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小論文の添削お願いします。 その2

maccya0406の回答

回答No.4

初めの文章の踏まえが感じられません。文章や資料がある場合は、それをもとに論を組み立てる必要があります。 初めの文章ではサービスを「クリエイティブな刺激に満ちたもの」「社会を豊かにする力」ととらえ、「想像力」「あったらいいな、を感じ取るセンス」が必要だとしています。問いは、この文章を参考に述べることを求めているのですから、犯罪防止のような「罪」の防止のためのサービスの必要性よりも、社会を豊かにするようなプラス面の可能性を追求することが大切です。 たとえばコミュニケーションの広まりや、情報収集の速さや広域性から、どんな社会を豊かにするサービスが生まれるかを掘り下げると良いのではないでしょうか。(※ただ、あなたが述べていることのうち「コミュニケーション能力の向上」は、サービスとは言えません)。 そして「犯罪に巻き込まれる危険が回避できれば」可能性が広がる、といった事ではなく、どのようにセンスや想像力を磨けば新たなサービスを創造できるかを考えてみてはどうでしょうか。 それらを深めた上で、ネット犯罪を防止することの必要性についても付け足しておくと良いでしょう。 お役に立てば幸いです。がんばってくださいね。

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    昨日投稿した内容で指摘を受け書き直しました。 よろしければ、ほかの方も添削いただければありがたいです。 保健医療系の大学を受験予定の社会人です。 よろしくお願いいたしますm(_ _)m 問題:高齢化社会に対する私の提案 解答 現在の日本の人口の20%が高齢者である。50年ほど前まではたった5%だった。そんな高齢社会である日本は、はたして高齢者にとって住みやすい国なのだろうか。 核家族が多い現在の日本では、三世帯での同居などは減っていて、2人もしくは1人での生活を送っている高齢者が多い。更に最近では、そんな高齢者を狙った詐欺などの犯罪が多くある。それらは高齢者の孤独や、注意力・思考力の低下に付け込んで行われている。このような状況を救うのは地域のコミュニティーではないだろうか。常に高齢者に気を配るというのではなく、あいさつなどの声かけでもかまわない。子供会などの交流の場に参加をお願いするのもいいだろう。少し前まではおじいちゃん、おばあちゃんが子供を見るのが当たり前であった。古きを知り、人生経験も豊富な高齢者との交流は子供たちの成長の力にもなりえると考える。そして、人と関わることで高齢者の思考力低下も防ぎ、それは、生きがいにも繋がり、コミュニティーが活発であれば孤独死なども防げるのではないだろうか。現在進んでいる、生活サービスの向上だけではなく、心の交流もふやしていくことで、本当の住みやすさに繋がるのだ。 よって私の提案は、地域コミュニティーの活発化である。高齢者にとって生きがいを見つけだし、安心して住める場所をつくることが、これからの高齢化社会にとって大切なことである。

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    課題文で、少年少女の犯罪について 筆者の主著はおおまかに、 少年少女の犯罪に共通するのは命の軽視 日本の現状が関係している 社会が彼らに死を教えてこなかった 家族形態が変わり、他者への関心が薄れている 今後の対策について 児童、生徒を守るすべとして防御は必要 しかし問題の根幹である命の大切さを教えようとする姿勢がない という感じです 問 筆者が、少年少女による凶悪犯罪に共通するのは何で、その原因はどこにあると考えているかを述べ、さらに筆者の考えをふまえながら、あなたの意見を述べなさい。 筆者は、少年少女による凶悪犯罪に共通するものはきわだった命の軽視であると考えている。その原因は、大人が子どもたちに命の大切さを教えることができていないからだと考えている。 筆者の考えは、現実の死から遠ざかっている子どもと、その現状に向き合えていない社会を危惧していると読み取ることができる。この点で私は筆者の考えに共感する。現在、核家族化が進んだことも影響して、私たちは出産や死などを家の中で経験しないことが当たり前になっている。また、子どもたちの使うゲームにはリセット機能がある。これでは、命の重さを実感する機会がないのだ。家族や社会との関係を上手く保つことができない子どもも増えている。他者と向き合うことができない子どもが、その他者の命を思いやることができないことは当然のように感じる。 このように、現在の子どもは死から遠ざかり、家族や社会からも遠ざかることで命の大切さを感じることができなくなっている。私は、実際に死を経験することがなかったとしても、人の言葉で伝えて行くべきだと考える。家族内に限らず周りの大人が、死とはどういうものなのか、周りの人にどのような影響を与えるのかを伝える。また、人はゲームのリセット機能のように生き返ることはできないことも伝える。このように、子どもの頃に死と向き合う機会を与えることで、命の重さに気づくことができるだろう。

