• ベストアンサー

関東軍兵士のシベリア抑留

 終戦時、満州に駐留していた関東軍兵士はソ連軍によってシベリアへ連行されたうえに、数年にわたって強制労働させられました。その数は60万人とも言われていますが、逆に、連行されずにすぐ帰国できた兵士はどのくらいいたのでしょうか? また、彼らの運命の岐路はどこにあったのでしょうか? 兵役経験者の方、知識としてご存知の方、よろしくお願いします。

  • 歴史
  • 回答数4
  • ありがとう数10

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • No51
  • ベストアンサー率18% (25/136)
回答No.1

私の父は、終戦当時、少年兵でしたが、 「民間の難民になるよりは、戦争捕虜になった方が、  生還できる可能性が高い。」 と言う噂を信じて、年齢を偽り、満州でソ連軍に投降しました。 その結果、「シベリア抑留で強制労働」でしたが、 1年くらいで、意外に早く帰国させられます。 と、言うのも当時のソ連では、 「捕虜に対する扱いが悪い」 という国際的非難を受けて、 「まず、未成年から帰国させろ!」 という決定がなされたそうです。 (偶然、父の目論見は当たりました。) 終戦後も捕虜を解放せず、 「長期に渡って労働させる」 と言うのは犯罪ですが、 ソ連もそれを非難される度に、 段階的に帰国させています。 どういう基準で順番をつけて帰したのか? 詳しくはわかりませんけど。 一例として、参考までに。

rayuta
質問者

お礼

なるほど、未成年だったお父さんはすぐに帰ってこられたんですね。ソ連の思惑もいろいろあったようですね、参考になりました。ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • sekiryou
  • ベストアンサー率35% (7/20)
回答No.4

ANo.3 の補足 下記URLを参考に http://www.terra.dti.ne.jp/~akimasa/html/itidaiki/sibir.htm 「軍人狩り」「男狩り」を行って手当たり次第に日本人を無理やり連行した。と表現されています。(朝鮮人も抑留されました)只々労働力が欲しかっただけです。

参考URL:
http://www.terra.dti.ne.jp/~akimasa/html/itidaiki/sibir.htm
rayuta
質問者

お礼

兵士以外も多くの日本人が連れて行かれたのですね。HPにも行ってみます。回答ありがとうございました。

  • sekiryou
  • ベストアンサー率35% (7/20)
回答No.3

ソ連はシベリア開発に労働力(只の)が欲しかった。 私の義父が抑留経験者でした。義父は海軍予科練出身で朝鮮の元山航空隊で終戦を迎え、未成年でしたがシベリヤに2年程抑留されたそうでした。抑留中、反抗的な者がずいぶん殺されのを見たそうです。 りょうりょうの悪いもの、運が悪いもの、ソ連にとって使えるものが、貧乏くじを引いてなかなか帰れなかったとしか言いようがないみたいです。(軍人だけでなく民間人も抑留されました)

rayuta
質問者

お礼

強制労働だけでなく、もはや「虐殺」的行為まであったのですね。戦後にもかかわらず、このような暴挙は許せないと思います。回答ありがとうございました。

noname#21649
noname#21649
回答No.2

>らの運命の岐路はどこにあったのでしょうか 満州国官僚がソ連に対して.「おまえたちが残るか.兵を残すか」の質問に対して.官僚である「私たちはすぐに帰りたい。兵士はソ連に任せる」と返事をしましたので.日本兵のシベリア抑留が決定されました。 満州国官僚で歩かないかが.分かれ目です。

rayuta
質問者

お礼

満州国官僚ですか……彼らはのこのこと帰り、60万の日本人がシベリアへ。ひどいもんです。回答ありがとうございました。

関連するQ&A

  • ドイツ軍捕虜の強制労働とシベリア抑留

    ソ連の日本軍捕虜に対する強制労働は、シベリア抑留として有名ですが、 一方で、ドイツ軍捕虜も沢山いたはずです。 スターリングラードの捕虜10万人のうち無事帰国できたのは5千人と聞きました。 ソ連のドイツ軍捕虜に対する強制労働は、日本軍のそれに対して過酷だったのでしょうか。 よろしくお願いします。

  • ドイツ軍のシベリア抑留の実態

    戦後、日本軍は60万人もの兵士がシベリアに抑留され、強制重労働に従事させられました。 一方でドイツ軍は200万人もの兵士がシベリアに抑留されたそうです。 ドイツ人の抑留生活はどうだったでしょうか? 予想では日本人よりも憎まれていたので、より悲惨だったと思いますが。 何人くらいが生還できたのでしょうか。 よろしくお願いします。

