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「やっともらってくれる人が出来ました。」と婚約報告をする女性に、何か言いたいことはありますか?
先日、ある趣味のサークルで、このように報告をしてくれた女性がいました。あなたは、「そうか!彼女にも、もらってくれるような男性が現われたのか。それはよかった!」と素直に喜べますか?それとも、何か変だな!と思いませんか? あなたなら、彼女に何か言いますか?
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NO.11です。 「今時こんなこと言う人がいるんだ」についてです。 彼女が自虐ネタではなく本気で言っているのだとして、私が その言葉の印象から感じることです。 今の時代の結婚生活は、精神的にも経済的にもある程度自立し た人同士じゃないと、この厳しい世の中でやっていけないので はないでしょうか。 「もらう」とか「あげる」という意識だと、「私の人生あなた にゆだねます」って言っているみたいで相手の男性も相当負担 だと思います。無意識のうちに言動に表れてしまいますからね。 私自身、若い頃プロポーズしてくれた男性に対してこれに近い 考え方をしていたことがありますが、「ちゃんと自分の世界を 持っている人がいい」と言ってフラれてしまいました。
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- motacilla
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ええと > それとも数ある日本の慣習的表現の中で、「嫁に貰う」にだけ特別な思い入れがあるのでしょうか? > それって何故なのでしょう? コレについては触れてなかったようですが、補足を見ると特に「嫁に貰う」特定ではなく、(質問者さんの判断される)誤った使い方全てに対して、異を唱えていく・・・という事のようですね。 ピンポイントに「嫁に貰う」を指定されて来たので、「あれ?」と思った釈然としない気持ちはまだ残っているのですが・・・。 まぁアンケートな事ですし、お礼や他の方へのお礼を読んだ後でも「全然おかしいと思わないです。逆にわざわざ慣用表現を額面通りに受け取って論われたとしたら、変な人だなぁと思います(思うだけだとか、自分は使わないとかなら良いんですがね)」という回答になってしまいました。 ちょっと逸れますが >ご指摘の、「愚息」や「つまらないものですが」という表現は、特に海外の人たちからは奇異の目で見られていることはご承知の通りです。 日本文化を観光目線でしか捉えない海外の人の言う事に重点を置く必要は、ないと私は判断します。少なくとも、「外人(何故か白人が多いですが)が変だと言うから改めなきゃ」、「外国では普通だから良いんだ」という感覚の方が私は理解出来ません。それぞれ背負った文化があるのですから、それはバラエティ番組のネタにする程度で良いと思うのですが。 彼らが「ニホンジン、ツマラナイモノアゲルノ、オカシーデース」と言う重みは、「ハラキリ!ゲイシャ!ワンダホー」の重みに似ていると思うのです。 この辺りも私の「おかしいとは思わない」に関係しているのかも知れないです。No14さんの仰った意味とは少し違いますが、直訳すると確かに変だろうけど、その言葉の背景や歴史や文化を含めて、それを含めての「言葉」ってあると思うんですよねー。 少なくとも「貰う」という表現も、本人だってイヤな場合には使わないですし、使わせないですよ。夫方の家に言われる場合とか。あなたが危惧する「イヤな想いをする人」だって、ちゃんと自衛してるでしょう。 回答が、1回目の解答と被るので、回答するべきか悩みましたが、こちらからの補足要求でしたので、最後に回答させていただきます。
お礼
