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日本のアーティストのレベルは何故低いのか?

OKWaveで、感動する歌、泣ける歌で検索して、紹介された歌を沢山聞いてみましたら、皆、嫌悪感を催すほどのまずさでした。有名なアーティストで日本の若者たちに大人気のアーティストばかりです。こぶくろ、中島みゆき、AKIO、浜崎あゆみ、奥華子等々。何故これほど聞き苦しいのか、私なりに捉えてみますと、先ず、メロディーに独創性がない。どこかで聞いた魅力のない旋律の寄せ集めであること。激しいリズムも流れるようなリズムも、どちらもない。メロディーと声の両方に哀愁がない。声の質ですが、声量に乏しいのは勿論、声に「張り」や「つや」がない。女性などは「甘えた声」でおよそ成人した大人の声とは言えない。あの、甘えた声は、昔、童謡歌手が童謡を歌っていた時の声です。 総じて一本調子で、曲に複雑な旋律がなく、小節もなく、歌というよりも、弾き語りに近い。弾き語りには弾き語りの魅力があるが、その魅力はない。ラップは好かないが、まだラップの方がマシかも。 私自身は専門家ではありませんが、世界中の音楽を聴いて、その魅力は感じることが出来ると思っています。日本の浪曲、民謡、詩吟、美空ひばり、インド、アラブの音楽(Nooshafarinとか)、南米の音楽(Alboradaとか)、ホイットニーヒューストンとかセリーヌディオンとか。彼らは日本のアーティストが持っていないものをたっぷり持っております。 ところが、この国内アーティストたち、日本の若者には大人気なんですね。ひょっとして単なる「好みの違い」なのかなと思いましたが、そうではないようです。音楽にうるさい外人にコブクロを聞かせましたら、余りの魅力のなさに嫌悪感を催したそうです。彼の理由は、日本の若い世代が、人生や生活の苦労をしなくなったからだ、ということでした。政治では、国民は民度に応じた政府しか持てないといいますが、やはり、今の日本人の音楽鑑賞レベルが低いから、その程度に応じたアーティストしか出現しないということでしょうか? 外国を旅行すると街には民俗音楽が流れています。生まれて以来、民族伝来の音楽を聴いて育った彼らは、それをベースにした歌を作り歌います。タイでも、マレーシアでもインドでも、レバノンでも、モロッコでもプロの歌手は皆、複雑な民族伝来のメロディーやコブシを操って歌います。 ところが日本では民謡や浪曲といった民族伝来の歌謡が廃れてしまいました。学校で習った極めて単調な歌しか知りません。それで、彼らの作る歌があのような単調なメロディーになるのではないでしょうか? 諸兄の意見をお聞かせ下さい。

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  • nikosan77
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回答No.19

二度目の回答になる事をお許し下さい。 質問者さんは音楽の専門家でしょうか?専門の職についていられる方 ですか?やはりここでいくら歌唱力の問題を定義しても答えは出ないと 思われます。それは自分はTVに出ている歌手の日本の歌を聞くたびに 思うのですが、今のこの時代の日本で、プロと呼ばれている人でさえ ステージのパフォーマンスだけで何とか持っているだけの人がかなりいると自分は思っています。歌唱力は正直リスナーが求めていないんですよ、なぜなら本物を聞いていないし、彼らにとって耳障りの良い単調な 歌詞と音楽で満足なのです。ましてや音楽を聴いている人が平成生まれ、又は今の30代くらいまでで、それ以降の人はまずCDを買う人は 少数ですし、LVの高い音楽が求められていないのです。演歌にしても 歌詞を最後にかなり揺らして伸ばす人がいますね、よぉ~~~~ おぅおぅおぅおぅおぅおぅおぅおぅおぅ×10くらい(笑) あれは腹式で息の使い方が出来ていれば何十秒でも出せるし、なぜあそこまで伸ばすのかがまず分からない。息の長持ち自慢?また歌詞をラップで歌ってるだけのチェケラ野郎、インを踏んだだけの単純な歌詞、高音になるとシャウトもどきで声帯を痛めるROCKもどき、 真っ黒な服で髪を固めて高い楽器だけ持って 自分の世界に寄ったナルシズム、顔だけで歌手きどりのカラオケLV歌手もどき、こんなの山ほど自分から見ればいます。これらを省いてアメリカで通じる歌手、世界で通じる歌手だけといったらTVで出ている歌手で日本に果たして何人いるでしょうか?100人いますかね?数十人くらいになってしまうかもしれませんね。 本物のみになるとどうしても経験地が必要です。経験地が必要ないとしたら生まれ持ったセンス、才能の他に圧倒的なパフォーマンス、 アメリカの方で10代くらいの子供が大人顔負けの歌唱力で 歌っている映像を見ましたが、稀であり、日本には殆どいないと 思われます。という事は、若くして実力のある人、世界で通じるLVの人はまずTVには出てこないという事です。仮にいたとしても、それが売れなければ意味がないのです。実力があって出れない人が山ほどいます。 TV局やプロダクションは実力があっても売れなければ意味がありません。商売ですから下手だろうが売れればいい訳です。だから下手な 歌がこれほど世に出る訳です。だって顔が良くて人気があったり面白いタレントで知名度あれば歌出せるんですから。上手い人が 出てこれる訳がない訳です。悪循環です。自分も歌の技術を 求めてずっと歌っていますが、やる気がなくなります。 結局実力つけて上手い人は経験が必要な訳ですからその頃には もう歳もいって若くはない訳です。下手したらおばさんおじさんの歳です。その歳の歌を今の日本の若い人が聞くでしょうか?聞かないでしょうね、聞く人は年寄りの方くらいでしょう。 話が逸れますが福島英さんという方をご存知でしょうか? この人はヴォイストレーニングについての本を出している方で 今の日本の音楽にいる歌手の人の事や歌についてたくさん書かれています。自分もあの人の本を読んで練習してきました。 多分、質問者さんの言われている事の答えに近いものを書かれている 書物があると思います。アーティストとはどうであるか、本当に歌を 表現する事とは、外国人と日本の歌の違い、本物であり続けること。 声の出し方1つですべてが分かると言います。声が全身に共鳴し 地面が震えるそうです。参考にしていただければ幸いです。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 <<若くして実力のある人、世界で通じるLVの人はまずTVには出てこないという事です。仮にいたとしても、それが売れなければ意味がないのです。実力があって出れない人が山ほどいます>>--実力があって出れない人がホントに山ほどいるでしょうか? 昨年のNHK紅白歌合戦を聞いて、招待されたスーザンボイルさんに実に恥ずかしくなりました。こんなに低レベルの日本の歌手たちと同じ舞台で彼女に歌わせるなんて、誠に失礼だと思いました。 しかし、秋元順子さんは、オバサンながら実力で自分の歌をヒットさせた実力派ではありませんか?モドキ、マガイ物の中の本物だと思いますが。 <<自分も歌の技術を求めてずっと歌っていますが、やる気がなくなります>>--ホントに日本の現状をどうしたらいいのか、貴方に心底同情致します。 <<地面が震える>>--3大テノール歌手の歌唱などを聞くと、この表現が大げさでないと思えます。

その他の回答 (20)