  • ソ連抑留

    私の祖父は第2次世界大戦の時、満州で兵役についておりました。 祖父が終戦を知ったのは、日本が無条件降伏してから2,3日経った後だったといいます。 祖父は戦争当時のことをあまり話さない人でした。 しかし一度だけ話を聞く機会がありました。 満州で兵役に就いていると時に、いきなりソ連軍が攻めてきて、上層部との連絡はほとんどとれない状態だったといいます。 「夜になるとソ連の飛行機が飛んできた。 轟音を響かせ、暗闇の中を飛んでいた。 こちらは飛行機が何処を飛んでいるのか解らず、解ったとしてもまともに反撃でできなかったため、ただその飛行機が通り過ぎるのを祈るだけだった。 夜は何日もまともに寝ることができず、朝になれば猛烈な攻撃が始まり、地獄だった。」 その後祖父はソ連軍に捕まり強制連行され、強制労働に従事しましたが、運良く数年で日本に帰ることができました。 話が終わり思ったことを質問すると、続きを話してくれることはありませんでした。 大戦当時の話を聞けたのはこの時だけでした。 その後祖父は他界し2度とこのような話を聞く機会を得ることができなくなりました。 私は話を聞いた時、ショックを受けました。 日本人がソ連に抑留されたことは知っていましたが、祖父も強制連行させられたことも、当時の”生”の話を聞けたのもこの時が初めてだったからです。 当時の満州、日本、ソ連の国内の状態や国際情勢。さらには何故突然ソ連は侵攻したのか?現地はどんな状況だったのか?抑留された人々がその後どんな人生を送ったのか?その後の日本とソ連の態様。日本は抑留者を知っていたのか? 等どんな些細な事でもかまいません。情報提供をお待ちしております。 皆様のご尽力を賜りたくおねがいしたします。

  • シベリア抑留について。

    私の祖父は満州で終戦を迎えました。直接祖父から聞いた事はありませんが、父から祖父はシベリアに連れて行かれたと言う話を聞いた事があります。祖父はすでに他界していますので今となっては祖父に聞く事は出来ませんが、シベリアでどんな生活をしていたのでしょうか?叔父が昭和24年生まれなので、遅くとも23年頃には帰国していると思うのですが、大変だったのでしょうか?

  • 関東軍参謀、瀬島龍三さんはシベリア抑留中に

    関東軍参謀、瀬島龍三さんはシベリア抑留中に 労働矯正を受け左官仕事をさせられたそうですが 左官仕事にはどんな謎が含まれていますか

  • 満州帝国建国後の新京における関東軍兵士の存在

     趣味の小説執筆で以下の知識が必要になりました。  1.満州帝国建国後は、満州軍が首都警備にあたっていたとおもわれますが、その間関東軍兵士は新京に駐屯していたのでしょうか?  2.例えば、関東軍司令官、武藤信義の警護の武官、送迎に当たった運転手はどのような人物だったのでしょうか? つまり、関東軍の兵士なのか、軍属か、あるいは民間人だったのでしょうか?  3.終戦時の部隊配属一覧によれば、関東軍補給部に独立自動車第64大隊の名が見えますが、 この部隊は、いつから、どこに配属されていたのでしょうか?     以上、まことにとりとめのない、厄介な質問ですが、どなたかご教示いただければ幸いです。

  • シベリア抑留の密約

    結局、「シベリア抑留」には、日本側から旧ソ連側に日本兵を労役提供するかのような申し出をしていたのですか。 当時の政府・大本営の体質としてそのようなことが考えられますか。 1993年8月モスクワで「大本営朝枝参謀」の名で書かれている「関東軍方面停戦状況ニ関スル実視報告」という文書が見つかった、という事実は知っていますが、その後「シベリア抑留」の研究に関して新しい資料を見つけたとか何らかの進展はありましたか。 よろしくお願いします。

  • 関東軍の北進論

    満州国建国後、関東軍に北進論が存在しました。 国境紛争の頻発のためソ連極東軍の強化以前に先制攻撃しようとするものと理解しますが、北進策そのものの具体的な内容ははっきりしません。 シベリアは人口密度も低く、シベリア鉄道沿いの都市の他めぼしい補給拠点はなく日本軍の現地調達も困難と考えられます。 進出兵力、進出北限、占領地方などどのような計画だったのでしょう? ご存じの方教えてください。

  • シベリア捕虜収容について

    終戦直後に武装解除しソ連軍によってシベリアの捕虜収容所に送られた兵士たちの消息は (1)兵士の家族に知らされていたのでしょうか?(国交がないので通告は無かったと推測しますが) (2)無いとした場合、留守家族が戦死したものと死亡届をして戸籍から抹消したなんてケースはなかったのでしょうか?(例えば、残った妻が再婚(よく当該者の兄弟と再婚すると聞きますが)する場合) (3)抑留者の帰還は長い人でどの位の年月だったのでしょうか? 以上、シベリア抑留について教えてください。

  • シベリア抑留からいつ日本に戻ってきたかを知りたい

    わたしの父は、シベリア帰りです。 満州鉄道に勤め、そこで応招。 戦後 カザフスタン共和国で強制労働させられました。 父は今から14年前に他界しました。 当時のことは、父から直接聞いたことが殆どありません。 最近になって父の歩んできた人生がどうだったのかを知りたいとねがうようになり、 今調べていますが、母も他界しており、親戚との付き合いも途絶えて、 周りに父のことを知っている人がいません。 それで自力で父が遺したシベリア抑留関連の書籍や、 折々に僅かに聞いたことのある戦中の思い出話などから、 所属していた部隊とどういう経緯で抑留されたかまではつきとめましたが、 部隊への入隊時期やどの引き揚げ船でいつ日本に帰還したかが分かりません。 どこか、こういうことを調べることが出来る機関や方法はありませんでしょうか?