• ベストアンサー

カントと博打

ドストエフスキーもそうですがカントも博打好きだったのではないでしょうか?

noname#109615
noname#109615

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

質問者さんは、カントにそういう事実がなかったことは、ご存じの上でご質問を出されていますよね? 中島義道さんの『カントの人間学』を読めば、質素な(というか、ほとんど貧しいと同義の)家庭に育ち、四十歳を過ぎるまで私塾の講師で、にもかかわらず大学の教授職を得てからは、せっせと蓄財に励んで、相当な額の財産を残したことがわかります。 例のケーニヒスブルグの散歩のエピソードと同様、絵に描いた堅実で几帳面な彼の半生です。「賭け」も「離れ業」とも縁のない生涯。 だから当然、ここでの「博打打ち」というのはメタファーですよね? 彼の資質の一部に、ルーレットで文字通り身ぐるみ剥がれ続けた(十年間も!)ドストエフスキーに通底する部分があったのではないか、と考えておられる、というふうに理解しました。 どうなんでしょう。 『純粋理性批判』に出てくる 「われわれの見る遊星の少なくともどれか一つに人間が住んでいることが何らかの経験によって決定づけることができるとすれば、わたくしは実にこのことにわたくしの全財産を賭けたいと思う」(B854) なんていうのは、単なるレトリックなのか。 それともカント自身の「賭け」に対する志向性がうかがえるのか。 ドストエフスキーの『賭博者』を読んだときに、おもしろいなあと思って付箋をはっておいた場所に 「賭博で儲けたいという欲望のなかに不純なものがあるなどとは、ぼくはまったく思わない」 という部分があるんです。 つまり、賭博というのは、交換価値である貨幣を増やして、自分の力を増したいという欲望とは無縁のものであることが描かれている。 色川武大の小説を読んでもそれは感じるものがあります。 貨幣が賭けられるのは、自分をよりぎりぎりのところ、あえていうなら「純粋」な状態に追い込むための手段にすぎない、とも理解できます。 さらに、この「純粋」というのは、臨死的な場と言えるのではないか。 考えてみれば、ジェットコースターにしても、ホラー映画にしても、恐怖小説にしても、わたしたちは怖いもの、スリルのあるもの、心臓が止まりそうな経験を求めています。多くの人は安定した場所に戻ってくることがわかるから、いっそうその「ドキドキ感」を楽しむことができるわけです。 ただ、安定した場所に戻ってくるような「ドキドキ」では、ドキドキしない人もいる。そんなものはインチキじゃないか、と思うような。 たとえば全財産をかけての賭博というのはそういうものなのでしょう。 ドストエフスキーのその言葉は、賭博者が求めているのが「生きていながらぎりぎりで死に触れている臨界線まで行ってみる」ということだったのかもしれない。 そうして、カントは身体的な面ではぜんぜんそんなことをしなかった人だけれど、もしかしたら思考という面では、ある種、そういう経験をしていたのかもしれませんね。

noname#109615
質問者

お礼

ghostbusterさん、たいへんおもしろいご回答をありがとうございます。 後ほど補足させていただきますのでよろしくお願いいたします。

noname#109615
質問者

補足

さすがはghostbusterさん。 (このサイトで最高の回答者だと思っています。) カントは博打好きだったかどうか? 実は以前、小牧治さんのカントの入門書を読んだ時に次のような記述を見つけたんです。 「・・・もちろん、学費は不十分である。靴屋をしていて、わりあい裕福な伯父のリヒターが、いくぶんの補助をしてくれた。しかし、カントじしんも、学費の工面をしなければならなかった。といっても、こんにちのように、良いアルバイトがあるわけではない。カントはひとつには、頭の良くない連中のために講義などの復讐をしてやって、小遣いを稼いだ。また、玉突きやトランプで勝って、収入を得たともいうことである。いまの日本では、こういう賭けごとは禁じられているが、西欧では、そんなにやかましくない。二世紀も昔では、収入源でさえあったのである。まずは、カントのよい頭が、学費をつくったというわけである。・・・」 つまりカントの博打というのはトータルでは絶対的に勝てるゲームのようなものであったんでしょうね。 確率論の創始者であるカルダノの期待値論もトランプが元になっていますが正にそのようなものだったと思います。 絶対的に勝てる博打というのはけっこう味を占めるもんだと思うんですけどね。 ただその後、おっしゃるように「賭け」も「離れ業」の話も出てこないようですので何とも言えませんが。

その他の回答 (1)

  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3502/7245)
回答No.1

そうだったら面白いなと思います。 前者は確かに証拠(妻の日記など)がありますが、後者はどういう根拠からそう思われるのでしょうか。

関連するQ&A

  • 文学者と博打

    ドストエフスキーは博打好きで有名でしたが、そのほかにも博打好きな文学者っていますか?