motacillaさん かなりきつい論調で、私の理論を展開しているにも拘らず、おつきあいいただき有難うございます。 前のご回答では、「嫁に貰う」以外の、「愚息」や「つまらないものですが」という表現について補足要求をされていたものと理解しましたので、そちらについてだけ触れました。 なお、次の2行でおっしゃっている意味がちょっとよくわからないのですが、 「まあアンケートですし、色々な意見があると思うのですが、あなたのお礼を読んでみても、世間で普通に通用している表現をことさらにあげつらい、変だ変だ!というあなたの意図が理解できないのですが・・・。あなたがそう思う、自分は使わないとかなら良いんだけど、人に押しつけるのはいかがなものか?」・・・といった意味でしょうか? もし、そういう意味なら・・・そうですね。確かに自分の意見を押しつけているように聞こえるかもしれませんね。前の方へのお礼で「それでも、そんなのは過剰反応だ、今のままで何が問題だ、と思われるのは勝手、しかし、その考え方を人に押しつけてほしくないのです。」と書きましたが、私も気をつけないと・・・。ただの意見の表明のつもりですが皆さんを攻撃しているように聞こえたらご容赦ください。 そこで早速ですが、その次のご意見にも残念ながら賛成できません。たとえ観光目線であっても、外部の人が言うことであっても、いやそうだからこそ、何も予備知識や偏見がない人だからこそ、その言葉には重みがあり、尊重すべきだと思うのです。これに限ったことではありませんが、何かの同好会やクラブのようなグループ・団体で、自分たちの背負った文化があるのだから、その文化や伝統に基づいたやり方はパーフェクトであり、外部の人や新入りの人がいくらおかしいと言っても一切変える必要はないと言い出したら、あなたはどう思われますか?彼らに我々のやり方の良さがわかる筈がない、彼らにとやかく言われたくない、意地でも改めないというなら、そんな組織は時代とともに廃れるばかりではありませんか? 勿論伝統は大事ですし、尊重しなければいけません。しかし、社会の一部でも違和感を覚えるような伝統ややりかたはどんどん変えていくべきではないでしょうか? それを「おかしいとおもわないからいいんだ。」という発想では、時代に取り残されるばかりだと思います。
- motacilla
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>本当に「言葉の綾」で笑ってすませられるのですか? はい。私は笑ってすませられますけど・・・特別に差別的な発言でもなし、「愚息」だとか「粗品」とかそういう言葉って他にも沢山あるじゃないですか? 逆に興味が沸いてしまったのですが、質問者さん、モノあげた時に「つまらないものですが」と言ったりするのにも、この質問や各々のお礼と同じくらい色々と(結局は)否定的な反応を示されるのでしょうか? それとも数ある日本の慣習的表現の中で、「嫁に貰う」にだけ特別な思い入れがあるのでしょうか? それって何故なのでしょう?
お礼
No.14さんがご指摘になった通り、「言葉には、さまざまな不平等や差別、迫害といった歴史の中から生まれたものもたくさん含まれており、言葉が悪いのではなく、悪いのはそこに生きた人間たちだ。言葉は、本当に社会が必要としなくなれば自然に廃れる。人間が意図的に制御できるもんじゃない。」・・・といった見解もあり、言葉ひとつを取り上げてあれこれ言うのは意味がないという理屈もわかります。 確かに言葉の変革は、社会の変革の大分あとについて来るものだと思います。それまでは私のような少数派の人のみが、その使い方はおかしい、と言って異を唱えますが、大半の人はあなたのように、社会で通用しているのだから別にいいじゃないかと言うのだと思います。 しかし、それでは言葉の誤った使い方にしっかりと異を唱え、そこから世の中の考え方を変革して行こう、という少数派の動きが意味がないのかと言われるとそうではないと思うのです。 ご指摘の、「愚息」や「つまらないものですが」という表現は、特に海外の人たちからは奇異の目で見られていることはご承知の通りです。従来の我々の周りの狭い世界ではなあなあでよしとされていたことに対しても、社会の中の一定割合が不快を感じたり違和感を覚える言葉はやはり言い換えた方がいいと思うのです。そう言った言葉をしっかりと否定し、言い換えの言葉を提案していくことが、きっと何十年もしたら、やはりこの言葉の使い方はおかしいから変えよう、という社会的コンセンサスにつながっていくのだと思います。
