• ベストアンサー

大久保利通とはどんな人?

大久保利通はどのような性格の人だったのでしょう? 薩摩藩士ですが剣術の腕前はどうなんでしょうか? 馬車に乗っているところを暗殺されたのでそれほど強くないのかなというイメージもなくもないですが。

  • 歴史
  • 回答数6
  • ありがとう数30

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • uppo
  • ベストアンサー率44% (20/45)
回答No.5

既に書かれている人がいますが剣術の腕前はそんなに上手くなかったのではないかと思います。 ただ暗殺時には刀を持っていなかったはずです。むしろ特筆すべきなのは、このレベルの高官が護衛を伴っていなかった事ではないでしょうか? 残念ながら理由は推測になってしまうのですが、同じ三傑の木戸が坂本や大村に護衛をつけろと言っていたにも係らず、自身には護衛をつけなかった事から考えると、大久保も自身の信条でつけることを望まなかったのでしょう。非常に肝の据わった人だと思います。 私は大久保という人物は自分の意で国家を動かそうとしていた人間だと思っています。(理由は後述)動機が私利私欲ではなく、日本の為にというのが今日の評価に繋がったのだと思います。 彼は岩倉使節団以後は変化するのですが、それ以前は旧幕臣の登用に非常に批判的でした。この為、渋沢栄一からは酷評されています。 また、彼は木戸を如何に抱き込んだ形で自らの政策を進めるかという事を考えました。 これは大久保一人では政府運営ができないからです。その為、非常に礼を尽くして辞職した木戸を引き戻そうとやっています。しかし、決して木戸の政策に賛同しているという事ではなく、交渉材料に過ぎないというべきで、そうした所に木戸は不信感を抱いていました。 廃藩置県においても旧来の殿様を県令として据える大久保と旧来の殿様の排除を求める木戸で対立します。結局木戸に引きずられる形になりますが、如何に廃藩置県が最大の改革かといわれるポイントは、この部分にあります。ですが主君との関係を見ると木戸と毛利敬親が良好な一方で大久保と島津久光は非常に険悪でした。 ここで注意して欲しいのは大久保一人で改革をやり遂げたのではないこと、彼が自分に不都合な施策でも最後まで責任を担い続けた事です。 三傑の他二人と比べると非常に人間離れした人だと私は思います。

porupopo
質問者

お礼

護衛をつけていなかったんですか。 はじめて知りました。 他の人のお礼にも書きましたが日本のことを必死に考えるいい政治家だったんですね。

その他の回答 (5)

noname#81719
noname#81719
回答No.6

あまり詳しくはありませんが、 地元薩摩の為や、私利私欲では動かなかった人のようです。 “日本国家のため”だけに生きた人と思います。 自身の生活は苦しいのに、寄付はしていたようですね。 現在 大久保利通のような、日本国家の為だけに生きる政治家が欲しいですね。 無理かぁ~、、、。

porupopo
質問者

お礼

政府の有力者でも生活が苦しい人もいたんですね・・。 金持なのかと思っていました。

  • 500416
  • ベストアンサー率34% (15/43)
回答No.4

余談ですが、大久保の人格が評価されだしたのは近年のことです。 昔は強行改革の大久保は評判が悪く、冷酷で私利私欲の権化だと思われてました。大久保が私欲を肥やしてなかったと世間にわかるのは最近のことです。

