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カントの「純粋理性」と「理論理性」について
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- ghostbuster
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wikipedia をごらんになっての質問ですよね。 わたしもこの『純粋理性批判』の項目の「先験論的方法論」の節の記述はけっこう微妙な書き方がしてあるなあ、と思って見てたんですが、たいていの本は「先験的弁証論」のところで終わってますからね。こういう部分の方が書きにくいのかもしれない。 まず、カントの理性とは何か、悟性とは、感性とは何か、ということは頭に入っているものとして回答します。 もし質問者さんが「理性とは何なんですか」というレベルであれば、多少図式的なんですが、 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa748690.html で、カントの認識論をごく簡単にまとめています(前半の部分)。 そのうえで、純粋理性、理論理性の関係について説明します。 簡単にいってしまうと、これはそれぞれにまったく違うふたつのものではありません。 まず『純粋理性批判』の緒言で、「経験的認識」と、経験から独立し、感官の印象からさえも独立しているような認識を「先天的認識」に分けますが、さらにそのなかでも経験的なものがいっさい混入していない認識を「純粋」と呼ぶ、としています。 つまりカントが「理性」に「純粋」をつけるときは、理性のうちで「経験」を一切含まないもの、先天的に人間が備えている「理性」である、といっているときです。 ですから、人間の先天的な認識の形式をあきらかにしようとする『純粋理性批判』のなかで主要に言及されるのは「純粋理性」です。 一方、「理論理性」はむしろ『実践理性批判』のなかでよく出てくる言葉です。 理性を実践的に使用するのではなく、単に論理的(理論的および思弁的)に使用する場合に「理論理性」という言葉が使われるのです。 『純粋理性批判』の前半で、カントは感性→悟性→理性という順で、人間の認識の方法の先天的な部分をあきらかにしていきます。そこから従来の形而上学の陥った誤謬を見ていこうとするのが「先験的弁証論」の章です。 そこから、推論の能力である理性は、経験を超えた「世界」や「霊魂」や「神」などをとらえようとする。このとき「理論理性」は矛盾に遭遇してしまう。そこでカントは「実践理性」という分野を開拓し、そこに新たな形而上学の可能性を切り開こうとする。 ですから、「理論理性」という言葉が出てきたときは、「理論と実践」という言葉があるように、実践理性と対置させている、と思っていいかと思います。
- ecoshopQ
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ウィキペディアでカントにアクセスすると割りとよく 分かるようにかかれていますよ。
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お礼
ありがとうございます。 一応ウィキペディアに目を通してから、質問をさせてもらったのですが・・。 もう一度読んでみます。 また、よろしくお願いします!