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    学校の宿題で、小論文が出ました。書いてみたのですが、改善点があれば教えていただきたいです。 テーマ 「携帯電話を使うことによって、家族や友達との絆が強くなった」という意見があります。この意見に対して、あなたは賛成ですか、反対ですか。具体例を挙げながら、縦書き四百字以内で書きなさい。 この意見について、私は賛成である。 なぜならば、いつでもどこにいてもコミュニケーションがとれるからだ。 私は中学二年生で初めて携帯電話を持った。このくらいの年になると、ほとんどの人が携帯電話を持っていた。 休みの日などに、急に予定がなくなることがあった。そんな時は、メールで予定のない子を探し、遊びに誘うことができた。携帯電話がなかった頃なら、一人で過ごしていたに違いない。携帯電話を使ったことにより、友達と過ごす時間が増えたのだ。 また、友達とけんかした時、面と向かって謝ることがなかなかできずにいた。そんな時、文章で伝えることのできるメールはとても助けになった。 このような携帯電話ならではのコミュニケーションも、絆を強める上で大事なものなのだ。 字数は360字程度あります。 よろしくお願いします。

  • 小論文の添削お願いできないでしょうか?

    ネットでのチャットをお題に小論文を書きました。 ・論旨が矛盾していないか ・関連のない文章が入ってしまってないか など、小論文としてダメな部分がないか見てもらえないでしょうか? 構造としては、 問題提起→反論を想定→本論(+具体例)→まとめ という形で書きました。 (ちなみに、例示はフィクションです。。) 現在、インターネットのチャットを利用して、様々な人と対話をすることが可能になった。チャッ トなどを通じ、複雑な人間関係抜きでコミュニケーションができるのはよいことだろうか。 確かに、相手の顔が見えないチャットでは相手の気持ちに気を配りながら話すという社会性が 身につきにくい。だが、それ以上のメリットがチャットにはある。 我々は普段、それぞれの立場を越えて自由に意見を交換できる機会がなかなかない。相手の年 齢や立場を気にせず、あらゆる分野の人々と対話する機会がチャットにより大きく広がった。 例えば、わたしの夢は会計士になることだが実務を経験した方とお話できる機会はなかなかな い。だが、疑問に抱いていた質問をチャットを通じて専門家に直接聞くことができた。これは チャットの普及により実現したことだ。また、内容もなかなか突っ込んだものであったため、 直接話していたならば質問を変えていたかもしれない。このように、チャットには立場を越え た人との対話を可能にし、顔が見えないからこそできる率直な意見をも可能にする。 したがって、チャットを通してコミュニケーションができるのは好ましいことである。

  • 小論文の書き方について質問です

    「情報技術が高度に発展した現代の消費社会においては、携帯電話のメールやインターネットなどを通じて、複雑な人間関係や社会関係抜きで、コミュニケーションが図れる。このような傾向について、あなたの意見を800字以内で述べなさい。」 という課題なのですが、書き出しはどうしたら良いのでしょうか? 「私はこのような傾向について~と考える。」で大丈夫ですか? ご回答、よろしくお願いします!