回答No.21

中島みゆき大好き人間  くどいですがご容赦を(^_^;)   「ナルシスト」、結構だと思います。千人、二千人を前にして自分が作詞作曲したのを歌うんですから、ある意味「ナルシスト」でないとつとまらないでしょう。「たとえば誰かが私のこと、惚れてるでしょ。だけど、それ以上に、わたしはわたしのこともっと惚れてるもんって思いがちなとこが、自分の中にあんのね」(『平凡パンチ 1980/12/22日号』対談より これは孫引き)「ダミ声」「ドラ声」、これも結構だと思います。「ドラえもん」の声優のような声だとするのなら、そちらの方がいいでしょう。『ドラえもん』世代は中島みゆきのファンになる可能性が高いといえますから。歓迎すべきことです。「美」を公式化できればいいのですが…、「E=mc^2」「PV=nRT」「NA=6.02×10^23」 等々、「音・声」の「美」を公式化できれば万人が納得すると思いますが…中島みゆきの曲名等、色々述べておられますが、すべて貴方の主観でしょう。「真実一路」「人生将棋」「芸道一代」「雑草の歌」「ロマンチックなキューピット」という曲名等はどのように評価しますか?現在のものは300年後には確実に古典になっているでしょう。300年後に中島みゆきの作品が古典として(残るだろうと思いますが)残っていなければそれはそれで仕方がないでしょう。(外山滋比古『思考の整理学』「時の試練」の項参照)   宮城音弥といえば、波多野完治と並んで「心理学会」の二枚看板だったはず。(共に故人)「日本人の性格はヒステリー性格」説を出したのなら、失礼ながら宮城も「焼きが回っていたんだなぁ」としか言いようがありません(ただ涙涙)。貴方が宮城のいう「日本人」の範疇に入っていないことを望みます。「日本人は ~ という性格だ」という説は「A型は ~ という性格だ」という血液型占いと同じ。何を根拠にして出した結論なのか……。東京工大だから当時、最先端の統計処理をしていたとは思いますが…あの世でこんな珍説を出したことを恥じているでしょう(^_^;)。そんな説ならいくらでもできます。   『日本人は論理的思考能力に優れている』なぜなら、江戸時代、世界に誇れる業績を残した数(和算)学者を生み出している。なぜなら、3名のフィールズ賞受賞者がいる。なぜなら、日本人のノーベル賞受賞者の多くは理系出身である。逆に『日本人は論理的思考能力に劣る』という命題も成立します。その他、諸々!!『日本人とユダヤ人』という愚書を思い出してしまいました。   『こころ』(特に下55~56)・『漱石は文豪か?』(海野底・裏表紙に「漱石の差別語を憎め」)を読む限り「漱石」は「感服」する存在ではありません。中学時代に『坊っちゃん』『吾輩は猫である』を読んだ時、何となく違和感を覚えたのですが、この2冊を読んで「漱石」の本質が理解できたように思います。「漱石」は「近代」という名をかぶった「絶対天皇制」の信奉者にすぎません。「漱石」に感服しなければならない理由がわかりません。イチローは「国民栄誉賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたい」という趣旨のことを言ったはず。受賞を将来にわたって拒否するとは言ってないはずですが…トルストイは『クロイツェル・ソナタ』で禁欲生活を説きながら、「60歳にして妻に13度目の妊娠をさせた」(「ロシアの性愛論I」青山太郎・九州大学 より引用)、という事実がその人間性を物語っているかと…。米原万里(共産党員?)『真夜中の太陽』「似合わない台詞」の項も面白いですね。裏話です。芥川龍之介『山鴫』もトルストイの人間性をよく表しているかと…。「蟻の一挙手一投足も見逃さないぞという面構え」というのは貴方の「超(^_^)主観的思い込み」でしょう。「本当は???のくせに、何を狙う眼なんだ!!」というのが私の感想です。「森鴎外・ドストエフスキー」は貴方の好みではないのでしょうね。外れなら申し訳ありません。   中島みゆきは権力に媚びるか?文化勲章を受章しても権力に媚びなかった学者は多くいます。「紫綬褒章受賞=権力に媚びる」は短絡的発想かと…中島みゆきの卒業論文は「谷川俊太郎論」です。当然、詩人・高村光太郎が戦中にどんな詩を詠み、敗戦後どんな生活を送ったかは知っているでしょう。私が知っているくらいですから。「4.2.3」「EAST ASIA」「ひまわり“SUNWARD”」「阿壇の木の下で」、等が中島みゆきの数少ない国家観・社会観を示す歌だといわれています。媚びるかどうか、誰も断定できません、推測はできても。補足等は結構です。貴方もこんな文章にいつまでも付き合いきれないでしょうから。駄文にて失礼します。(本日は2月23日、中島みゆき58歳の誕生日です。Happy Birthday!!)

0123gokudo
質問者

お礼

中島みゆきは権力に媚びるか? 媚びないと考えるのが難しいです。だって日本人の98%は媚びるタイプに属するんですよ!光太郎に限らず、一部の「例外」を除いて戦中の文化人、言論人は総「転向」したでしょ? 戦前は「平和」を口にしていたくせに、戦中には黙ってしまうか戦意高揚の論文を書き、戦後は民主主義を唱える、日本人の主流、大半はそういう人間です。戦時中の話だけならいいのですが、外国や、沖縄から北海道まで日本各地で10年くらいづつ住んで周りの日本人を観察して来ましたが、上部権力に媚びる人ばかりです。特に、高知県、北海道がひどいです。中島みゆきが北海道出身であるというのは偶然ではない気がします。むしろ北海道人の代表者と考えた方がいいでしょう。共産党の発祥が高知人であるとか、小林多喜二が小樽出身というのは、そういう権力者が猛威を振るい、それに人々が諂う土壌から来たものと解釈しています。 中島みゆきの場合は、ある程度の知能があるので、人間の欠点とされているところをユーモアに包んで喋って誤魔化す能力があるので、人々は反感を持たず、むしろ好感を持ってしまうのでしょう。「ナルシズム」に関して平凡パンチで彼女はまたそんなことを喋ってるんですか! いつも持って回った喋り方をしますね。もって回った言い方を好む人間というのは「ええカッコしい」でヒステリー性格なんですよ。宮城音弥の説は仮説ではなく、日本全国を数年以上に亘って調査した結果に基づくもので、血液型と同列に論じるのは知識不足も甚だしいと言わざるを得ません。 <文化勲章を受章しても権力に媚びなかった学者は多くいます>--とのことですが、何人中何人ですか? それは50%を越えますか? 中島みゆきの人間性を見抜けない貴方は、一体人間のどこを見て来たのでしょう?キザ、気取りを見抜けない貴方ですが、クラシック音楽でもそれは言えるんですねえ。如何に世界的に超有名な大音学家でも演奏に気取りがあると感動をさせることが出来ないようです。 リンクを貼りますので時間があれば勉強して下さい。 http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2010/01/post_111e-1.html 私がいくらここで説明を重ねても、藤永氏の言葉を借りると「分かる素地を持たない人には無理かもしれません」なのかも知れません。

