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脳髄損傷が精神活動に与える機能障害と死後の生に関する心霊学的解釈
怪我や病気で脳髄が物理的に損傷した時、精神活動(記憶、知覚、認識、思考、性格、etc.)に機能的障害が発生する場合がある事が知られています。 脳髄の一部が損傷しただけで、精神活動に影響するのであれば、脳髄が全損する肉体的な死の後には、精神や人格は存在しない事が、自然だと思います。 (何も感じず、何かを認識する事も無く、何も思い出せず、新たに何かを憶える事も無く、何も考えない、その様な態を精神が存在すると呼べるとは思えません) 脳髄損傷と精神の機能障害との因果関係や、死後の生の存在を可能とする方法に関して、霊魂の存在を肯定する心霊学においては、どのような解釈がなされているのでしょうか。 尚、私は理数系の人間ですが、超自然的なものを無闇に否定するつもりはありません。 特に、死後の生に関しては、存在して欲しいと思っております。 ですが、現実に脳髄の損傷が、精神活動に影響する以上、死後の生は存在しないと考えざるを得ないのです。 この現実と、死後の生を両立させる説を、御存知の方は御教え願います。
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- shift-2007
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回答No.1
もしかすると逆かもしれませんよ。 霊的進化と共にその要求にこたえる形で脳が進化したとすればどうでしょう。 われわれの精神(霊魂、魂)は記憶、知覚、認識、思考、性格、などの機能が備わっていて、 この世界(宇宙)で形として具現化するために脳が進化してきたのかも。 そう考えるとこの世界で脳を損傷すればそれらが正常に機能しないのは当然と言えば当然です。 ハサミがあるから紙を切ることができる。 ではなくて、 紙を切る必要があるからハサミが生まれた。 と考えるのが案外自然じゃないでしょうか。
お礼
早速の御回答有難うございます。 確認させて頂きたいのですが、 >紙を切る必要があるからハサミが生まれた。 必要があったと言う事は結局、ハサミが無くては(少なくともまともには)紙が切れない、と言う事ではないでしょうか。 >脳を損傷すればそれらが正常に機能しないのは当然 と言う事は、脳が無ければ、何も感じず、何かを認識する事も無く、何も思い出せず、新たに何かを憶える事も無く、何も考えない、即ち精神が生きてはいないし、生前の自我も残っていない、と言う事ではないでしょうか。 それと、この御回答の内容は、心霊学で採用されている説なのでしょうか。