porupopo
質問者

お礼

ありがとうございます。 すごく日本のことを考えた政治家だったんですね・・・。

  • 500416
  • ベストアンサー率34% (15/43)
回答No.3

幕末である意味最強の男です。 維新三傑の中でも最も心が強く、志が高く、思想を実行に移せる男だからです。 私情やを地元愛を仕事に持ち込み、征韓論問題で現実から逃げて鹿児島に帰った西郷隆盛は最終的には思想に殉ずる事をリタイヤしたことになる。 西南戦争など度重なる内輪モメに意欲を失った木戸孝允も心が弱い。 大久保だけは徹底していた。改革に大なたをふるい、新政府を乱す者は盟友だろうと潰し、親友の西郷さえも許さなかった。それこそ鬼となって中央集権化を進めた。しかし西郷が死んだ時、大久保は大粒の涙を流したらしい。 地元びいき(利益誘導・郷土人脈を優先)や私的感情で動く政治家が多い中、大久保だけは日本全体を見て新国家の成長だけを願い行動した。 明治政府で大久保は、地元びいきをしなかったおかげで地元から嫌われた。さらにワイロを嫌い私利私欲に走ることもしなかったおかげで借金を残して死んだ。 私情を挟まず、折れない心と思想と強い責任感を持ち、日本の強化にすべてを捧げた人生。 大久保は世間では冷酷で腹黒いイメージですが、実はこんな強い男だったんですね。

  • cobamax
  • ベストアンサー率41% (157/381)
回答No.2

暗殺時は馬車に洋装で、襲撃された時、書類を整理して 馬車より出て 無礼者といったのみで剣で応対はしていません(刀は もっていなかったようです) 薩摩までは西郷と同じ道場で剣を磨きましたが、剣より学問 に興味があり、剣の腕はたいしたことはなかったといわれています 西郷と正反対の性格で冷静 沈着 無表情 権力欲旺盛であった ようで政府の中では結構「嫌われていた」ようです (詳しくは参考サイトで) http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/data/zatugaku06.htm http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/index.htm 参考になれば幸いです

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.1

勝海舟の『氷川清話』の「西郷隆盛の人物」に大久保利通の評が少し書いてあります。また、この本か『海舟座談』のなかの、海舟が彼の座右の銘「明鏡止水」の言葉を紹介するときにも利通の評が書いてあったと思います。今それらの本の全部を調べていないので、興味があったら自分で調べて下さい。海舟から見ると利通は西郷さんと比べて小物に見えたようで、余り評判が良くないです。この機会に海舟の本を読んでみると良いですよ。大変面白くためになる本です。

関連するQ&A

  • 大久保利通について

    大久保利通は彼以前にも たくさんの同僚の政治家が暗殺されていたのに なぜ、自分に護衛をつけなかったんでしょうか? 騎兵の護衛を通勤に使う馬車の周りに 10人程付けておけば あのように簡単に暗殺されることは なかったんじゃないでしょうか?

  • 大久保利通はなにをした人?

    大久保利通は何をした人なのか?というのが質問です。学校の勉強で、私は大久保利通を調べることになったんですが、検索してもなかなか大久保利通のした事がでてきません。教科書などでは不充分なんで、協力お願いします!

  • 西南戦争後、鹿児島県の処遇はどうだったのでしょう?

     明治維新成功の原動力は薩摩藩と長州藩でした。  しかし、薩摩藩の中心人物である西郷隆盛は、明治6年、征韓論が認められず下野、同10年には西南戦争を起こして敗北、自決しました。  また、薩摩藩のもう一人の雄、大久保利通は翌11年に暗殺されてしまいました。  このように、明治政府に反旗を翻したうえ、大久保という柱を失った鹿児島県のその後の処遇はどうだったのでしょうか?  鹿児島県は、新政府から冷遇されて大正、昭和に至ったのでしょうか?  歴史に詳しい方、どうぞお教えください。

  • 坂本竜馬暗殺の暗殺の犯人。

    坂本竜馬暗殺の暗殺の犯人。 現在大人気の坂本竜馬。 そこで貴方が考える暗殺の犯人を教えてください。 (1)犯人名前(首謀者でもいいです) (2)その根拠、理由 自由な回答お待ちしております。 ちなみに私は (1)犯人名前(首謀者でもいいです) 大久保利通の命を受けた薩摩藩士。 (2)その根拠、理由 大政奉還で煮え湯を一番飲まされたのは薩摩藩士で、幕府、長州、薩摩、外国人とも繋がりがあり人気もあったのも竜馬であり、船中八策(新政府の人事案)を書けるぐらいの実力を持っていたから。

  • 西郷や木戸が力を持ってたのはなぜ?