NO.11,NO.19です。 私は高校生の時に「亭主元気で留守がいい」と思っていました。 (そういう流行語ありましたよね) その頃は結婚したら旦那様に養ってもらってぬくぬく生活して いけばいいのだと思っていました。 (若気の至りです) 高校生の時にプロポーズしてくれた彼がいましたが、結局結婚に は至りませんでした。 高校を卒業してすぐに結婚していたら私も「もらってくれる人が …」と言っていたかもしれませんし、そんな結婚は破綻していた と思います。 大学を卒業して社会人を経て結婚しました。 夫が精神的にも経済的にも依存してくる人だったので、「私が一 生稼ぎ続けないといけない」とすごいプレッシャーになりました。 資格取得の勉強に励みキャリアを積む努力をしましたが、女性が一 生稼ぎ続けるのは大変なことだと思いました。世の男性もこんな思 いで働き続けているのなら、女性が全身で寄りかかったら苦しいだ ろうなぁ、と想像しました。 常に自分を客観視してないと、依存に陥り易いのが結婚だと思いま す。 でも、もし私が質問者さんの立場だったとしても彼女には「おめで とう」とだけ言うと思います。経験しないとわからないこともある と思うからです。私自身、まだ経験してないことを言われてもピン と来ない人間なのでそう思うのかもしれません。それで彼女の結婚 が破綻したら、それは気の毒だとは思いますが、それも人生の経験 かな…と。薄情かもしれませんが…。
お礼
ご経験に基づいたしっかりしたご意見に大いに共感します。 >常に自分を客観視してないと、依存に陥り易いのが結婚だと思いま す。 その通りだと思います。常に自分をしっかり持ち、客観視していないと・・・。 でも、他人に言うかとなるとやはり普通は「おめでとう」だけなのですね。確かに、経験しないとわからないこともあるし、第三者がそれを指摘する義務まではないでしょうからね。結婚はあくまで本人の問題ですね。でも私はそれを敢えて指摘した。それはそれでいいと思います。相手がどう捉えるかは相手次第だと思いますが・・・。
「やっともらってくれる人」という表現から、彼女が過去にいくつか辛い恋愛を経験してきたことが伺える様な気がしました。 初めて好きになった人からすんなりプロポーズされた人からは出てこない言葉だと思うのです。 それと、彼に「もらってもらう」という表現は、彼女の方が彼にぞっこんだから出る表現なんじゃないかと思ったりもしました。 女性側が「結婚してあげる」という気持ちでいたら出てこない言葉だと思えるからです。 そんなことから、私は素直に「やっと幸せになれるね。よかった!おめでとう!」と心から祝福しますね。
お礼
>彼女が過去にいくつか辛い恋愛を経験してきたことが伺える 彼女の恋愛歴については知りませんが、どちらかというと良い意味の八方美人で、これまで特定の恋人はあまりいなかったのではないかと勝手に想像しています。今回も見合い結婚ですし・・・。 >「もらってもらう」という表現は、彼女の方が彼にぞっこんだから出る表現なんじゃないかと思ったりもしました。 これは、これまでの皆さんの回答の中には出てこなかった新鮮な解釈ですね。これは十分ありうると思います。それほど彼を信頼している現れと見て取ることもできるかもしれませんね。
- cucumber-y
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#8です。 過大なお礼を頂き、拝読しながら実はかなりホッとしました。 目上の方に砕けた回答を書くときは緊張します。^^; 実は私の考え違いで、ご質問者さんは柔軟な思考をされる方と判断させて頂きました。 そこを踏まえて失礼ながらの再回答です。 >私が言うのは、しかし、社会全体が、そういう言い方が当たり前だ、と解釈するのは、少し変だな、ということなんです。 私の考えでは、社会の多くの方は、そのような言い方を当たり前と思っていないと考えた女性の懐古的笑いで照れを隠す「挨拶」であったと想像しています。 そう考えれば、その女性とご質問者さんは、その点において同じ常識を持ち合わせていると考えることもできます。 他のご回答者さんのご回答も、それに対するご質問者さんのお礼もまだ全て読むに至っていませんが結局のところ、その女性に「おめでとう」の心が伝えられたのならば結果としては良かった話です。 今から私も他のご回答者さんとご質問者さんの文章を拝読させていただき、ちゃっかり何かを得ようと企んでいます。(笑) 蛇足ですが私は極めて自己中心的な動機から回答をしている者です。 よって、かなり回答が挙がっておりますので私の補足色の強い再回答にまでお礼を添える必要はないと考えています。
お礼
