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主に「仏教」のいわゆる人間の「死後」の過程について

dashinshiの回答

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  • dashinshi
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回答No.2

仏教では、人が死ぬと輪廻転生により、六道(天上、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄)の いずれかにまた生まれ変わります。 今私たちは、人間界にいるのですが、死ぬまでに徳を積む、簡単に言えば善い事をたくさんすると、 天上界に生まれ変わるし、悪い事をすると、修羅界や餓鬼界に生まれ変わってしまいます。 でも、天上界生まれたとしても、そこで悪いとをすると、また地獄界に落ちることもあります。 この繰り返しを永遠と行うのです。 ところが、「ある事」をすると、この永遠の輪廻から外れて、(解脱といいます) 極楽浄土(ほかにも瑠璃浄土とかもある)に行くことができます。 その「ある事」は、宗派によって違います。 念仏を唱えるだけでよい!と教える宗派もあれば、修行をしなさい!と言う宗派もあります。 仏教の基本的な考えでは輪廻は、人が死んだ瞬間に起きる(すぐ次の界に生まれ変わる)はずなんですが、 日本仏教では、この変がちょいと違います。(インドや中国の仏教でも似たような考え方はあります) 人が死ぬと、その人が次にどの界に生まれ変わるかを、裁判で決定するのです。 この裁判期間にいる場所のことを「中陰」と言っています。(早い話しが拘置所です、笑) この中陰の世界ですが、 まず、険しい山路から始まります。この山路を7日間歩きます。 歩き切ると、第一の裁判官「秦広王」の前に行き着きます。 ここで、1回目の裁判ですが、この裁判は略式で行われます。 そのあと、また歩いていくと、かの有名な「三途の川」を渡ります。 川を渡ると、1本の木があり、その木の下には、爺さんと婆さんがいて、 着ていた服を全て剥がれてしまいます。 素っ裸にされた後、2回目の裁判です。 担当する裁判官は、「初江王」です。この時点で14日が経過しています。 その後は、7日ごとに、全部で7回裁判があります。 3回目(21日目)は、宋帝王、4回目(28日目)は、五官王、5回目(35日目)は、閻魔王 6回目(42日目)は、変成王、そして7回目(49日目)は、泰山王です。 7回目の最終裁判が終わると、判決が出ます。 判決は、口頭で行われるのではなく、6つの鳥居が示され、そのいずれか一つを くぐることを言い渡されます。 6つの鳥居は、それぞれ、六道につながっていますから、くぐった瞬間につぎの輪廻先が決定するわけです。 と!見てきた様なことを書いてしまいました!(爆) マンガでよくみる、頭の輪っかですが、あれは、キリスト教のものでしょう。 宗教画家たちが、「知徳の象徴」として書いたもののようです。 書き方も、時代によっては、輪っかじゃなくて、円盤状のものもあります。 仏教で似たようなものといえば、仏像の後ろに付いている放射状の物ですね あれは、「光背」と呼んでいます。 出来るだけ、簡単に書こうと思ったんですが、長文になってしまいました。

fuurainin
質問者

お礼

★裁判多っ!や、やはりそうしたほうが裁判する側としても色々と確実かつ効率よくできるからかなぁ…とか思いました。現世で一秒のうちにいったい何人死んでる事やらわかりませんからねぇ。なんかちょっと現実的な感じもして分かりやすいですね。 ★【出来るだけ、簡単に書こうと思ったんですが、長文になってしまいました】 やっぱし簡潔に言うには奥が深すぎて難しいんですねぇ。なんか分かります。お手数かけました。 ★【宗教画家たちが、「知徳の象徴」として書いたもののようです】 ははぁ~。やっぱり画家達としても「神様っぽさ」を出したかったからワンポイントつけてみたのかもしれませんね(^v^)。 ありがとうございました。「死後の過程」がよくわかりました。

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