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特殊不法行為の理論的根拠その2

特殊不法行為の理論的な説明の仕方について、報償責任、危険責任等に ついてはいいのですが「被害者保護」という時に、以前から、しっくり こないものがあります。 といいますのは、報償責任、危険責任等で説明される場合でも、その第 一義は「被害者保護」であると思われるからです。 特殊不法行為である使用者責任(715条)について言えば、被害者保 護は必要性からの説明であり、報償責任、危険責任は許容性からの説明 であるということが出来ないでしょうか。 つまり、私的自治を裏から支える過失責任、自己責任の修正を許容する に足る理由づけが必要であり、それが報償責任であり、危険責任である と思うのです。 特殊不法行為の説明をする場合には、許容性からの説明をしないと、特 殊であることの説明にならないように思うのです。 共同不法行為については、「共同行為については、共同の責任を負うべ きである」というのが「分割責任の原則」を修正する理由づけになり、 監督者責任については「監督責任の義務の存在」が自己責任等を修正す る理由づけになると思うのです。

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回答No.5

No3です。お礼の中の質問に対する返信です。 <ご質問前段(図式)の点について> 共同不法行為(以下、1項前段を前提)については、考え方はいろいろあると思いますが、私が習ったところでは、質問者さんの思考パターンとは、「逆」です。 大枠として、「共同」=「加害者一体」を定めた上で、(1) 主観的なつながりがあれば、一体といえるし、(2)(主観的なつながりがなくても)客観的に一体と評価できればそれでもよい、というものです。 本によっては、主観的関連共同と客観的関連共同を択一的に書いているところもあると思いますが、より共同しているといい易い主観的な方から検討しつつ、ダメなら客観的へと順次検討すべきと思います。 私の記憶では、沿革的にも、主観的関連共同の方を先に念頭において、後から客観的で足りる云々の議論が出てきたと思います。 順番はそれでいいと思いますが、あえて主観的なつながりがあるのに、それを無視して客観面だけを論じるのは事実の捉え方として不自然と思います(刑法でも片面的共同正犯を否定するのが通常ですし。刑法と違って、客観的関連共同が認められるのも、被害者保護重視の観点からでしょう。)。 まとめると、趣旨に、加害者の一体性と被害者保護を上げつつ(被害者保護は客観的関連共同の方で論じた方が効果的かもしれませんが論文対策は質問者さんの方で考えてみてください)、加害者一体の具体的な要件として、「主観」→「客観」の順に要件を論じていく、という方法でよいと思います。 <ご質問後段(真正連帯債務)の点について> 共同不法行為における連帯債務の効果として、不真正連帯債務とする趣旨は、(1) 被害者救済(債権の効力の強化)と、(2) 債務者間の内部関係の不存在(負担割合の合意不存在)、にあります。 (1) の点から言えば、主観的関連共同でも、客観的関連共同でも変わりはありません。 また、(2) の点についても、主観的関連共同といっても、「加害行為」についての主観的なつながりに過ぎず、後の損害賠償債務の負担割合まで合意することは稀でしょう(仮に合意があったとしても、債務者間の最終的な負担・求償関係の問題として考えればよく、被害者との関係ではあくまで債権の効力強化として不真正と考えるべきでしょう)。 なお、債権の効力強化といいつつ、時効中断に絶対効はありませんが、これは、相対的効力とすることからの帰結だからやむを得ないものと考えます。