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    閲覧ありがとうございます。 以前添削をお願いした者です。 書き直したのでまた添削をお願いしたいです。 句読点、文法、文末、構成、誤字脱字、い抜き、ら抜き言葉など。 テーマ 過去の成功体験とそこから得た教訓 文字数 200~400字     下の文は399文字です。 以前ですます調の方が…というご意見をくださった方がいましたが、文字数のためだ、であるという文末にしています。 自信がありませんが、添削をよろしくお願い致します。  私は中学3年生のときにデイサービスのボランティアをして、その後善行表彰を受けることができた。  当時自分にできることを探していた私は、社会経験を積めることや人の役に立てることに興味を持ち、ボランティアを始めることにした。  最初は介護施設という慣れない環境で思うように行動することができず、普段接する機会の少ない高齢者との接し方に戸惑いを感じることが多々あった。そこで私は相手の立場に立って考え、周囲をよく見て行動するよう心がけた。この心がけを諦めずに続けた結果、利用者の変化にいち早く気づき、話しかけて様子を確認するなど、自分がすべきことが分かり、主体的に行動することができるようになった。  私はこの経験から諦めずに努力することの大切さを学んだ。大学や社会に出た後も慣れないことや困難なことがあると考えられる。しかし、この経験と学びを活かして目標や夢に向かって着実な努力を続けていきたい。 ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。 添削をよろしくお願い致します。 また、気づくと気付く。 どちらが正しいのでしょうか。 ご回答お願い致します。

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    大学の後期試験で、人間生活系の学部を志望しています。 一応、小論文の型にはめて書いたつもりなのですが 自分的にはしっくり着ていません。 言い回しや内容などで、 引っかかるところや改善点があれば指摘していただきたいです。 文字数が1500字以内と非常に多いのですが、 添削していただければ幸いです。 テーマ『食事の生理的役割と社会的役割について述べ、     その役割を機能させるために、どんな知識を得て、何を実践すべきか』  食事の生理的役割とは、食事によって体に必要な栄養素を補い、健康な体を維持できることである。社会的役割とは、食事を通して、生命に対して感謝したり、精神的な安らぎを感じたりできるということである。この二つの役割を十分に機能させるために、私は家族みんなで手料理を食べる必要があると考える。    たしかに、現代社会では、夫婦共働きで、子どもたちは夜遅くまで塾に通っているという家族の形態が増えた。そのため、忙しい毎日の中で、料理を作る時間がとれないばかりか、家族そろって食事をするということも非常に難しくなっている。家族間の生活サイクルが合わず、家族のコミュニケーションは減少する一方である。家族の構成員それぞれが、違うものを好きなときに食べる「個食」や、自分ひとりだけで食事を済ませてしまう「孤食」などが進んでいるのが現状であり、スーパーの出来合いの惣菜や、手軽に食べられるファーストフード、インスタント食品などは人気が高い。しかし、朝昼晩の食事のうち、せめて一回だけでも、家族で手料理を食べることには、大きなメリットがある。  自分ひとりだけで食事をしたり、出来合いの料理ばかり食べていると、脂肪分や塩分がどうしても過剰摂取になりがちだ。特に、子どものころからこういう傾向が強いと、成長期に必要なさまざまな栄養素を十分に摂取することができず、将来大人になったときに、生活習慣病や、メタボリックシンドロームは避けられない。しかし、家族みんなで食べるために作られた手料理は、家族の健康を考えて作られたもので、味付けや栄養も考慮されている。また手料理には、料理を自分で作るという楽しさもある。これは出来合いのものでは味わうことのできない楽しさだ。食べてもらう人のことを考えて、料理を作るためには、栄養だけでなく、おいしく食べてもらうための食に関するさまざまな知識が必要になる。食事を作ることを通じて、そういう知識を学ぶこともできるのである。    そして、家族で食事をすれば、自然と話がはずむ。その中で、親は、子どもたちの学校での様子や、最近の興味、関心などを知るだけではなく、食事量などによって子どもたちの健康状態をも知ることができる。また家族での食事は、箸の持ち方や、食事のマナーなどの日本独自の食に関する伝統や慣習を、親が子どもたちに教える機会にもなる。子どもたちにとっても、親から教わった食に関するさまざまな知識を通して、食べられるということのありがたさ、食事を作ってくれる親に対する感謝、そして生命の大切さを学び、人間的に成長できる機会である。手料理を食べることで子どもたちは、親に対する尊敬や信頼を深め、家族の絆がよりいっそう強くなっていくのだ。    したがって私は、家族みんなで手料理を食べることが、食事の果たす役割を機能させるために必要であると考える。そして、子どものころからそのような家庭で育った人々が、次の世代にも食事の果たす役割の大切さを伝えることができるのである。  (1227字)