0123gokudo
質問者

補足

中島みゆき大好き人間の背景が大分に見えて来ました。最初の頃は「超謙虚人間」を装っておられましたが、矢張り、他人の意見を検証もなしに断定してしまう、普通の「独善人間」でした。 音楽談義から大幅に逸脱してしまっているようなので、質問を締め切りたいと思いますが、やはり貴方の考え方の浅薄さだけは指摘しておかないと、今後貴方はずっとその間違った考え方を持続することになるでしょうから。 貴方は全て「主観」で片付けようとします。ま、これは貴方だけではないのですが、これほどずるいやり方はありません。先ず貴方はそれに気付く必要があります。以下に世の多くの人がこの論法で議論を封じているかに思いを馳せて下さい。「私はこう思う。こう主張する」---これは全て主観です。世の全ての意見は主観です。しかし「それは貴方の主観でしょ」と言った場合、「だから、価値のない取るに足らない、間違った意見だ」という意味を言外に含んでおります。だから「ずるいやり方」だと言ったのです。相手の主観が間違っていると思うなら、どこがどう間違っているのか理由をつけて反論すべきなのですが、それが出来ないからでしょう、「それは貴方の主観に過ぎない」とか、これの派生で「彼の考えは西洋中心主義だ」「その考えは〇〇主義だ(だからダメだ)」と切り捨てる人の何と多いことか!貴方もその中の一人ですね。 漱石、イチロー、トルストイ、誰でも評価が分かれていますが、貴方には「貴方自身の評価」はないのですか?貴方に指摘されるまでもなく、彼らのマイナス評価も知っておりますし、貴方のように「心酔」するタイプの人間ではありませんので、彼らの何から何までエクボに見えているわけではないのです。<<「漱石」は「近代」という名をかぶった「絶対天皇制」の信奉者にすぎません>>--もし、貴方とこの点について論争したら貴方が間違いであることを示すことが出来ると思います。 トルストイやゲーテが「好色ジジイ」であるのは事実でしょうが、それが文学者としての業績価値を下げるでしょうか?小林一茶も無類のセックス好きでしたが、それが彼の価値を下げるでしょうか?人間性の一部を攻撃して、それで彼らの評価全体を下げようとする、ずるいやり方です。トルストイの「面構え」については、思いつきで書いたのではなく、これはこれで、数十年の蓄積があるので、とてもここでは書き切れません。因みに「ロマンロラン」の面構えはどう感じますか?漱石の肖像を見て彼の性格、心境をどう感じますか?野口英雄、シュバイツァー、スターリン、毛沢東、鳩山首相、岡田外相、小沢幹事長、小泉元首相、谷垣総裁、貴方の奥さん、貴方自身の顔をパッと見て、あるいはじっくり観察して、どういう人間性を持った人間か判断出来ますか? それが出来なければ、「蟻の一挙手一投足も見逃さないぞという面構え」というのは貴方の「超(^_^)主観的思い込み」でしょう、という資格はありません。結論だけ書いては納得しかねるでしょうから、私が書いた一文がありますので入門編としてリンクを貼っておきます。http://www.geocities.jp/rankei32000/

回答No.20

「中島みゆき」大好き人間の再・再度の感想  長い「お礼文・補足」をありがとうございます。ただ、私の教えて頂きたいことには正確にお答え頂けていないようなので再・再度書きます。失礼は充分、承知の上で…私は貴方の聴かれた曲名を尋ねました。曲数ではありません。YouTubeの履歴を見れば曲名はおわかりになると思うのですが………  立ち位置が違うので音楽に関しての考え方が違うのは仕方がないと思います。音楽は高校1年までの知識しかありません。それも三十年以上も前のものです。発声・楽器等は専門的にやったことは全くありません。生まれた場所も高校卒業後にやっと水道の整備ができた片田舎です。物心ついた頃に耳にした音(楽)は祭りの時に青年団の御輿をかつぐ歌、太鼓の音です。大学は文系学部を卒業しました。「先の戦争時、原爆や空襲で殺された一回きりの経験でしょう。一部の例外的な人を除いて、」という表現に非常に違和感を覚えます。私の周りには「空爆で肉親を亡くされた方」、「原爆で皮膚が焼けただれ結婚を諦めざるを得なかったお年寄り、特に女性」、「被爆2世・3世と言われ、恋愛・結婚で差別された」という経験を持つ人たちは両手・両足では足りません。私にとっては「一部の例外的な人」ではなく、ごく「普通」の人たちです。「人間を観察する」の「観察」にも違和感を持ちます。「昆虫観察」なら使いますが…。私なら「人間をみる」という表現を使います。  「自分を愛して他人を憎む、同郷人を愛して他郷人を憎む。それが本当の愛か。自国のために他国を侵すのが愛国心なら、それは野獣的天性、迷信、狂熱、虚誇、好戦の心である」(朝日新聞・人脈記・2010/02/09より引用、幸徳秋水)これは音楽に関しても言えるのではないでしょうか。どんな音楽であれ、どんな歌声であれ一般大衆(概念が曖昧ですがお許しを、私もこれに含まれます。以下同様」)の心をつかんだものが時代を生き抜いていくと思います。「歌舞伎」は「かぶく・かぶきもの=異様で目立つ風体をする・いわゆるアウトロー」が語源です。芸能の携わる人たちは「河原乞食(江戸時代?)」と呼ばれていたそうです。(『現代・河原乞食考』 山城新伍/『私は河原乞食・考』小沢昭一/『芸人たちの芸能史―河原乞食から人間国宝まで』永六輔)しかし、彼らの芸能は時代を生き抜いてきました。「権力・権威」ではなく「一般大衆」に支持されたからだと思います。権力に庇護されていた「能」が一ヶ月に渡る興業を行うことはない。(「能」を否定するものではありません。『葵上』『石橋』等は好きです。『翁』を観ると歌舞伎・文楽の『三番叟』を思い出します。)  中島みゆきに関していうと40(41?)歳時、「みゆきは、コンサート活動を休止した時ひそかにボイストレーニングを受けていた。それは主に発声する時の呼吸法の訓練だった。ブロードウェイ・ミュージックに用いられる呼吸法で、踊りながら唄えるという特徴を持っている。」(『中島みゆきデータブック』落合真司p154~155)とあります。『夜会』のDVDを観ればわかるのですが、唄うのに明らかに不自然な姿勢(寝そべる、あぐらをくむ、腰を90度近く曲げる等)で何曲か唄っています。  中島みゆきがDJをしていた時に、中島みゆきの作品が学校の試験に出題され、それが番組宛に送られたことがあり、そのことについて次のように述べています。「その(教師の作成した)模範解答はしかし、作者の私から言わせてもらえば仰天ものの新解釈なのであった…………今、私はその教師に対して『その解釈は誤りです』と抗議することはできないだろう。言葉を解釈する作業には、その解釈を生む背景となる要素が多すぎる。他者の人生を、言葉を発する側がすべからく把握していることなど、あり得ない。逆の立場に於いても同様だ。 言葉を使うということは、だから、深い孤独を確認してしまう作業に近い。」(『中島みゆき最新歌集1987~2003』p5) こういった場で「言葉」を用いて「互いに理解し合うのは至難の技だ」というのが貴方の質問に対しては、的外れになりますが、私の出した結論です。端的に言うと貴方が一刀両断のもとに切って捨てた「kei0816さん」の考え方に私は共感します。「金を誇る者は金に溺れる、智を誇る者は智に溺れる」が私のモットーです。貴方の考え方とは相容れないかと………  蛇足ながら「上村荘園」は「上村松園」の誤変換ですね、もしMS-IMEをお使いならATOKをお勧めします(^_^)。だらだら書いていたら1万字を越えたので最低限の2千字にしました。 駄文にて、重ね重ね失礼します。

