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「エンド・オブ・ザ・ワールド」
オールディーズの名曲で「エンド・オブ・ザ・ワールド」ってありますよね。 スキーター・デイビスという女性歌手が歌った曲です。 これって、私は切ない恋の歌だと思ってたんですけど、先日年配の人から、これは本当はそういうラブソングではないんだよと言われました。そのときは詳しい話を聞けなかったので、その後ずうっと気になっています。何かいわれがあるんでしょうか?
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「エンド・オブ・ザ・ワールド」、名曲ですよね。スキーター・デイヴィスのシングルが'63年に全米ポップスチャートとカントリーチャートの両方で第2位まで上がる大ヒット曲になりました。その後いろいろなアーティストによってカヴァーされているのもご存知だと思います。「この世の果てまで」という邦題がつけられたカヴァーもあります。 さて、結論からいうと、「エンド・オブ・ザ・ワールド」の作詞者であるシルヴィア・ディーは、父親の死に思いを込めてこの詞を書きました。ですから元々はラヴソングではなく、愛する誰かを失ったときの心の痛み、やり場のない悲しみを歌ったものです。そして、この曲を最初に歌ったスキーター・デイヴィスにとっても、この歌は特別な意味を持っています。 スキーター・デイヴィスは本名をマリー・フランシス・ペニックといいます。スキーターは子供の頃に祖父につけられた愛称です。彼女には幼なじみの親友、ベティ・ジャック・デイヴィスがいました。2人はカントリー・ミュージックが好きで、'49年にデュエット・グループを作り、ベティの名をとってデイヴィス・シスターズと名乗ります。ローカル・レーベルからシングルを出したあと、'53年には大手レコード会社のRCAと契約して第1弾シングルも出し、前途洋々の2人でしたが、移動中の車が交通事故にあい、スキーターは怪我で済んだものの、ベティは亡くなってしまうという悲劇が起こります。 皮肉なことに彼女らの第1弾シングルはカントリー・チャートの1位にまで上がるヒットとなります。レコード会社はベティの妹と新グループを作らせたりと、いろいろスキーターに働きかけますが、彼女はショックを引きずります。ようやくスキーター・「デイヴィス」として、ソロ活動を始めるのは、事故から5年後の'58年のことです。それからカントリーチャートでのヒットも続いた彼女の前に、この曲が現れたのは'62年のことでした。彼女がこの詞を見たときに、亡きベティのことを想い浮かべたのはいうまでもありません。ですから彼女にとっても、これは無二の親友だったベティに捧げる特別な1曲になっているのです。
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こんなエピソードがあったなんて知りませんでした。 この回答を読んでから、先ほど何度かこの曲を聞いたんですけど、なんだか泣けてきちゃいました。でも歌詞は殊更に「死」のことを書いているわけでもないし、とても平易な言葉で書かれた普遍性のある歌詞ですよね。だからこそラブソングとしても聞くことができるんでしょうね。 知人が言っていた意味がよおーくわかりました。ありがとうございます。 本当にお詳しいんですね!またよろしくお願いします。