  • カントって?

    カントの思想が難しすぎてよくわからないです。 あまり長くなく簡単にカントの説明できたらお願いしますm(__)m

  • カントについて

    カント学者やカントの信奉者の人は、同性愛を嫌悪しますか? カント自身、同性愛を非難していましたし。

  • カントについて

    現在レポートを書くためにカントについて調べています。 今混乱していてはっきり言って自分でもどこがわからないのかよくわからないのですが、倫理学を中心に書きたいと思っています。 そこでなにかカントの倫理学についてお勧めの本などあったら是非教えてください。 また、現代におけるカント哲学という点で、カント哲学がどのような影響を現代に与えているか教えてください。先日カリーニングラードで18カ国が参加した国際学会が行われたというのを目にし、現代におけるカント哲学について何か知っていることがあったら教えてください。よろしくお願いいたします。

  • 博打の負けは博打で取り返せ?

    十代後半から二十代前半、 新宿のフリー雀荘に入り浸って賭け麻雀ばかりしていました。 当時私は新聞奨学生で、住み込み3食付きで手取り4万円ちょっと。 なのに、一晩で2万くらい負けることも。 「あーあ、またバイトふやさなくちゃ」と言う私に、 おっさん連中が決まってこう言いました。 博打の負けを働いて払ったらダメ。 博打の負けは博打で取り返せ。 ま、良い意味にも悪い意味にも取れる言葉なのですが、 皆さんはどう受け取りますか?

  • カントについて教えて下さい。

    高校時代に習ったカントの思想が大好きだったのですが、最近「善について」という本で又聞き(?)した カントの『善意思』について、あまり同意できずがっかりしてしまいました。 彼の思想は比較的同意しやすい、受け入れやすい正義論だったと思っていたのですが・・・。 そこで、皆さんのカントに対する評価(一部の思想だけでも構いません)と、カントについての知識が凄く浅い私にかいつまんで彼の思想を教えてください。箇条書きでも構いませんし、『善意思とは~』という感じでも構いません。但し、カント自身が話した定義についてはある程度読んでいます。 ですので、『善意思』であれば、善意思の解釈の仕方などを教えてください(回答者様の解釈なのか、何かの本で読んだものなのかも併記してください)。 またカントが好きになれるような解釈があれば嬉しいです。よろしくお願いします。

  • カントについて

    カントがもの自体と現象を分けたのはどういう意図があったのでしょう。 単なる不可知論でもなく、また形而上学的欲求をカントは否定していませんが。

  • カントは「美」をどのようにとらえているのか

    カントは「美」をどのようにとらえているのですか?レポートで書かないといけないんですけど、全然わかりません。 カント以外でも「美」について言っている人ならソクラテスとプラトンを除けば誰でもいいのですが、カントしかわからなかったからカントで聞いてみます。お願いします。

  • カントについて

    岩崎武雄著のカントで実践理性批判を読んでみたのですが、わかる部分ももちろんありましたがいまいち全体を理解できなかったというのが正直なところです。 実践理性批判を一言でいうと、というのはもちろん無理だとは思いますが、簡単にまとめると何が言いたいのかということを教えてください。(もう一度読む上でも参考にしたいと思うので) これは質問というより相談なのですが「現代におけるカント哲学」という章で近年の世界状況から見て、永遠平和論について考えていこうとおもっているのですがどうでしょうか。 もちろん近年のカントに関する国際会議についてなども入れたいのですが。 カントに関する国際会議についてあれこれ検索したところ、なかなか情報がなかったので可能な限りでよいので具体的な情報があれば助かります。HPアドレスや資料でも結構です。 よろしくお願いいたします。

  • カントをどうとらえればよいのでしょうか

    題名の通りですが、カントの思想や業績を追っていってもすっきり「どういう人だ」というイメージがわきません。その点、デカルトの思想ははっきりとイメージできるのですが、カントの場合、とらえどころがありません。イメージでわかりやすく、高校の倫理程度のご説明をしていただければと思います。よろしくお願いします。