0123gokudo
質問者

補足

「重き荷を負いて」「夜会」「銀の龍の背に乗って」「悪女」「時代」「空と君とのあいだに」「この世に二人だけ」「誕生」などを繰り返し聞きましたが、私の魂を揺さぶるものは皆無でした。何故かと考えました。彼女の歌は皆長いのですが、その長い時間を使って「これが、人生なんだぞ~」と繰り返し強調しています。何故強調していると感じるかと言いますと、その大げさな歌いっぷりです。別の方が「ナルシズム」と表現されてましたが、このナルシズムを感じて気分が悪くなります。 彼女に人生を教えて貰わねばならないほど、自分の人生、世の人生を見ていないわけではありません。多分彼女が好きな方は、彼女の人生描写に酔っているんでしょうね?自分が苦しいなら「苦しい!」と歌えばいいのに、彼女の歌い方はそうではなく「人生は苦しいぞ!苦しいぞ!分かっているのかアンタは!」という歌い方ですから、一人前の大人の自覚を持っている人には、とても受け入れられる姿勢ではありません。 彼女の喋り方もいつも勿体ぶっていて、歌のタイトルのつけ方にもそれは現れています 「空と君とのあいだに」「重き荷を負いて」「悪女」「時代」皆、大げさですね。なぜ、もっとさらっとした題名をつけないのだろう?「時代」というから、一体どんな時代なんだろ?と聞いてみたら、ただの「あの時はああだったけど、今はこうだ」という意味、時代というには大げさ過ぎます。性格学を個人的に勉強して来ましたが、彼女の性格はかなり「ヒステリー度」が強いものと思われます。彼女のファンというのもヒステリー度の強い人たちの集まりで彼女のヒステリー性格から来る大げさな姿勢に違和感を感じないどころか、共鳴するのでしょう。 ま、宮城音弥氏によると、日本人の性格はヒステリー性格ということですから、多くの日本人が彼女に違和感を感じないのも当然かも知れません。 長々と彼女は歌いますが、少なくとも歌っている部分には音楽性がありませんね。喋っているという感じです。西洋のオペラには音楽性を感じますが彼女の喋りには音楽性を感じません。彼女が歌っていない時の間奏がダイナミックでこれがあるから、彼女の歌が素晴らしいと勘違いしてしまうのではないでしょうか?間奏がダイナミックとはいっても、どこからか寄せ集めたありきたりの旋律で、この間奏が素晴らしくて忘れられないという風にはなりませんでした。 彼女が歌の中で何かを訴える時、やはり大げさに声を出すので「ダミ声」になりますね。「ドラ声」とも言うのでしょうか、全く美しくありません。あの「ダミ声」が美しいというなら、どこがどう美しいのか説明してもらいたいですね。あれが「ダミ声」でないとしたら一体「何声」 なんですか? 私としては、これほど魅力のない歌手に何故人々が群がるのか、それこそ研究対象にしたいですね。因みに小泉元首相も強度のヒステリー性格者ですが、今でも彼のファンはいっぱいいるじゃないですか。 日本民族が経験したジェノサイド(大量殺戮)は先の戦争時だけですが、アラブ、インド、中国などユーラシア大陸に居住していた諸民族は数千年、ジェノサイドの繰り返しと言っていいでしょう。先の日本人の犠牲を軽く見ているのではありません。戦後60数年経って、日本人は今、グルメやファッション、旅行、援助交際、不倫、不登校、60年前の痛みを全く忘れてしまったではありませんか?パレスチナ人のように、絶えず殺戮されていたら、こんな浮かれた人間になるヒマはないのです。 人間はいい加減に「見て」いたら、本質はつかめないですよ。穴の開くほど観察しないと、騙されてしまいますよ。トルストイの面構えを見て下さい。蟻の一挙手一投足も見逃さないぞという面構えをしています。 現に、貴方は中島みゆきの勿体ぶった性格、大げさな性格、格好をつける性格、キザな性格を見逃しているではありませんか。キザな性格が何故悪いかは書くとキリがなくなるので、ここでは書きません。 私も権力は嫌いで、貴方も嫌いのようですね。 貴方は中島みゆきのアバタもエクボの領域に入っておられるようですが、彼女は「権力」に媚びる性格ですよ。ヒステリー性格というのは、強者に媚びる性格で、日本人というのは基本的に(共産党を除いて)皆そうなんですが、彼女は特にそのようです。紫綬褒章(でしたか?)をありがたがったことに象徴的に示されています。覚えておられるかどうか、昔、船舶振興会(公営ギャンブルのモーターボート)の会長である笹川良一に勲一等瑞宝章が授与されました。政府のやることなんて所詮この程度なのに、無批判に受け取る人間なんて、そんな人間に人生の説教をしてもらいたくありませんね。 以上、私の中島観を書かせて頂きました。彼女の歌というより、彼女の人間性を誤解した上で、心酔されているようなので、敢えて私の見方を書いてみました。

