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宗教が生まれるメカニズムについて

宗教の講義を取っているのですが宗教が生まれたメカニズムが 良く理解できず質問しました。 まずキリスト教が誕生したのは人間の本質である「愛」を 具現化するために愛の象徴である神を作り出したと考えれば 良いのでしょうか? あるいはニーチェが言う様に人間の不安な気持ちを解消し心の 拠り所を作るために神を作り出したという説のが正しいのでしょうか? キリスト教に限らず一神教の宗教は、この様な形から生まれたのでは ないかと思うのですが、どうなのでしょうか?

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noname#80116
noname#80116
回答No.6

 人間には 広く《共通感覚 sensus communis / common sense 》とよぶべき人と人との関係性を この宇宙の中で 持っていると考えられる現象が見受けられます。その昔 アイヌの間で こういうことが起こったそうです。   一人のアイヌの男が 山で遭難した。戻って来ない。   巫女が占なった。この山のどこそこあたりに倒れていると言う。果た  してその通りであったが そのわけは こうだと説明した。    ――わたしが からだ全体で 山になる。その山の全体に わたし     の体を重ねてみる。      そうすると 体の一部が 痛くなる。その部分が 山のどこに     あたるかを考えてみれば そこに男は遭難しているはずだ。  おそらくこの現象は 非科学的であっても 反科学的ではないでしょう。  神体山であるとか神木とよばれた樹木 これらに身心ともに寄り憑くというのは ふつうに素朴に 原始心性だと捉えます。人間の自然本性にそのような《交感 correspondance 》のはたらく余地があったのだと思います。アニミスムともよびます。  これをいいことに そこからは 自分でこの現象を操作しようとする動きが出ます。シャーマンです。  何か身のまわりのことでも或るいは広く共同体全体のことでも 揉め事があったり衝突なり戦争があったりすると もはや上のアニミストたちの素朴な対処法ではなく そうではなく このシャーマンの出番となる場合です。  何が何でも 自己の努力によって 自己の意識を突き抜けて 何ものかの世界に身を置き さらにそこから 何らかの答えを得て戻って来るというのが シャーマニスムです。  さらに時を飛びます。  やがて あたかも初源のアニミスムの自然性を取り戻してのように しかも 新たな心性を 人は獲得したと思われます。単純に それは 時間の獲得によるものでしょう。  農耕をとおして つまり麦なり稲なりの栽培の過程をとおして つまりその種まきから取り入れまでの時間の経過をとおして 自己も 時間的な存在であることを知ります。  要するに 自分たちは 老いると ただ倒れるのではなく 死ぬのだという認識がからんでいるはづです。時間的存在であることは 心性を高めて その精神および身体において 歴史知性を獲得したと考えられます。世界へ その時間的存在なる自覚において 入った。  ここまでの経過とその後の転回をも交えて 整理すると 次のようです。    -1:原始心性=《ヨリ(憑り)》:アニミスム&シャーマニスム  0 :歴史知性=《イリ(入り)》:世界への入り  +1:超歴史知性=《ヨセ(寄せ)》:《ヨリ》を束ね 《イリ》をも       社会力学上(政治的に) 寄せる。  ヨリ→イリ→ヨセの順序を想定したのですが では なぜ 最後にヨセが 出て来たのか。ここでは これは 要らぬものという理解に立ちます。(人によっては 必要悪と言ったりします)。そして これが 宗教の始まりです。  言いかえると イリなる歴史知性においても ヨリなる原始心性におけるアニミスム自然本性のほうを備えているでしょうから(むやみに捨て去ることはないでしょうから) その非科学的な心性として いわゆる信仰をも持っています。単純に 超自然のちからを かみと呼んだことでしょう。  さて ここから スーパー歴史知性とよぶべき《ヨセ》なる人間類型が出ました。  単純に言えば ヨリ・アニミスムを備えたイリ歴史知性は その信仰において 神との共生をふつうの生としており 実際に或る種の儀式として 神との共食を持ちます。つまり 食物の収穫に感謝し供え物をして 共に味わうわけです。つまり《まつり(奉り・祀り・祭り)》です。  ヨセは このマツリを 一段高いところから(ふつうの歴史知性を超えたところの精神において) マツリゴトとして 制度化したというものです。マツリゴトとは 個人の信仰を束ねる宗教であり政治です。  古事記には こうあります。    その(仲哀タラシナカツヒコ天皇の)大后 オキナガタラシヒメのミ   コトは 当時(そのかみ) 神を帰(よ)せたまひき。     四百年ごろのことだと推測されますが 具体的には 九州のクマソもしくは半島の新羅を討つというくだりで出て来ます。  これは あたかも その昔のシャーマンを思い起こさせます。そして 違いは すでに 人びとは一般に イリ歴史知性なる有限な存在としての自覚を持ったあとだということです。かくて ヨリ・シャーマニスム+イリ歴史知性で ヨセなるスーパー歴史知性の誕生というわけです。鬼っ子かも知れません。  つまりは その昔のシャーマ二ストは まだ 人びとと同じ地平に立っていたところがありますが このヨセなる超歴史知性は この同じ水平を嫌ったようです。  嫌ったので 強引に 社会のいわば第二階に みづから上がって行ったのか それとも 人びとが その新型シャーマンに辟易して これを敬遠し 人びとの合意で これを社会の神棚に据えてまつろうということにしたか いづれとも推し測られます。(国譲り説は 後者です。社会が 二階建てになりました)。  要するに ここに 神の代理が 出現しました。見えない神との共食(供え物をしてのまつり)が 見える神との共食(貢税を伴なうまつりごと)になったという話です。これが 宗教の始まりを説き明かす一つの歴史事例(そのたとえ話)だと考えます。    ・ニーチェは 話になりません。神の代理とその権威の下に作られた宗教 つまり 宗教の教義の神(つまり これは 観念です)に対して 必要のないけんかをふっかけているだけです。  ・愛とは 社会における人びとのあいだの ふつうの共生であるでしょう。神との共生も 個人にあっては 信教・良心の自由において 伴なわれることでしょう。神の代理との共食は やがて歴史的に しかるべく揚棄されていくことでしょう。わたしたちは 永く 働き蜂に甘んじていたわけです。イリ歴史知性の回復 万葉集いや億葉集のルネサンスということではないでしょうか。