6/10深夜にも「合唱」関係の質問に回答頂いたcucumber-yさん、何度も有難うございます。 「柔軟な思考をされる方」とは過分なご評価で恐縮です。果たしてどうでしょうか?自分ではそのように努力はしているつもりですが、頑固な一面も持ち合わせた矛盾の多い人間だと思っています。今回のお礼でも相当書きたい放題ですみません。 >そのような言い方を当たり前と思っていないと考えた女性の懐古的笑いで照れを隠す「挨拶」 ・・・まあ、そうであればいいのですが。 >その女性に「おめでとう」の心が伝えられたのならば結果としては良かった話です。 別に結婚自体にけちをつけているわけではありません。十分「おめでとう」とは伝えました。その上で、幸せな結婚生活を送る上で、どうしても伝えたかったことを伝えました。
- localtombi
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要するに謙遜ですよね。 「こんな私でも、やっともらってくれる人が見つかりました」・・・ 内心はすごくうれしいんですが、一歩引いた感じで言ったんでしょう。 素直に、「おめでとう、もらってくれてよかったね」と言いますね。 別に言質をとらまえて、ああだこうだ言うほどのものでもないでしょう。 よく、大抜擢されて大きな仕事を任された時に「私でいいんですか?」と言うことがありますが、それと似ています。
お礼
内心はすごくうれしいんですが、一歩引いた感じで・・・これは謙遜を美徳と考える日本人特有の神経だと思います。 勿論それは確かに美風であり、人に自分の喜びやはしゃぎたい気分を押し付けず、さりげなく伝えるという、理にかなった言動だと思います。 >別に言質をとらまえて、ああだこうだ言うほどのものでもないでしょう。 言葉にはその背景に様々な人々の思惑・潜在意識や文化人類学的な背景がうずまいています。通りすがりの人に対して無視できることでも、アある程度親しい人に対しては、自分の無視できない存念はしっかり伝える必要があると思います。
- motacilla
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自虐謙遜含めてそもそも慣用表現なので、脳内で「結婚します」と直訳され何とも思わないですが、私的には 「やっと~出来ました(頑張ってもなかなか出来なかった事が、やっとなんとか出来ました)」の表現の方が引っかかりますね。 「やっともらってくれる人が出来ました」と言われた時に感じる自虐だとか謙遜?は「やっと結婚出来ました」と言われた時に感じるものと同じです。 「嫁にいく」を「もらってくれる」と表現する事に対しては、特に何とも思いません。 昔は物理的に嫁が相手の家に入った事から「貰う」という表現が発生して今もそれが残っているのも納得出来ますし、「貰う」で主語が相手になってしまう以上、「貰ってくれる」という相手を立てる(自分がへりくだる)表現になるのは言葉の綾ですので。 30代女性。
お礼
「やっと・・・出来ました。」に抵抗を感じられますか?そうですか。 まあ、人の感じ方は様々ですから・・・。 別のその方は、そんなに自分を卑下(?)するほど出来の悪い容貌や人柄でもないし、年は20代の後半か30代前半だろうけど若く見えるし、チャーミングですよ。それに何で、そんな今時珍しいセリフをたとえ照れ隠しでも言うのか、先ずは驚きでした。本当に「言葉の綾」で笑ってすませられるのですか?
全然変に思いません。 おめでとうと素直に言います。 “お嫁さんを貰う”とは良く使う言葉ですし、一番良い時期に “あたしをもらってくれるんだ~♪”と嬉しくて言ってみたい 事もあるでしょう。 周りがそれを聞いた時、少し控えめに発表したかったんだろうな とも感じますし、文面だけからなら何も嫌な感じがしません。 何はともあれ結婚発表ですから、色々考えるよりおめでとうが 一番の言葉だと思います。
お礼