    薩摩の西郷隆盛や大久保利通、長州の木戸孝允は一介の武士だったのに家老よりも実権を握り、その藩を代表するような行動ができたのはなぜですか?

  • 幕末・薩摩藩の小説や資料など教えてください

    こんばんは。 わたしはずっと新選組や会津藩が好きで、薩長が嫌いでしたが、最近西南戦争のことを知って、過去、薩摩を嫌っていた自分が信じられない位に薩摩藩のことが好きになりました。 そこで、戊辰戦争の頃の薩摩藩側の小説を読んでみたいと思うのですが、薩摩藩全体のことが書かれている作品ってあるのでしょうか。 特定の人物が主役になっている作品(西郷隆盛や大久保利通など)の物でも、いろんな薩摩藩士が登場して活躍する物ならぜひ読んでみたいです。 戊辰の薩摩のことが書かれていれば資料集の類といったものでもかまいません。知っておられる方、ぜひお教えください。

  • 江藤新平と大久保利通(佐賀の乱)

    ある歴史参考書を読んでいると、小みだしに「大久保にはめられて決起した江藤新平」とありました。「はめられて」というは、「ワナにかかった」ということですよね。江藤新平を題材にした司馬遼太郎の「歳月」は、この参考書を読む前に、読んでいますが、「大久保のワナ」という具体的事実を読みとれませんでした。もちろん小説の最終盤で大久保が登場してきますが。 その参考書には、『対する大久保利通は、政敵江藤を抹殺するため、佐賀の不平士族への挑発工作を行っていた。そのため、大隈は、江藤の帰郷を「飛んで火に入る夏の虫」とも評した』とあります。 質問1=この「挑発工作」というのが江藤に対する「ワナ」ということなのだと解釈できますが、どんな挑発工作だったのでしょうか?あるいは、江藤新平が「ワナにかかった」、あるいは大久保利通が「ワナをしかけた」という「具体的事実=ワナ」というのは、他にもありますか? 質問2=また、大隈の説得にもかかわらず、あの頭脳明晰な江藤新平が、あえて「飛んで火に入る夏の虫」にならざるをえなかった背景は何でしょうか? (あるいは、まさか「飛んで火に入る夏の虫」になろうとは、思ってもいなかったのでしょうか?「歳月」では、そのようにも読み取れるような記憶は残っています。) 質問3=「政敵」という表現がされていますが、それは「征韓論」を巡る対立のことをいっているのだと思います。しかし、私には、「征韓論における対立」が、それだけで、江藤新平をワナにはめて、即日、斬首しなければならないほどの対立であったとも思えないのですが、この辺の事情・背景はどうだったのでしょうか? 「歴史」は、見る人の見方・考え方によって解釈が変わってくるとは思いますが、どんなことでもかまいません。よろしくお願いいたします。

  • 自由民権運動

    征韓論に反対したのは 力をもっていた 大久保利通や木戸孝允 ですよね? 板垣退助などは 自由民権運動を行って 愛国社などを結成した と学びましたが、 そのころの伊藤博文や 大隈重信は、 どうだったんですか? やはり、力をもっていた んですか? 薩摩藩や長州藩から どうゆう人が力を もっていったのですか? 朝廷や政府との絡みも よくわかりません(>_<) 質問ばっかでごめんなさい(;_;)

  • 幕末に暗殺された人。

    坂本龍馬のように仲介者として活躍して、でも利害から暗殺されちゃった人について調べてます。(最近では薩摩藩暗殺説が有力なので) 広い意味で好人物だけど暗殺されてしまった人でも構いません。 坂本龍馬以外で言うと、という話をすることになりまして、ネタを集めています。 何卒よろしくお願い致します。

  • 武士の流派

    江戸武士の、剣術の流派は何流が人気だったのでしょうか? 薩摩の示現流とか藩ごとに違ったのでしょうか?