siniti009
質問者

お礼

ありがとうございます。 超人・自然への崇拝心から宗教は生まれ また宗教と言う言葉の意味の通り神と人間を結ぶという意味から 次第に神のと共生を考えるようになり宗教が生まれたということ でしょうか? つまり超人・自然崇拝や人間の心の弱さから宗教は どの人種にも生まれるものと考えて良さそうですね。

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noname#83451
noname#83451
回答No.1

生命体は世代交代(子をつくり)を行ない死にます。 生命体は、自分の命どうこうでは無く、種の繁栄を目的としています。 世代交代しない・出来ない生命体は、存在価値がありません。 カマキリのオスはメスの栄養のため、食べられてしまいます。卵に栄養がまわります。 ライオンは、4匹ほど子どもを産みますが、育てる過程で子どもが2匹以下になったとき、子どもを捨てるそうです。 子どもを捨て、もう一度交尾期に入るそうです。1~2匹のためにエネルギーをまわすのはもったいないからだそうです。 蝶の一種には、卵を産んだあと、その場に留まり、鳥など天敵が現れた時に飛び出し、自分が犠牲となることで卵を守るものもいます。 もちろん、皆、そこまで考えて行動しているわけではありません。 人間も本来は、生殖できなくなったときには、存在価値を失います。それどころか、生きている事で食料を消費して、邪魔な存在です。老体が死ねば、その分食料は若体に回り、生殖を助けます。 でも、ヒトは知能を持ったことで、「自分は生殖能力が無くなっても生きていたい」という”利己的な考え(わがまま)”を持ちました。 どうすれば、老体になっても生きていけるか、「年寄りは偉い。大切にしなければ」という道徳を作り上げました。 すべては、種の繁栄ではなく、自分が生きて生きたいという自分勝手な考えから道徳を生み出し、宗教へとつながっていきました。その結果、自然破壊(老体が増えた事でより住居確保が必要)・食糧危機(老体が無駄に食べる。生殖できないのに)・・・・いろいろな問題を生み出しました。 宗教は「愛」ではなく、自分が生き残るための”利己的”な手段。 以上、利己的な進化論でした。

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