回答No.18

中島みゆき大好き人間の再びの感想 その1(思いつくままに書いていたら長文になってしまいました。心よりお詫び申し上げます。その1・2・3と読んで頂ければ幸いです)  長いお礼文をありがとうございました。  まず、「何事も冷静に客観的に考えなくてはなりません。」という文は私が『「哀愁」というのは個人の主観的感情なのではないでしょうか』と書いたことに対してだと思うのですが、「客観なる哀愁などというものは存在しないのではないか」という意味で「主観」という言葉を使ったつもりです。30年以上前の浪人時代に使っていた「三省堂 各国別世界史の整理 改訂版」という参考書が私の手元にあります。この古ぼけた参考書に私は「哀愁」を感じるのです。0123gokudoさんがこの参考書を見たとしても、ただの1円の価値もない古本にしか見えないと思います。そういう意味で「主観」という言葉を使ったのです。文意が通じなかったとすれば私の文章の拙さです。お詫びします。「甘えた」というのも「主観」の問題で、「客観」ではないと思っています。  これも前に書けばよかったと思っていることです。「日本の若者たちに大人気のアーティスト」の一人として「中島みゆき」を挙げておられますが、「中島みゆき」が「若者たちに大人気」という認識には誤りがあると思います。コンサートに行けばおわかりになると思いますが、(といっても私は2回しか行ったことがありません)私の見る限り聴衆の多くは30代後半、40代、50代です。「若者」の範疇に入る10代・20代の人と思われる人は数える程度しかいませんでした。10代は皆無と言っても過言ではありませんでした。『永久欠番』『幸福論』などは中学校(高校か?)の教科書(音楽か国語)に収録されているようです。(今も収録されているかどうかは分かりません、実物を見ていませんので…)それでファンになった人はいるでしょうが、それは少数でしょう。「少数だ」というのは私の推測です。  「30年間、まぐろ(中島みゆき)しか食べてなくて勿体ない」とおっしゃっています。わざわざ「まぐろ」としたのは「中島みゆき」が紫綬褒章受章の際「棚から本マグロ」というコメントをしたことに掛けているのですね、なるほど!0123gokudoさんはユーモア(というより皮肉ですね)のセンスがお有りのようですね(^_^) 「美空ひばり」は没後「国民栄誉賞」を受賞していますが、生きていたら何とコメントしたんでしょうか!?興味のあるところです。後でお教えいただこうと思っていた2番目の項と関係するかもしれませんが「まぐろ」は本筋ではないので置いておきましょう。私が0123gokudoさんの足下にも及ばないのは言うまでもありません。が…、朝鮮半島のパンソリに興味を持って『風の丘を越えて~西便制』を大阪の映画館まで観に行ったことがあります。パンソリの演目である『春香歌』を舞台劇にした『春香伝』も観に行ったこともあります。舞台休憩の合間に舞台の下を覗きに行くと朝鮮半島の伝統楽器がたくさんありました。(楽器名は忘れました。パンフも買ったのですが今、行方不明で10以上はあった楽器名が分かりません(^^;))その時、三味線・琴・尺八・二胡(若しくは胡弓)・小鼓・大鼓・太鼓・笙・篳篥・龍笛・楽琵琶・楽箏・和琴・太鼓・鞨鼓・鉦鼓等でいわゆるヨーロッパのオーケストラ的なものが日本にもあれば日本の音楽も相当変わっていたのではないかと思ったものです。劇中の『農夫歌』が非常に力強く、感動したのは覚えています(もちろん意味は分かりませんでしたが(^^;))。パンソリのCDも枚数は少ないですが4、5枚持っています。『アリラン』も南と北ではメロディが違う程度のことは知っています。『風の丘を越えて~西便制』の中で「東便制」と「西便制」とでは「アリラン」の歌い方が違うということを親がこどもに教えている、そのような場面があったと記憶しています。金が自由にならないのが致命的で、今は行っていませんが、文楽や歌舞伎も何度か観に行っていました。竹本住大夫の義太夫は大好きです。(今年の正月にNHK教育TVで放送があったのですが親戚に行ったため見逃してしまいました、残念…(^^;))、五代目鶴澤燕三の太棹三味線も大好きでした。『玉藻前曦袂』の「道春館の段」では「住大夫・燕三」の義太夫・三味線で、あの迫力は10年以上前のことですが今でもはっきりと覚えています。またこれも、今年正月のNHK教育TV中継で中村富十郎が『連獅子』を舞っていましたが、年のせいか親獅子である富十郎は「毛振り」をしていませんでした。「演出も色々だなぁ」と感じました。

0123gokudo
質問者

お礼

哀愁を感じるかどうかは主観の問題だと書かれました。辞典に哀愁を感じると言われましたが、むしろ個人的な愛着と言った方が正確ではありませんか?辞典が哀愁を放つということはあり得ないでしょう?その辞典は貴方と共に生きて来たもので、貴方にとって特別の個人的な愛着があるのは当然です。 音楽の哀愁というのは、人類に普遍的な哀愁です。アラブやインドの音楽が、殆ど全て、哀愁と悲しみに満ちていて、何故なんだろうとずっと考えて来ましたが、結局、彼らの肉親が殺し殺された数千年の悲しみが、ああいう悲しいメロディーを作らせたのだろうと考えに至りました。他民族の侵略を受けて肉親が殺された歴史は日本には殆どありません。先の戦争時、原爆や空襲で殺された一回きりの経験でしょう。一部の例外的な人を除いて、哀愁を感じさせる一般的な物はあると思います。例えば苔むした古い教会とか、夜霧とか・・・ 三橋美智也をご存知ですか?彼の声は「哀愁に満ちた」と形容されましたが、確かに私も哀愁を感じます。彼は実は、美空ひばり以上のレコードを売り上げています。1983年には日本の歌手として史上初めてレコードのプレス枚数が1億枚を突破する記録を打ち立てた。これは日本の歌手では未だに破られていない(2005年現在)[3][4]。生涯のレコード売上は1億600万枚、18曲がミリオンセラーを記録し、代表曲の一つ「古城」の売上は300万枚に達するという(Wikipedia) 。 当時の日本人で彼の歌唱に哀愁を感じなかった人も勿論いたでしょうが、多くの人が哀愁を感じたのだと思います。同じく私はセリーヌ・ディオンの声にも非常な哀愁を感じます。表現力の上手さと相まって、彼女の歌い方には心臓をしぼり取られるように感じますね。それが彼女を世界の歌姫にした理由だと思います。以前インドの女性歌手が歌う曲を日本人の複数人に聞かせたことがあるのですが、一人を除いて全員が顔をしかめました。 その一人は「いいなあ」と何度も何度も同じ曲を聞き入りました。主観の問題と言ってしまうと、単なる好き嫌いの問題になってしまいますが、そうではないと思います。数億のインドの民が感じる哀愁(または、それに類するもの)をこの一人の日本人は、敏感に感じ取ることが出来たのだと思います。 それから「甘えた」というのも「主観」の問題で、「客観」ではないと思っています。」と書かれましたが、現代の日本人女性が40才以上の人まで「甘えた声」で喋る人が増えた事実には気がついておられないのですか? 最近ではNHKの女性アナウンサーにまでそういう女性が進出して来ているので辟易しています。「冬のソナタ」のチェ・ジュウが実際は太くて低い声の持ち主であることは知っておられますか?世界的に見て日本の女性の声は特別、甲高かったのですが、最近はこれに甘えた声という特質が加わって来ました。これは日本女性がヒステリー性格で、周囲に媚を売るという精神構造から来ているのですが、いわゆる「ブリッ子」ですが、40才を過ぎても尚、可愛く見えたいという欲望で行動しているからです。 何でもかでも「主観」で片付けられたら、長年、日本や世界の人々を観察して来た私の苦労が水の泡になってしまいます。

