたの発言を真剣に受け止めた人間の取るべき態度だと思います。 言葉の遊びや屁理屈ではなく ありのままの自分を ありのままに肯定して ありのままに受け入れられる 唯一の方法は 世界をありのままに受け入れる事です。 以上です。
お礼
プライドは尊重してくださったのですね。ありがとうございました。プライドだけでなく主旨も尊重してくださるとありがたかったのですが。 「多くの哲学書を読んだ方の」が皮肉に思えて仕方ありません。これはどうも自分の心が歪んでいるからだけではないかと
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お礼
私は、偏在するメタな勘違いの萌芽や可能性に関しては恐らくやたらと敏感で、懐疑的で、自分の頭の悪さも手伝ってしまうせいか、いろいろな種類の本を読んでも(本だけでなく森羅万象、様々な現実体験に対しても言えますが)いつもそれらを、突き詰めて考え抜いたり耐えぬいたりする必要性を感じるほどの新味や含蓄のあるものと捉えることができません。 ということは「メタな勘違い」を私はこれからどうやっても咀嚼しきれない、つまり「自分の志向にあったものなんてどこにもないんじゃないか」という不安の方を、自分にとってより差し迫った、考える価値のある問題として捉えた方が現実的なのではないか? という生きていくにはあまりにも辛い事実に耐えられず思わずこのサイトで大げさに嘆いてみたのです。 だいたい答えられましたかね。blagelonneさんからは何回かためになるご回答をいただきました。しかし自分の中でその回答を咀嚼しきれず、また、咀嚼しきれない内容を言語化できなかったりしていずれもきちんとした応酬に繋がることはありませんでした。 今回の返答もなんとか、無理やり言葉にしたようなものなので不明瞭な部分や感覚は多々あると思いますが何かしら自分の実感に通じる言説とは思えるので blagelonneさんなりの手探りでまた回答頂けたらありがたいです。
補足
精一杯身振り手振り~は[書物(言葉)を通して]精一杯身振り手振りあらゆる手段で自分の気持ちを伝えていけばなんとなく心に響いてくる。という意味で使いました。もちろん比喩です。 今考えるとちょっと誇張表現だったかもしれませんね。次に続く「せめて相手がどういうことを問題として捉えているかくらいは分かるだろう」という言葉をくだいて、より皆の共感を引き出しやすいようにしよう(普遍的で分かりやすい文章にしよう)という試みのもとで用いた表現でした。 このように今回の自分の文章にはさまざまな公理を散りばめてしまったので 誤解、誤読ゆえの批判はそれなりには覚悟していましたが、まさかこれほど私の志向における公理(もちろん単なる私の独断によるものではなく、それなりの思考能力があれば誰でも推察し得るものです)に無知または関心を持てない人がいるとは思いませんでした。 自己の志向における公理を腑分けして皆が納得できるように、緻密に言語化できない今の未熟な自分にも当然非はあるのですが、自分という一人の人間が死活的に重要と考える公理を用いた文章を、さほど熟考しないうちに 「それは誰でも考える、つまらぬ人間が陥る思考形態の典型だ」などと批判の対象としてあげつらうことに、自分との根本的なずれ(違う人種なのではと疑ってしまうほどの)を感じざるを得なかったのです。 根本的なずれとはすなわち問題意識の違いのことで この「問題意識」という言葉の使い方にもやや偏った自分なりの定義が潜んでいるのかもしれませんが、ここでの「問題意識」とは 「自分の趣味、嗜好」のような決して興味本位のものではなく(たぶん)自己の存在やアイデンティティの代償となるほどのもののことです。 あれ、と考えると「せめて相手がどういうことを問題として捉えてるかぐらいは分かるだろう」と言う自分の問題意識は「せめて」というくらいのレベルの低い浅薄な思考では問題意識として認められないという、かなり理想というか閾値が高いものであるのかもしれません。 しかしそれ故、問題意識に対してはそこらへんの人の何倍も敏感になって常に見逃すことのないような気持ちで接しているのですから「せめて」問題意識の手がかりだけでも見つかっていいはずだと思うのです。哲学にしても心理学にしても、このような「どこにも書かれてない生や死のしがみからから脱却するための方法」=問題意識を少なからず扱っているはずですから。 それをあなたは宗教の分野に近い問題という風に言いましたが、恐らく宗教のように軽率な信念からくる考えには自分は耐えられずどうしても多少の論理や正当性の感じられる哲学や心理学の方に「どこにもかかれてない生や死のしがらみから脱却するための方法」があると考えて追求しているのかもしれません。 これは恐らく賢明なあなたのような方が必死に追い求める「真理」に少なからず通ずるものではないかと思っています。 ここで「科学」とか「数学」という言葉がでてこないのは、飛躍のない、言うなれば今までの答えあわせのようなかちこちの論理の積み重ねは今の自分には何の生産性もないと感じるからです。(自分はまだまだ勉強不足なのでこの学問に対する捉え方にもかなりのずれを感じるかもしれませんね) しかしそういったことを考えた上であっても「生や死のしがらみから脱却するための方法をきちんと取りあげている書物」というのはどの分野においても存在しないに等しいと言えるのではないでしょうか。 というのはそのようなものは往々にして深淵なる思想を扱うものですからどうしても自分やその周縁にいるような存在にしか通じないいわゆる「スラング」のような言葉で表現せざるを得なかったり、例え普遍的で分かりやすい文章であっても今回の自分の質問に対しての(多くの)皆さま方の反応のように勘違いして捉えてしまう可能性で満ち溢れていると思えるからです。 あなたは「書物を通してではひとと共通感覚、共通主観を持てた」ということを言っていましたがそういうのはもはや偶然に等しいものではないかと思います。 でもその偶然も存在はするはずなのです。 人間には思考能力や想像力の限界がありますから恐らくその偶然とは「メタな勘違い」の類ではないかと思いますが。 「メタな勘違い」=偶然=真実という捉え方にはやや疑問を感じるかもしれませんが、真実の境地から全く離れた視座から見ればその真実と言えるものも適宜修正され得るべきものであって少なからず真実は溶解しますから、そういう意味で真実は「メタな勘違い」と考えられるわけです。 ※下のお礼欄に続きます