a1b
質問者

お礼

懇切丁寧かつ論理明快な回答有難うございます。 ご指摘のように、議論が逆立ちしてしまっていたようです。 私の場合、全てを私的自治から演繹しようという傾向があるのですが、 共同不法行為についても共同の意思というもので行為者の責任を論じよ うとしました。 この点、被害者の救済の観点が欠落していました。 しかし、不法行為制度は、「人はその意思に基づかないでは他人の行為 による損害を受けるべきでない」という点で「私的自治の保障手段」と して機能を持っていると聞きまして、私的自治の観点からも被害者の救 済について十分に考慮しなくてはならないことに思いいたりました。 今回の問題とは関係ないのですが、事務管理、不当利得、物権的請求権 についても、「私的自治の保障手段」としての機能として説明されると いことでしたので、なにかとてもスッキリした感じがしています。 今回も私の愚問に辛抱強くお付き合いいただいまして有難うございまし た。 追伸:頂いた回答にありました「民法自体、「信義則」を具体化した法 律です。」については、今は自分なりに解消していますが、以前にこれ に関連して悩んだことがあり興味深いです。 機会がありましたら、ご高説を拝したいと存じます。

その他の回答 (4)

  • v008
  • ベストアンサー率27% (306/1103)
回答No.4

一般常識レベルで  使っている言葉が 不正確で不適当もしくは不十分だと感じるからです。一部の高度な法律家にとっては 善意に不足分を補完して解釈する事によって通じるのかもしれません。  気にしないでください。

a1b
質問者

お礼

的確な回答を有難うございます。 確かに、読み返してみますと、いい加減な表現になっていますね。

回答No.3

> 報償責任、危険責任等で説明される場合でも、その第一義は「被害者保護」であると思われる… 私が、「その1」で、「被害者保護」の言葉を用いたのは、「『特に』、被害者保護」の趣旨です。 例えば、時効の利益の放棄の議論で「信義則」で説明するのが判例ですが、 民法自体、「信義則」を具体化した法律です。 この関係を説明するのは難しいですが、強いて言うなら「holon」(英語)見たいなものと思いますが、分かり易く言うなら、「特にこの場面では信義則」ということかと思います。 ご質問の件で、広く見ていけば、多くが「被害者保護」で説明できるのも、同様と思われます。 突き詰めていけば、トートロジカルですが、法自体がそういう問題を内包してる(法哲学とかで習う、契約の拘束力の議論)ので、余り深く考えない方が、試験勉強には良いと思います。 >使用者責任(715条)について言えば、被害者保護は必要性からの説明であり、報償責任、危険責任は許容性からの説明… たしかに、 「原則として、行為者が、責任を負うべきである。しかし、資力に難があり、被害者を保護する必要がある。思うに、使用者は、被用者を利用して活動範囲を広げており、利益の代償として責任も負担すべきである(報償責任の観点)。そこで、使用者にも責任を負わせるべきである。」 という論法で説明することは可能でしょうから、必要性・許容性の観点から説明することも無理ではないでしょう。 ですが、例え分析的にみれば成り立つ論法でも、論文試験でこれを展開すると、歩兵を倒すのに対戦車ミサイルを用いるようなもので、やり過ぎ感があります。 この場面では、「被害者保護」は、当然の前提とし、通用性のある、報償責任・危険責任からスタートすれば足りると考えます。 原則に対する例外は、必要性・許容性から導く、というのは、法律学において重要な思考パターンですが、総てにこれを当てはめるのは難しいし、その必要もないと思います。 明文がない場合には、必要性・許容性を論じて、説得する必要がありますが、明文があれば、それ自体が、「許容性」にあたると考えられます。 特殊不法行為は明文があるので、趣旨自体について、熱く(厚く)語るべき場面ではないと思います。 ただ、共同不法行為については、難しい。 自分の中でも、共同不法行為の趣旨については、効果の修正に足るべき帰責性と被害者保護、で理解していますが、「その1」で、あえて「帰責性」を書かなかったのは、トートロジーっぽいこと;被害者保護の必要性が特に強いこと;その他;の考慮によるものです。 質問者さんが、「共同行為については、共同の責任を負うべきである」というのも、(もうワンステップ、「○○であるから」、が必要でしょうが)もっともだと思いますよ。 恩師の先生も、共同不法行為については、被害者の救済の観点を重視しておられました。その上で、共同行為者の範囲をどのように決めていくか、をきちっと説明していく必要があり、「加害者一体型だから…」のように、当然のごとく類型に当てはめていくのは説明不足とされていました。 強いて言うなら、後ろの部分が、許容性の議論に当たるのでしょう。私で言うところの帰責性、質問者さんで言うところの「共同行為については、共同の責任を負うべきである」、を具体化して、要件を立てていく必要があるでしょう。 (私見では、「共同」の行為として、連帯責任を負わせるのは、実質的にみれば全体として1個の行為と評価できること、を理由にします。加害者一体型のうち、主観的関連共同については、各行為者が互いの行為を認識し、利用している場合 [刑法でいうところの行為共同説]、実質的には全体として1個の行為と評価できるとして、これを要件に、強力な効果を認める。客観的関連共同は、場所的・時間的近接性から、社会通念上一体の行為であると評価できることから。) こういった思考があったこともあり、「その1」では冗長になると思ってあえて書きませんでした。 監督責任については、質問者さんのような考え方でよいのではないでしょうか。

