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「シンクロメモリー」とは?
昭和50年頃でしょうか?・・・ ブリヂストンサイクルから出てたサイクリング車に、「記憶できるナントカ」で、「シンクロメモリー」という機能のついた自転車が出てました。 当時、上り調子の志村ケンさんが「シンロクモメリ~?」と言ってCMしてましたね・・・。(たぶん極一部のヒトしか知らないでしょうが) ↓ http://ameblo.jp/5555555555/archive1-200805.html これって、シフトに関する技術なんでしょうが、いったいナニを記憶させるものだったんですか? 当時、ドンピシャの世代なんですが、あまりにもアレで、「買って!」なんて言えませんでした(涙)!
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当時の通学用自転車に流行したギヤのクリック機構です。 1から5の数字が振ってあり、その数字に合わせてカチャカチャと切り替えます。 当時の変速機構はリヤのみ5段変速ギヤが主流で、現在の自転車のように1段ごとに切り替えできるものではなく無段調整なので、つまみをカンで調節して変速しました。 1速ごとにクリックされ確実にギヤが切り替えできる機構だったので画期的なものでした。 なお、当時のナショナル自転車では同じ機構で「クリックFF」と称して前ギヤが後輪に合わせて回転するようになっていました。 発進時に1速(一番軽いギヤ)にセットすると少し前に押しただけで軽いギヤになるので乗りやすかったです。 ※ミヤタも同様のメカでした ただしよくチェーンが外れたものです。 ブリジストンサイクルは前輪ギヤ固定でしたので発進時に自力でペダルをこがないと変速できませんでした。 CMに踊らされて5速からいっぺんに1速に切り替えたりしていたのでチェーンには悪影響でしたね。
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- ultraCS
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行ってみれば元祖STIですね。 当時のシフトは#1の方も書かれているようにダウンチューブに無段変速のレバーがついていて、適当な位置に調整するという慣れが必要なものでした。それをポジションごとにプリセットできるようにしたものが「シンクロメモリー」のようなシステムです。今ならブレーキのブラケットに納まってしまうような大きさの機構ですが当時は小型化されておらず、写真のような自動車を模したフロアシフトレバー(当時、一部のメーカーはこう呼んでいました)として実現していました。「メモリー」はシフト位置ということです。 なお、当時でも、内装変速機は変速位置が固定されてクリック感のある物でした(レポシフトでしたが)。 #1の方のちょっと動かせば変速というのはフロントフリーの機構(フリーホイールをBBに装備、リアはFIX)で実現していました。今でもSTIと合わせてあっても良さそうな機構ですが、5速くらいなら内装で実現できるし、スポーツ車ではフロントの多段化もあり、チェーン脱落時の対処がホイールを回しながらになるので面倒そうです(クランクを回してもチェーンは逆回転しないので)。 ブリジストンがフロントフリーを採用しなかったのは、赤いリングのオーバルギアの影響かも。
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ありがとうございます。 なるほど・・・。考えてみれば、フツーのレバーでも、停車時に2速あたりまで動かしておくことくらいはできますよね。 その「2速あたり…」が、「2速!」に置けるということですね。 昭和47年(当時小学生)、友達が内装3段の自転車(もちろん、親の自転車)を見せてくれてブッタマゲました! ペダルこいでないのに変速できる!と。 嗚呼…オーバルギア・・・ かつては新聞チラシに、近所の自転車屋さんのがよく入ってたものです。カタログみたいな感じのヤツが。機能とかも書かれてて・・・。 夢中になって読んだアノ頃・・・。 懐かしいです。
お礼
ありがとうございます。 停車時に、発進にそなえて あらかじめ1速なりの軽いギヤにシフトしとけば、ペダルこぎだすとシフトしてくれたんですね。 当時、私が乗ってたのは、フツーのシフトレバーでしたので、さぐりつつ変速させたものです。 この後、シマノがインデックス機構を完成させるのに、かなりの時間を経なければならなかった事を考えると、ギヤの位置とレバー・変速機を同調(シンクロ)させるってのはタイヘンなんですね。