0123gokudo
質問者

補足

色々と私生活で忙しく遅くなってしまいました。 私の「傲慢さ」に関してですが、mikanikutiさんは「謙虚さ」をモットーに生きて来られた方のようですが、私はちょっと違うんです。学生時代「ラ・ロシュフコー」の次の言葉(趣旨)が私の気持ちにぴったり合いました。「私は、殊更、謙虚に振舞おうとも思わないし、傲慢に振舞おうとも思わない。自分の思うことをそのままストレートに述べるだけだ」---「過度の謙遜は高慢の裏返し」という言葉がありますし、当時のフランス貴族にはそういう手合いが多かったらしく、それに対する彼の反発だろうと思います。私は気取ったり飾ったりすることが大嫌いで、自分がたっぷり自信過剰であることを知っていますから、殊更、自分を低めたり、謙虚に振舞うのは、気持ちに合わないのです。そうするのは偽善に感じるのです。 私は色々なカテゴリーで随分沢山質問をしていますが、質問の意を汲み取ってマトモに回答を下さる方が一番多いですが、中には回答の後、人格攻撃をする人、更には的を得ない批判回答をする人が結構いるのです。 そういう回答者には遠慮せず、ズバッと返しています。そんな回答を読まされて、私の方も気分が悪くなるのですが、そんな回答でも黙って呑み込めというのでしょうか? 回答者ごとに対応は違いますから、他の人にした回答は貴方にした回答ではありません。他の人にした回答を以ってモノを言われたら、他の人に回答が書けなくなってしまいます。mikanikutiさんには、それほど失礼なことを言ってないと思うんですが・・・ 十人十色と言い、「好みの問題」とも言いますが、しかし、この言葉をどんな問題にも当てはめようとするのは間違いです。私のようなズブの素人が描く美人画も上村荘園の描く美人画も優劣がないことになってしまいます。芸術性の高いものは、芸術性の低いものより評価されるべきなのは当たり前だと思います。音楽も歌も同じでしょ?芸域の高いものは低いものより、多くの人を魅了し、感動を与える。今回の私の質問に対し、同感し色々回答をされた方も多いです。歌唱力の差を認識された上での回答であるわけで、「歌唱力の差を認識できる」というのが私の質問に答える必要最低条件であるわけです。この質問に限らず、そのあたりを分かっていない不遜な回答者が多過ぎます。 中島みゆきは今回、YouTubeで初めて3曲ほど聞いてみたのですが、どれも感動を与えてくれませんでした。曲名も覚えておりません。検索して上位に何度も出て来る曲ですから、ヒットした曲だと思います。私の場合(誰でもかな?)一曲聴いて、感動したら、どんどん食い付いて、はまってしまいますから・・・ 彼女は国文科出身とかで、貴方も日本の伝統文化が好きなようですから、その点で彼女の作る歌詞などに感動してしまうのではありませんか?音楽そのものではなく、歌詞によって多分に感動しているのではありませんか?私はそのような素養がありませんから、歌詞によって感動するということがありません。 自分が作る歌、自分が歌う唄の値打ちを一番知っているのは自分でしょう?国や他人がどう評価しようが、評価したからといって、自分の作るものの値打ちが上がるわけでもないし、下がるわけでもない。国家権力と学者が結びつくのを嫌って、文学博士号を辞退した夏目漱石、国民栄誉賞を辞退したイチロー、私としてこちらの方に感服しますね。わっと、飛びつくなんて、やはり人間性の浅さを感じます。芸術家も芸人も戦争の時には国家によって利用されたし、国家権力と芸術家が結びつくのもよくないと思います。ついでに言うと、オバマ大統領がノーベル平和賞を辞退していたら、彼の評価は逆に上がったと思います。喜んで受け取ったところをみると、彼は只の政治屋ですね。 「哀愁」に関しては「お礼の欄」で書きます。

回答No.17

中島みゆき大好き人間の再びの感想 その2(思いつくままに書いていたら長文になってしまいました。心よりお詫び申し上げます。その1・2・3と読んで頂ければ幸いです)  話題を変えます。私の父はもう85を超えているのですが「美人画」大好き人間です。「上村松園・伊東深水・鏑木清方」等の展覧会が私の実家近くである時は車に乗せて連れて行って私も観ています。父は若い時、家の仕事も手伝わず「上村松園」の美人画などの模写をして悦に入っていたそうです。「上村松園・伊東深水・鏑木清方」等は何十年も前に描かれた絵がまるで昨日完成したように見えます。その美しさには圧倒されてしまいます。「中島みゆき」以外のものに興味・関心がないわけではないのです。単に「中島みゆき」の「歌詞・メロディ・歌声」が好きなだけです。ただそれだけです。  0123gokudoさんの文章・回答から察するに、世界各国を訪れ、インドでも生活をしておられたとのこと…、0123gokudoさんは人生・社会を真剣に考えておられるかただと思っています。それだけに「斬って捨てる」ような表現は非常に残念に思います。「歌唱力の違いが認識できない人は、私の質問に答えるのは間違っています。」とkei0816さんへのお礼文にあります。0123gokudoさんは「絶対者」ですか?「耳の肥えた私」(noname#100021 さんへのお礼文)、「大体、一曲聴けば、その歌手の声、歌唱力、感動的な歌い方が出来るかどうかなどが分かりますから、一曲聴けば十分です。」(私へのお礼文)という表現には0123gokudoさんの「傲慢さ・尊大さ」が私には感じられます。世界を観たことで逆に世界観が狭くなっておられるのではないかと……、そのような気が私はします。これはあくまでも私の「主観」です。皮肉になりますが、中島敦の『山月記』など読まれたことはありますか?「一を聞いて十を知る」という慣用句もありますが「木を見て森を見ず」という慣用句も有ります。「木」を見て「森」を見て、その上で全体像を把握しなければならないというのが私の考えです。「美空ひばり」については「Wikipedia」で一通りのことは調べました。「美空ひばり」のデビュー曲は『河童ブギウギ』(自信なし)だと思うのですが、この一曲で「美空ひばり」を理解することなど、私にはとうていできません。0123gokudoさんのように「美空ひばり」についての専門的知識は持ち合わせておりません。ご了承ください。前にも書いたように私は「美空ひばり」を全否定しておりません。その他に名を挙げておられる歌手については残念ながら、調べる時間もありませんでしたし、聴く手段を持ち合わせておりません。  童謡歌手については「由紀さおり・安田祥子」姉妹はどうでしょうか。彼女たちは、1月から4月にかけて「童謡コンサート」を行います。スケジュールは http://www.yuki-yasuda.com/concert.htmlです。1月2日(土)には千葉ホテルニューオータニ幕張でコンサートを開いたようです。  前にも書きましたが「中島みゆき」の『らいしょ らいしょ』に次のような歌詞があります。   月夜 雁(かり)が音(ね) 借り持って跳んだ   二斗豆(にとまめ) 利が付いて 開き豆  船頭に百八つ返せ 私はこの歌詞を読んだとき歌舞伎狂言の『三人吉三巴白浪』に登場する「お嬢吉三」の「こいつぁ春から 縁起がいいわえ 」という台詞を思い出しました。   月も朧(おぼろ)に 白魚の 篝(かがり)も霞(かす)む 春の空   冷てえ風に ほろ酔いの 心持ちよく うかうかと 浮かれ烏(からす)の   ただ一羽 ねぐらへ帰る 川端で 竿(さお)の雫(しずく)か   濡れ手で粟(あわ) 思いがけなく 手に入る(いる)百両 ~(中略)~   こいつぁ春から 縁起がいいわえ 掛詞・縁語・七五調、見事な台詞です。(台詞を省略していますが、「節分」の意味と「江戸の風俗」が分からなければこの台詞は理解できません。)中島みゆきの歌詞は七五調にはなっていないものの掛詞・縁語が使われ、仏教の思想(百八つ=人間の煩悩の数)も取り入れられた歌詞だと思っています。(「月夜 雁(かり)が音(ね)」=「月に雁」(安藤広重の浮世絵)、雁が音(‘借り金’つまり‘借金’。ちなみに「雁が音」の‘が’は‘主格’ではなく‘連体格’です。古典文法の教科書を探し出して調べました。)「かり」が「雁」「借り」の掛詞。「借金」だから「利(息)」が「付いて」「百八つ返せ」です。縁語になります。(私が書くまでのことはないと思いましたが…長くなったついでに書いてしまいました)