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    次の文章は「機事ある者は必ず機心あり」という荘子(中国古代の思想家)の言葉をもとに書かれた文章の一部である。これを読んで後の設問に答えなさい。 孔子の弟子である子規が旅の途中で、汗にまみれながら畑を耕している老人に会った。老人は井戸から瓶に水を汲み、えっちらおっちら畑に運んでいる。労力ばかりかかって、いっこうに能率があがらない。子規は見かねて、 「水汲みなら、はねつるべという便利な機械がある。それを使えばわずかな労力で簡単に水を汲み出すことができますよ」と教えてやった。すると老人は、「それくらい知っているさ。だが、機械を持っていると、機会を使う仕事(機事)が増える。そうなると、機械に頼る気持ち(機心)が生まれて ますますそれに頼ろうとするだろう。機会に頼るばかりになってしまったら、一体どこに人間の精神が残るというのかね。私は道具を知らずに使わないのではない。そんなものを使うことで精神が汚れるのがいやなのさ。」と答えた。荘子に書かれた話であるが、もちろん実話ではない。真理というものは孔子が説く儒教に、ではなく、老子の道の教えにこそある、とする創作である。だから荘子の中で、孔子とその弟子たちは道をわきまえぬ未熟者、といった調子で書かれている。 それにしても機事ある者は必ず機心あり。とは、現代人に対する重大な警告ではなかろうか。チャップリンは映画モダンタイムスで全てが機械化されぬく現代文明を風刺したが荘子のこの物語が書かれたのは二千年以上前のことなのだ! 人間は大変非力な生き物だその力を補うため道具を生み出してきた。それにより文明や文化が創造されたのだ。人間の歴史は常に機械の発明、発達史とともにあった。いや、道具や機会の発達こそが人間史を織りなしてきたというべきであろう。 ではなぜ、人間は道具を発明してきたのか。何より自然から身を守るため、生活の糧を得るためだ。次に自分の肉体を使う日々の労働から解放されて楽をしたい、という欲求のゆえだった。どうして楽をしたいのか。もっと心豊かにしたい、と考えたからである。それには生きていくための労働を最小限にとどめ、それによって得た時間を人生の愉しみに当てるようにしなければならない。そこで、人間は必死になってより便利な道具や機械を発明してきたのだ。 ところがどうだろう。その結果皮肉なことに荘子が説いた機心がふくらんで、人間は機械に頼るばかりになり、そのあげく、生活はいっそう忙しくなっていった。そして、人間の精神はいよいよ貧しくなってしまったのである。 設問 本文で筆者は「機事ある者は、必ず機心あり」という言葉は「現代人に対する重大な警告」だと述べている。本文の内容を踏まえた上で、その言葉を現代社会の問題に関連づけて考察し心豊か生きるためにはどのようなことが必要か、あなたの考えを書きなさい。 ただし、次の言葉を2つ以上使うこと。 便利さ、ゆとり、情報、科学技術、消費社会、環境 私の論文 道具や機械の発達こそが人類史を織りなしてきたと、筆者がいうように私達人間の暮らしは機械に頼っている。私は人間が心豊かに生きるためには機械ばかりに頼ってはいけないと考える。 私は調べたいものがある時、ネットで検索する。これも機械に頼っていると言えるだろう。しかしこの時私はそのサイトに載っている情報しか得ることができない。ではネットを利用しない方法ではどうなるのか。例えば気になるニュースがあれば実際現地まで行く。すると近所の人から多くの情報かつ、正確な情報が聞ける。機会を使うよりこちらの方が機会に頼らず謎が解決できる。多くの意見を聞くことで心は豊かになるはずだ。 私達は機会の便利さに負け人間の精神を狭めて生きている。心豊かに生きるためには多少の苦労をしてでも機械にあまり頼らないことだ。多くの意見を聞くことで考えの幅を広げることができるからである。