>周りがそれを聞いた時、少し控えめに発表したかったんだろうな それはそうでしょうね。誰しも照れ隠しの側面はあるでしょうから・・・。 私も相手が別に通りすがりの人なら「おめでとう」で済ませます。その方が気持ちがいいし、当たり障りがないからです。 でも少しの間でも同じサークルの仲間として「同じ釜の飯を食べた」相手なら、やはり本当に幸せになってほしいので、このようなセリフを聞くと、「ちょっと待てよ。君そうじゃないだろ。」とおせっかいでも一言言っておきたくなるのです。 「結婚」の瞬間を祝うだけでしたら「おめでとう」だけでよくても、その後には長い結婚生活が待っています。その結婚期間を通じて、女性がずっと「私はこの人の嫁にもらわれてきたんだ。」という意識が抜けきらないと、相手の男性に例えば支配的言動を取られても、そうした従属的関係に甘んじ、相手に迎合・妥協し、自分を追いつめていってしまうのではないでしょうか? 結婚は言うまでもなく対等の関係の構築です。どちらかが他方への依存が過ぎると、ゆがんだ不幸な結婚生活になってしまいます。 ここで私の言葉を明かします。 「君が相手の人をもらった位のつもりで言った方がいいよ。夫婦は対等なのだから・・・」 勿論、「もらう」という言い方は、どちらサイドからでも厳密には好ましくないことは承知しています。でもその位言ってやっと丁度良い加減の夫婦関係になるのではないかと思って、笑って諭しましたら、よくわかってくれたようです。
素直に喜べます が、ちょっと嫌だなとは思います もしこれが「自分が結婚報告をしたら『もらってもらえてよかったね』と言われた」だったら、もっとハッキリ不快だと思いますね 私は女性ですが、たぶん自分が男性だったら気にならないと思うんですよ 男性がもらわれる、という表現はあからさまに冗談だとわかるので。 女性がもらわれる、というのはむしろ冗談ではない含み(背景)があるから嫌なんだと思います 現実には、言われた本人が不快や違和感があると言っているのに「それでも言う」という人に対してはどうしようもないですが なるべく相手にしないようにしています 年代は、目上の人が多くてそもそも「違和感があります」などと口にするのもはばかられる年頃です
お礼
>女性がもらわれる、というのはむしろ冗談ではない含み(背景)があるから嫌なんだと思います。 多くの女性は、内心、上記のような「冗談ではない含み(背景)」を意識した上で、自虐ネタや照れ隠しで他人に対して迎合しているだけだと思います。表面的には、そんなこと(?)で異を唱えたり、不快になったりすると他人に対して大人気ないと思われるんじゃないか・・・ということで遠慮しているのでは? だから、私は代わりにこのスレッドで異を唱えてみたのです。 たとえ現状では少数派であろうと、社会の中の一定割合が不快を感じる言葉はやはり使わない方がいいと思うのです。最近、ジェンダーや弱者保護の観点から、性差や障害を殊更に強調する言葉の言い換えが進んでいるのも、言葉から社会や人々の意識を変革しようとする動きだと思われます。 (例)看護婦→看護師 (英語でもchairmanなど末尾に'man'のつく言葉→chairpersonなど男女両用の'person'をつける) 障害者→障がい者 「目・耳・口・足・・・などが不自由な人」という言い方など それでも、そんなのは過剰反応だ、今のままで何が問題だ、と思われるのは勝手、しかし、その考え方を人に押しつけてほしくないのです。
補足
kari-umeさん、「女性がもらわれる、というのはむしろ冗談ではない含み(背景)があるから嫌なんだと思います。」と女性の心の内をわかりやすく解説頂き有難うございました。良回答のひとつと思いますが、ポイントが尽きてしまったので、次点ということでご勘弁ください。 なお、お礼の末尾の文章は、何もkari-umeさんに向けたものではありません。「そんなのは過剰反応だ、今のままで何が問題だ。」と思われる向きに対しての私の言い分です。でも私も今回は大分強く反応したことはちょっと行きすぎだったかなと反省しています。 (2009.6.30〆切に当たって)
>あなたは、「そうか!彼女にも、もらってくれるような男性が現われたのか。それはよかった!」と素直に喜べますか? 素直に喜ぶなら「彼女にも、もらってくれるような男性が現われたのか」なんて失礼なことは考えないだろうさ。普通に「いい人にめぐり合ったんだな。よかった」と思うだろうな。「やっともらってくれる人ができました」というのは、ただ単に「結婚する人ができました」という意味であって、それ以上でも以下でもないだろう。 オレも、最初読んだときに、どこのなにに違和感を覚えるのかわからなかったんだが……。どうも「もらってくれる、って人間はモノじゃないぞ」的なことをいってたんだろうかね。 その通り。人間はモノじゃないから、もらったりもらわれたりすることは本来ない。そんなことは承知の上で、普通に「嫁をもらった」とか「もらわれた」とかオレはいうな。