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夏目漱石が正岡子規に送った書簡について

明治23年の12月31日に夏目漱石が、正岡子規宛に書いた 「故に小生の考にては文壇の立て赤幟を万世に…」 の書簡で、夏目漱石が具体的に正岡子規にどうせよ と言っているかを知りたいのですが、「漱石・子規往復書簡集」 には現代語訳は載っているのでしょうか。 載っていなければ、載っている本をお教え頂ければ幸いです。

noname#101509
noname#101509

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  • ベストアンサー
  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3502/7245)
回答No.1

意味を知りたい部分を書かれたら、その意味をご教示下さる方がおられるかもしれません。 ネットで検索した限りでは、その文の全体が分りませんでした。 「まずは思想を涵養することが大事だ」といってるようではありますが、一部しか分らないので・・・

noname#101509
質問者

お礼

上記の書簡の全文の現代語訳が知りたくて質問をさせて 頂いたのですが、確かに全文がないといくら日付が あってもどの本に載っているとかそういうことも教示 しづらいですよね。 ご指摘、有難う御座いました。 とりあえず、この質問は締め切らせていただいて、 再度、質問させていただきます。

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