回答No.16

中島みゆき大好き人間の再びの感想 その3(思いつくままに書いていたら長文になってしまいました。心よりお詫び申し上げます。その1・2・3と読んで頂ければ幸いです)  私は「耳も肥えていない」し、「一曲」聴いただけでその歌手の能力を見極めることなど、とてもできませんので、この件の感想を書くのはこれで終わりにします。終えるにあたり、教えて頂きたいことが二点あります。 (1)0123gokudoさんの聴かれた「中島みゆき」の曲名をすべてお教え下さい。また、それはLPですか、CDですか、You Tube等ですか、コンサートツアーですか、『夜会』ですか? (2)『 本人たちは「オレはアーティストだ」と思ってる様子がありありですね。だから腹が立つんです。』とwy1 さんへのお礼文にありますが、「中島みゆき」がいつ、どこでそのような態度・素振り、もしくはそれに類した言葉を使ったでしょうか?また発言したでしょうか?TV・雑誌等のインタビューでしょうか?寡聞・寡見にしてそのようなことを私は知りません。紫綬褒章受章時、朝日新聞の「中島みゆき」のコメントを読む限りでは「私はアーティストよ」という感じは受けませんでしたが、私のひいき目でしょうか。「中島みゆき」のコメントは    http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK200911020058.html です。 以上、二点お教えいただければ幸いです。  何しろ、「中島みゆき大好き人間」の書いた文章です。失礼な表現も多々あります。なにとぞお許しください。  なお「人生を否定されたように感じ」(私へのお礼文)てはおりません。0123gokudoさんが「中島みゆき」を否定されることに納得がいかないだけです。「怒りのコメント」と書かれてありますが「怒」ってはいません。「怒り」と受け取られたとすれば、これまた、私の文章の拙さです。You Tubeで「浜崎あゆみ・こぶくろ」の歌に対する書き込みを見ましたが、多くの人が「浜崎あゆみ・こぶくろ」から感動・励ましをもらっています。書き込みをしていない何千、何万という人が 「浜崎あゆみ・こぶくろ」から感動・励ましをもらっているということです。0123gokudoさんに言わせれば「だから聴く方も歌う方もレベルが低いんだ」と一刀両断に切り捨ててしまうのでしょうね。それが「悲しかった」だけです。「悲しみ」であって「怒り」ではありません。念のため!!  また、長くしてしまい申し訳ありません。何はともあれ、二点だけお教えいただければ幸いです。以上、駄文にて失礼します。  本当に長文のうえ駄文になってしまい、申し訳ありません。再度、心よりお詫び申し上げます。

noname#102288
noname#102288
回答No.15

良い音楽は、調和音で情緒があり、心を癒す、胎教にも良い、動物、植物にも好かれる音楽です。これを情緒思考音楽といいます。この観点からすると、平安時代の雅楽が、頂点で、現代は、音楽が退化したことになります。なぜかというと、雑音のような不協和音が多くなり、リズムが強く複雑で、歌詞は長く難しく、これらは、脳を過剰に刺激しています。これを自己表現の知性や論理、リズムで、脳を刺激して楽しむ、論理思考音楽といいます。脳を刺激すると、元気になるけど、脳の自己満足で、心の癒しではありません。脳が思考してる時は、人の心と自然の情緒との交流を、脳が遮断するので、心がストレスになります。脳が休むと、人と情緒が交流するので、心が癒されます。だから昔の日本人は、脳を休ませる情緒思考音楽ばかりを聞いていました。日本の伝統音楽は、情緒思考音楽です。現代の日本の音楽は転換期です。外国の過剰なリズムは、日本人には不向きです。日本語にリズムがないからです。しかし世界中で日本語だけ情緒があります。だから日本人は、情緒がある伝統音楽が、日本人の体質に合います。今、日本人は、自分に合った音楽は何かを、模索しています。そして伝統音楽に戻るでしょう

0123gokudo
質問者

補足

初めて聞く音楽理論でびっくりしました。というか私が無知なだけなんでしょうが(^_^;) 日本の元々の音楽が情緒思考音楽で平安時代の雅楽がその頂点であるとは本当ですか? 外国の過剰なリズムは、日本人には不向きですーーーとのことですが、私の感覚では、このリズムに乗った感覚が何とも言えないほど心地よいのですが、これはどう考えたらいいのでしょうか? 時間が出来たら、貴方の理論、調べてみたいと思います。回答ありがとうございました。

noname#111031
noname#111031
回答No.14

中島みゆきの歌は好きですが、アーティストではなくて、メローディーを作って歌う人 と して好きです。それだけで、レヴェルが如何こうと問題にするようなことではないでしょう。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

回答No.13

中島みゆき大好き人間  訂正とお詫び  私の回答の中で誤りがありました。訂正しお詫び申し上げます。   「他人の作った詞・曲を歌う「美空ひばり」とは根本的に違うのです。」という箇所ですが       Wikipediaで「美空ひばり」を調べると次のような記述がありました。      彼女が作詞し、生前に曲がついたものは22曲ある。そのうち18曲は自ら歌い、      『木場の女』『ロマンチックなキューピット』『真珠の涙』などの作品はシン      グル発売された。 じゅうぶんに調べもせずに書いてしまいました。申し訳ありません。 また「音楽の専門家ではないのでポイントがずれていると思います。」の主語は「私が」です。0123gokudo さんではありません。ここには文章を書く拙さが出てしまいました。 「生まれくれてwellcome」も「生まれてくれてwelcome」で、「て」が脱字、「wellcome」もスペルの間違いでお恥ずかしい限りです。 以上、お詫びと訂正をいたします。