それに違和感を覚えることも別にない。 言葉ってのは、そういうもんだとオレは思っている。言葉には、さまざまな不平等や差別、迫害といった歴史の中から生まれたものもたくさん含まれている。が、オレは「それはそれで、そういう歴史を持って生まれてきたのだ」ということをも含めて大切にすべきと考えている。 「悪い意味、悪い言葉」だからなくすべきだ、使うべきではない。そうオレは考えない。なぜなら、それらは言葉のせいではなく、そうした悪い時代、更に言えば悪い考え方の人間たちがいた、ということの結果でしかないからだ。そして「オレたちの世の中には、悲しいかな悪いことがあったんだ」ということを「悪いからなくせ」という形で消し去ることにこそ違和感を覚えるからだ。 言葉は、その時代、そこに生きた人間たちの有り様をただ映し出したものに過ぎない。言葉が悪いのではなく、悪いのはそこに生きた人間たちだ。「嫁をもらう」という言葉が悪いから使うべきでない、そうじゃないだろ。そこに生きる人間たちの意識が変わりいつの日か気がついたらそういった言葉が消えていた、そうあるべきだろ。何かを意図的に曲げることでそれを「なかったこと」にすべきではない。 そもそも、そういうことを言い出したら「嫁」も「妻」も差別的な出自をもってうまれた言葉だ。そうしたものを一切使うべきでないといったら、日本語はとても貧相で味気ないものに堕してしまうだろう。昔からある言葉の大半は、何らかの意味で差別的な歴史を持っている。それらを否定してしまうことは、自分たちの歩んできた歴史自体を否定することにつながってしまう気がする。 だからといって「すべて残せ」というわけじゃないぜ? オレだって、たとえば「かたわ」なんて言葉は、公の場では使わないくらいのことは考えるさ。それは、今やその言葉を使わないほうが世の中の流れになっているからだ。「かたわ」は社会的な差別用語の問題から消えていったが、そうでなくとも自然に淘汰される言葉だってある。たとえば、「石女(うまずめ)」なんて強烈な差別用語があったが、これは差別用語うんぬんといわれる前に既に死語と化して消えつつある。それでいい。言葉は、本当に社会が必要としなくなれば自然に廃れる。人間が意図的に制御できるもんじゃない。今はまだ、多くの人が「嫁をもらう」という言葉に違和感を覚えず、またその言葉も必要とされている。そういうことだろう。誰もがその言葉を必要としない世の中になれば自然に消えるはずさ。
お礼
>言葉が悪いのではなく、悪いのはそこに生きた人間たちだ。。「嫁をもらう」という言葉が悪いから使うべきでない、そうじゃないだろ。そこに生きる人間たちの意識が変わりいつの日か気がついたらそういった言葉が消えていた、そうあるべきだろ。何かを意図的に曲げることでそれを「なかったこと」にすべきではない。 >言葉は、本当に社会が必要としなくなれば自然に廃れる。人間が意図的に制御できるもんじゃない。 「文化人類学的」に切り込んだ、大変説得力のあるご回答だと思います。 しかし、誰もがその言葉を必要としない世の中にするために、言葉のある意味では「強制的な」変革キャンペーンも一定の役割を果たすように感じられますが・・・。
お礼
再度投稿有難うございます。 >今の時代の結婚生活は、精神的にも経済的にもある程度自立し た人同士じゃないと、この厳しい世の中でやっていけないので はないでしょうか。 全くその通りですね。今の時代はとくに、ひとりひとりに自立が求められるでしょうね。「もらう」とか「あげる」という意識だとどこかで結婚生活は破たんするでしょうね。これは見すごせない、と思います。とてもではありませんが、「大したことではない」とは思えません。 私は、今後もこのようなせりふに、たとえ嫌われようと、しっかりと異を唱えていきたいとますます確信しています。
補足
subaru2009さん、お待たせしました。ポイントを付与します。 何度も共感あふれるご回答を頂き有難うございました。 >「もらう」とか「あげる」という意識だと、「私の人生あなた にゆだねます」って言っているみたいで相手の男性も相当負担 だと思います。無意識のうちに言動に表れてしまいますからね。 ・・・まさにこれを言いたかったのです。的確なご洞察、恐れ入りました。経験談を語って頂いた後続の22のご回答にも、大いに納得させられました。(2009.6.30〆切に当たって)