a1b
質問者

お礼

いつも、懇切丁寧かつ論理明快な回答を有難うございます。 今回も、私の疑問の意味をご理解していただき、的確なご指導を有難う ございます。 頂いた回答と併せて、特殊不法行為の議論の沿革を眺めていて、そのよ うな表現にせざるを得なかったのが分かるような気がしました。 もう既に20年満点の回答を頂いているのですが、頂いた回答に関連し まして、お伺いしたいことがあります。 共同不法行為についてです。 多数当事者の債権債務は私的自治の原則からは分割債権債務が原則とさ れています。 連帯債務については、債務者間に共同して弁済するという特約があると して、やはり私的自治の原則により分割債権債務が修正されていると聞 いております。 共同不法行為については、共同は主観的なものでなくて、客観的なもの で足りるということで、共同して責任を負うという意思に欠けることか ら、根拠を「加害者一体型だから…」とか「共同の行為には共同して責 任を負う」に求めていくという図式になるのでしょうか? また、行為者間に主観的な共同が認められる場合には、真正な連帯債務 を負う可能性もあるのでしょうか? 宜しくお願いいたします。

  • v008
  • ベストアンサー率27% (306/1103)
回答No.2

>特殊不法行為である使用者責任(715条)について言えば、被害者保護は必要性からの説明であり、報償責任、危険責任は許容性からの説明であるということが出来ないでしょうか。 これだけですよね質問は。 無理だと思います。

a1b
質問者

お礼

回答有難うございます。 以下が私の思考過程なのですが、その過程にとんでもない思い違いや勘 違いがあればご指摘していただけるととても助かります。 各種制度には、その必要性と許容性があると思うのです。 不法行為制度でいえば、その存在意義というべき被害者の救済という必 要性と、しかしそれは無条件なものでなくて、私的自治の範囲内で行わ れなくてはならないとか、公平なものでなくてはならないという許容性 のしばりがあると思うのです。 一般不法行為と特殊不法行為は、その存在意義(必要性)たる被害者の 救済(被害者保護?)は共通しており、許容性たる私的自治に係る修正 が行われており、それについての根拠、説明が必要だと考えました。 尚、今回の疑問の発端になりましたのは、「使用者責任について、その 根拠は報償責任であるが、まず第一は被害者の救済であり、前者は許容 性、後者は必要性である」旨を云々したメモ書きがあったからです。 何かの資料から写しとったものと記憶しているのですが、その出典がは っきりしません。 宜しくお願いいたします。

  • aka_natu
  • ベストアンサー率11% (5/44)
回答No.1

>といいますのは、報償責任、危険責任等で説明される場合でも、 >その第一義は「被害者保護」であると思われるからです。 ここが間違い。 これは、責任はどっちが負うべきかの話しです。 君の場合、勉強の仕方が悪いのかな。 内田先生とかの民法のテキストレベルのものを読んで分からない ところがあったのならさ、つぎは、その分からないところについて 書かれた詳細な研究論文を読んで、勉強してみようね。

a1b
質問者

お礼

いつも的確なご助言有難うございます。

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