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武満徹の良さが理解できません。

zephyrusの回答

  • zephyrus
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回答No.6

ここはご質問中でも上がっている『鳥は星形の庭に降りる』に絞って、あまり一般的とは言えないかもしれない私的感想文を書いてみようと思います。ご参考になるかどうか保証の限りではありません。 この一曲は偶然のようにはじまります。実は音楽は演奏が始まる前から始まっていたのだが、演奏の開始はわれわれ聴衆が耳を傾けるタイミングを選んでみただけだとでもいうふうに。 これはちょうど、松の梢に夜昼なく風は吹いていますが、われわれがその近くに立つときだけ松籟が聞こえてくるのと事情が似通っています。 そしてその音の連なりはメロディーを主体とするテーマを持っているわけでもなく、ということはつまりテーマとそのヴァリエイションや変形とも変容とも無縁であって、また、ある音の響きやマッスで区切られているものでもないようです。従来の西洋音楽だとここは三部形式とか、それからの逸脱とか、何らかのとっかかりがあるものですが、そういうものもないようです。強いていえば二部形式で、曲の全体は長い胴体と短い尻尾のついたトルソーのような感じ。 この曲は自然の音を模したものではありません。ミュージック・コンクレート(若いころの武満徹も一枚噛んでたはずなんですが)のような具体的な何かに即した音楽でもないようです。 一定の何かの思想なり主張なりを音に託したものでもないようです。心理劇でもなく、おそらく物語でもない。しばしばロマンティックでさえありますがロマン派の音楽でももちろんありません。 また、ドビュッシーなどフランスの印象主義音楽が感じさせてくれる覚醒させるように鮮明な感覚的な音のつながりでもありません。 人間の強い意志が働いたある統率の中にあるともいえず、そうした人間的な意志や感情をも含めた、もっと広範囲の茫漠たる世界が、たまたま切り取られた断片という形でわれわれの前に立ち現れるのです。けれどもそれは何と精緻で繊細な音の響きの連なりでしょう。 これは一種の標題音楽なんですが、作者がどこかで言っていたように、標題はその曲のいちばん外側にある枠であって、すべてはその内側で行われ、起こるのです。 この場合は「鳥は星形の庭に降りる」の枠内にあります。英語訳も大事なところで(あるいは英語の標題があって作者自身によって日本語訳されたのかもしれませんが)それは「A Flock Descends into the Pentagonal Garden」となっています。 pentagonalからただちにpentatonic五音音階を連想してしまうことを作者はひそかに期待しているかのようです。西洋音楽の基準からは特殊なこの音階も、世界規模でみれば最も広範囲に使われている音階にほかなりません。それはさておき、 flockとは何かの群れ、この場合は鳥(アホウドリか雁かスズメかはわからないが)の飛翔する一群、それが星の五角形に光る庭にintoしている(現在形)というのです。 そのintoのさまは、この曲の終る直前にそれまでの音の気分をあらためてはじまり、時間にして五秒か十秒、光り輝く世界が暗示されます。ちょうど東洋の絵画が、西洋の絵画のように絵で埋め尽くすのではなく、余白を十分に利かせて暗示させるように。予兆のようにおぼつかなげでありながら確信に満ちた暗示です。 それは限りない憧れであり同時にその成就であり、幸福の予感であり同時にその達成であり、深々と広がる寛容の世界への到達のように聴こえます。水面に落ちてくる一滴のしずくのように。 仏教用語でいえば「涅槃」というものに近いのかもしれません。 音楽は文学ではないことは重々承知しているつもりです。誤解されないように願うのですが、ブンガク的に書こうとしたのではなく、私が聴きとったと思う一曲の雰囲気をなんとか説明しようとしているだけなんです。 西洋の近代までの音楽は、たとえばマーラーやブルックナーのように、はじめはとっつきにくくても聴き馴れるに従って耳に親しいものとなります。音楽とはこのようなものであったのかと納得さえするでしょう。学校教育を通じて早くから親しみ、また周りにあるポピュラー音楽も、このクラシック音楽の富の直接の継承者であるのだから、普段聴く音楽もみな西洋発祥の音楽にほかなりません。 つまりバッハもモーツァルトもベートーヴェンも聴けばひじょうによくわかるのです。けれどもどこか中心のところがわかっていない気もする。たとえば宗教観というようなものとか。自由とか平等とか。イデーとか。 そこへいくと、武満徹の音楽は逆のことが起こるのです。 よくわからない。けれども根っこのところはとてもよくわかると。

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