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【関東軍】吉本貞一大将について

陸軍大将であり、関東軍の参謀長を務めた吉本貞一氏が(かなり遠いものの)親戚であることがわかりました。 そのため詳しい人物評などを探していますが、略歴のみで多くが見つかりません。 ご存じのことありましたら、是非お教え願います。

みんなの回答

回答No.3

興晋会『黄土の群像』(1983年)のP511-516に、元山西省公署顧問の甲斐政治氏が「ある将軍の死」と題して、吉本将軍の自決時の様子をかなり詳しく記されています。

ituki-aoi
質問者

お礼

遅くなりましたが、ありがとうございました。

回答No.2

 吉本貞一大将は、陸士第二十期卒業生のうち皇族を除き、現役で大将にまで登りつめた僅か三名の内の一人でした。ただ、経歴が参謀長や後方軍の司令官などだったために、戦史から見ると比較的地味な存在だったかもしれません。  『別冊 一億人の昭和史 陸士☆陸幼 日本の戦史別巻10』のなかの 「東幼話題の人物誌」(吉本大将は東京幼年学校第五期生)のなかでも「悲運の将軍たち」の一人として終戦後に自決したことが短く記されているに過ぎません。自決の状況については『偕行』(旧陸軍将校の同窓会誌)に、  氏は、軍の要職を歴任した後、終戦時は第1総軍司令官杉山元帥の下に副司令官として在任していた。杉山元帥同夫人の自決後九月十四日に元帥夫妻の葬儀を築地本願寺で執行した。氏はこの葬儀の責任者として無事葬儀を終了した後第1総軍司令部の自室に帰り、兼ねての覚悟により割腹の上拳銃で心臓を撃ち抜き東方に向って伏せられていた。壮烈な自決であった。  とあります。吉本大将はそれまでの東北軍司令官から1945年(昭和20年)6月に、東北軍・東部軍・東海軍の三方面軍を統括するさらに上級の第1総軍総司令部付に転任しましたが、『偕行』にあるごとくいざ本土決戦となった際には老齢の杉山大将(元帥)に代わって軍司令官として指揮を執る予定だったと思われます。最後の最後に主戦場の最高指揮官としての登場が期待されていた人物であった、ということです。氏にどのような勝算があったのか、数々の本土決戦準備をへながら、戦う前に鉾を収めることになったことに責任を取られたのか、それももはや知ることが叶いません。  ただ、1942年当時中国北部山西省地域の第1軍司令官時代には、山岳地帯にて共産軍を相手に討伐作戦に明け暮れていました。このとき北支方面軍、とくに第1軍を中心に「四川作戦」(五号作戦)が計画され、軍司令官吉本中将は山西の最奥地から山系を突破して一挙に西都に迫る作戦軍を指揮することになっていました。そのため隷下の師団の歩兵連隊編制を特別に「山岳部隊」に改編するために研究を命じました。この辺の経緯については戦史叢書『昭和十七、八年の支那派遣軍』(朝雲新聞社)とか雑誌『グランドパワー』2001年10月号(デルタ出版)「山岳大隊の投擲機」の記事ぐらいしか知られることはありませんでしたが、たまたまネットに詳しい記事が出ていましたので挙げておきます。  http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000400.html  この作戦は結局実現しませんでしたが、吉本中将はそれまで山西の山岳戦では駄馬による物資輸送に頼っていたのを、ヨーロッパ式のロッククライミング部隊でなければ突破できないという認識を持っていたのか、思い切った改編を企図しました。もしかしてフランス駐在武官時代に欧州のスキー部隊とか山岳部隊を研究していたのかもしれませんね。  いくぶん推測が混じりましたが、あなた様がこれから様々な戦史を調べていけば、吉本大将の人物像を知ることが出来るのではないでしょうか?    

ituki-aoi
質問者

お礼

遅くなりましたが、詳細にありがとうございます。 自ら研究を深めていきたいと思います。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.1

陸大恩賜、現役の陸軍大将まで進んだのですから凄い秀才だったのでしょうね。今で言うと東大法学部卒で財務省や経済産業省に入省、事務次官まで昇進と言うクラスです。 大東亜戦争中は後方勤務が多かったようですが、敗戦後に自決しておられることから、責任感の強い武人であったことは間違いないでしょう。 http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/colonel08/yoshimoto.html ただ、伝記が出ているような著名な軍人ではないので、インターネットで検索して出てくるような情報(軍での経歴)以上の情報を求めるならば、質問者さんが一次資料を探して自分で調べるしかありません。 何しろ「63年前に亡くなった人」で、直接面識のある方も既に亡くなっているか、存命でもボケ老人になって行くはずです。 「吉本貞一大将についての聞き書き」 を作るなら、今がギリギリ間に合うか、既に手遅れか? 可能性のあるのは、生前の吉本大将を直接知っている肉親を探して面会し、話を聞くことでしょう。大将の遺品が残っている可能性も大です。 「吉本貞一氏が(かなり遠いものの)親戚であることがわかりました」 ということで、探すのは可能ではないですか? 「他人が既に調べたものは恐らくない。質問者さんが自分で調べないと無理」 ということです。

ituki-aoi
質問者

お礼

なるほど、確かにそうですね。 頑張ってみます。ありがとうございます。

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