回答No.12

中島みゆき大好き人間の感想  たまたまこのOKWaveで「中島みゆき」を検索したら0123gokudoさんの文章が掲載されていて「嫌悪感を催すほどのまずさ」のアーティストの一人として「中島みゆき」が挙げられていたのでこの文章を書いた次第です。  まず第一に思ったのは 0123gokudo さんは中島みゆきの歌・詞を何曲、聴いたのでしょうか?彼女はご存じのようにもう30年以上歌手活動を続けており、私も30年来のファンの一人です。歌も膨大な数に上ります。アルバムも40枚前後出しているはずです。どの程度、聴いてそういった評価を下すのかを是非0123gokudo さんに御答えいただきたいと思います。  「メロディーと声の両方に哀愁がない」とありますが、「哀愁」というのは個人の主観的感情なのではないでしょうか。また「甘えた声」とありますが、中島みゆき大好き人間としてはあの「声」に「癒し」を感じるのです。『誕生』の「生まれくれてwellcome」、『僕は夢の通り道を歩いている』の「夢の通り道で 僕は足をとめる」というフレーズに自分の人生を感じるのです。0123gokudo さんはきっと確固たる信念というか人生哲学をお持ちなのではないでしょうか。持っておられるのでこんなフレーズを「陳腐」なものとして感じられるのでしょう。彼女は中学2・3年頃までピアノを習ったことがあり、そのときに声楽を若干かじった程度ではないかと個人的には思っています。大学は札幌の藤女子大学の国文学科を卒業しており本格的な声楽は勉強していないと思います。0123gokudoさんを満足させる「声」というのはいったいどのような「声」なのでしょうか?  「総じて一本調子で、曲に複雑な旋律がなく、小節もなく、歌というよりも、弾き語りに近い。」とあります。音楽の専門家ではないのでポイントがずれていると思います。『銀の龍の背に乗って』『一期一会』などは転調が繰り返されています。「魅力は感じることが出来る」歌手の一人として「美空ひばり」を挙げておられますが、私が小学校の高学年か中学生だった頃ブルーコメッツとともに『真っ赤な太陽』を歌っていましたがその時「いい年をしてミニスカートをはいて、時流に乗ってグループサウンドかよ!」と思っていました。しかし、私は「美空ひばり」を否定するものではありません。「川の流れのように」は確かに名曲だと思います。中島みゆきは詞を作り、その詞に曲をつけ、そして歌うのです。他人の作った詞・曲を歌う「美空ひばり」とは根本的に違うのです。歌の感じ方というのは人それぞれ違うわけで0123gokudo さんのように一刀両断に斬って捨ててしまう考え方に非常に違和感を覚えます。また回答欄に「耳の肥えた私にとっては」という表現がありましたが、これも非常に「上目線」で私は嫌悪感を覚えます。  「日本では民謡や浪曲といった民族伝来の歌謡が廃れてしまいました。」とありました。確かにその通りだと思います。しかし、それは「五線譜」による西洋音楽の教育が明治以来ずっとなされていたわけで「邦楽」の音楽教育がきちんとなされていれば今以上にすばらしいアーティストが出てくるとは思いますが、それは国の政策です。これも回答欄に「隠し味があったり、料理に工夫と技巧をこらして作った方が、出来上がったものに、コクと味が出て来るわけです。味付けに塩しか知らない人間は、それはそれで美味しいとは感じるようで、それで外に目を向けようとはしないのです。」とありました。それでは中島みゆきの最新アルバム【DRAMA!】の「らいしょらいしょ」はどうでしょうか。手まり歌の一つにこんのなのがあります。「イッチョウメノ イスケサン イノジガヒライテ(地方によって若干歌詞が違うようです) 中略 ライショ ライショ ライショ」。「らいしょらいしょ」ではこの続きに「来生 来生 前生から今生見れば 来生 彼方で見りゃ この此岸も彼岸」と続きます。これなどは「手まり歌」と仏教の「三世=前世・現世・来世」の思想を融合させたものだと私は解釈しているのですが…。「ユーチューブ」で聴けると思いますので聴いてみて下さい。また「百九番目の除夜の鐘」の中に「垣草(しのぶぐさ)から萱草(わすれぐさ)」というフレーズがありますが、これは謡曲『胡蝶』の「昔 忍ぶの 忘れ草」からの引用だと思われます。国文科出身だから知っていてもおかしくはない。  『夜会』というのをご存じでしょうか。今年は東京だけでありました。今年の夜会は森鴎外の『山椒大夫』(中世の芸能であった説経節のと呼ばれた有名な演目の一つを題材にした、とWikipediaにありました)を題材とし「三世=前世・現世・来世」の「因縁」をモチーフにしたものだと自分では勝手に解釈しています。これなどは『芸術』といっていいものだと私は思っています。こんな表現は非常に俗っぽくて使いたくないのですが『夜会(二時間半程度)』に二万円払ってでも行きたいというファンは全国各地にいます。  個人的にいうと0123gokudo さんが挙げておられる「こぶくろ・浜崎あゆみ」は好きではありません。好きでないというよりも私の感性が、彼・彼女らについていけなくなったのではないかと感じています。私の父母が「美空ひばり」を受け入れてもグループサウンドを受け入れなかったように…  長々と書いてしまいましたが、自分の感性だけで物事を判断してほしくないということです。繰り返しますが「耳の肥えた私にとっては」という表現には嫌悪感を覚えます。「あの、甘えた声は、昔、童謡歌手が童謡を歌っていた時の声です。」という表現も「童謡歌手」を見下していると感じるのですが、私には……曲解でしょうか?  以上、中島みゆき大好き人間の感想です。中島みゆき大好き人間なので感情に走った箇所がありますがご容赦下さい。

0123gokudo
質問者

補足

長いコメントありがとうございます。中島みゆきは貴方の人生そのものの様な存在なんでしょうね。貴方の人生を否定されたように感じたから長い怒りのコメントになったんでしょうね。しかし、何事も冷静に客観的に考えなくてはなりません。美空ひばりに関しては過去に私の質問がありますから参照して下されば彼女が何故歌姫として君臨出来たのかが解ると思います。http://okwave.jp/qa/q4406867.html 彼女は万能選手らしいですが、真っ赤な太陽とかマドロスものは、あの程度なら他の歌手でも歌えます。彼女が追随を許さないのは「演歌」です。「無法松の一生」は沢山の歌手が歌っていますが、皆、彼女の足下にも及びません。Jazzや浪曲も上手いですが、どの程度に上手いのか私の力では判断出来ません。 また、今回「Power of Love」をいっぱい聞いて比べてみました。元々はジェニファーラッシュの歌だったのですが、セリーヌディオンが歌って世界中に感動を与えました。ドイツのヘレネフィッシャー、ロシア人男性歌手バスコフ、皆、かなり上手いですが、セリーヌディオンには及びません。セリーヌディオンの歌声が聞こえて来ると、自動的に鳥肌が立つのです。彼女の歌声には生理的に体が反応してしまうのです。 彼女のミュージックマネジャーが彼女の歌声には「人を感動させて涙を流させる」力があることを見出し、世界に売り出そうとしたとWikipediaに書いてました。これは美空ひばりと全く同じですね。ひばりが戦後「上野駅から」を歌った時、聞いていた多くの人が涙を流したのを見た彼女の母親が、この子は人を感動させる歌が歌えるから、必ず歌手として広く世間に認められるだろうと思ったと、ひばりの母親が語っていました。 大体、一曲聴けば、その歌手の声、歌唱力、感動的な歌い方が出来るかどうかなどが分かりますから、一曲聴けば十分です。mikanikutiさん、世界には素晴らしい音楽がいっぱいあります。イラン女性歌手のNooshafarin、インドの男性歌手もホールで声量豊かでダイナミックな歌い方をして感動しますよ。南米のAlboradaも病み付きになります。私は30年間マグロの寿司(中島みゆき)しか食べないなんて、いくら好きだか知らないけれど、ホントに勿体ない。今は、童謡歌手っていないのでしょう?十代の童謡歌手が子供のために甘えた声で歌うのは、アレはアレで合ってるわけです。しかし、成熟した女性が大人を相手に甘えた声で歌うのは身の毛がよだちます。相応しくありません。

  • kei0816
  • ベストアンサー率25% (7/27)
回答No.11

 名前が挙がっている五人のアーティストのファンに対して、けんかを売っているに等しい書き込みですね。それとも釣りかな。  そうでないなら、根本的に礼儀を知らない人なのでしょうね。  こんなものは無視するに限りますが、あえて言えば、かつてロックなど音楽ではない。ただの騒音だ!と言われていたことがありました。  彼らには、騒音に聞こえたのでしょう。  同じことですね。あなたが魅力がないと感じる音楽を、すばらしく魅力的と感じる人が多数いるだけです。  あなたは自分が魅力的だと思う音楽を聴いていればいい。お互いの平和のためにはそれが一番でしょう。

0123gokudo
質問者

お礼

5人は仮に上げただけで、実際は全部に近いと思います。 歌唱力の違いが認識できない人は、私の質問に答えるのは間違っています。

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