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美大に行くための決意が揺らいでいます。長文です

こんにちは。現在、高校3年生で美大(グラフィック方面)を目指す者です。 私の将来の夢は美大に進学することだったので、高校2年の夏頃からアトリエに通い始めました。 高2から高3の期間は、まったくというほどデッサンが描けず、現役合格など絶対に無理だろうと、自分自信でも自覚していました。 しかし、絶対に現役で受かりたい!という気持ちを捨てきれず、それまで考えていた浪人という道を捨て、新たな気持ちで制作を始めたところ急激に伸び始め、1月、2月頃には講師も現役でいけるだろうと期待を寄せてくれるほど上手く描けるようになりました。(デッサン、平面共に) しかし、受験したムサビ・タマビ・造形、すべて落ちてしまいました。 浪人するつもりもなかったし、落ちることもないだろうと、あまく考えていた自分がとても情けなく、それと同時に 「なんの為に美大を目指していたのか」すらわからなくなってしまいました。 美大に行かなくても、デザインの勉強が出来るので唯一受かった桑沢に行くことも考えましたが、 将来的に専門学校卒では、企業や会社で下っ端としてしか扱われないと講師に言われ、気持ちが揺らいでいます。 もちろん、将来なりたい職業があれば、専門学校卒でも十分に頑張っていけると思います。 アトリエで一番仲の良かった友人は将来の夢を実現させるために専門学校に行きます。 しかし、私には将来の夢と言ったら美大に入りたいことだけです。(しかも、あの先輩が美大にいるから行きたい!というような感じです・・・) 両親や講師、友人はそれは立派な夢じゃないかと言います。 しかし私の場合は、ただデザインがしたくて美大に入りたいだけなのです。将来なりたい職業がないのです。 きっと、こんな生半可な気持ちで仮に美大に受かったとしても、また、そこで自分は何のために美大に来たのか悩むことになると思います。 それに、仮に浪人を決意し4月から再びアトリエに通い始めたとしても、私のような目標の無い人間はきっと挫折してしまうだろうと思えてなりません。 美大を卒業し事務所につとめたたものの、そこを辞めて今では占い師になった人の話や、予備校の講師達は職業がないからアトリエで講師をしているという話を聞くと、私もこうなってしまうのではないか、という不安感が頭をよぎるのです。 現役で合格する!あの職業に就きたい!という目標が無い今、新たな目標を見つけなければ、浪人の1年は無駄なものになってしまう気がして、 決断することが出来ません。 友人の美大へ行きたいという気持ちや、両親の話、親しい講師の受験時代の話・・・今、私の周りにいる人たちの話を聞いて、 参考になる部分がないか、周りの人たちはどんな思いでいるのか。きっと何かヒントが見つかるのではないかと思ってあれこれ模索している最中です。しかし、まだ決意が出来ずにいます。毎日毎日、そればかり考えて一日が過ぎていきます。 アトリエの友人たちは、来年の美大受験に向けて一日デッサンをしているようです。母親には、「あんたには、そんなことしてる時間なんてないんだよ?」と言われ焦りを感じますが、自分の中のもやもやは膨らむ一方です。 こんなことを考えている暇があったら、アトリエに行ってデッサンしているほうがいいに決まっていますが、受験が終ってから鉛筆も握っていないし、握る気にもなれない・・・。あんなに頑張っていた受験期を懐かしむばかりです。ただただ、毎晩のように涙を流すばかりです。 こんな私にどなたかアドバイスを頂けないでしょうか。どんなに厳しい言葉でも構いません。 答えの出せない自分が情けなくてなりません。よろしくお願いいたします。 ここまで読んで下さって本当にありがとうございます。

みんなの回答

noname#83077
noname#83077
回答No.15

こんにちは。 わたしの美大受験時代を思い出しました。 わたしも似た気持ちでした。その頃は、なんとなく絵が好きだから、美大に行って絵を勉強したい。そして美術系の仕事に就けたらいいかもしれないなってただ漠然と思っているだけでした。これといってはっきりした将来なりたい職業はありませんでした。 現役不合格し、某予備校(池袋)で浪人しました。 が、1浪目、芸大1次は合格、T美術大学は補欠でしたがまわって来ず。結局2浪人し、違う美術短大へ行きました。 辛い浪人生活でした。何回泣いたかわかりません。 その後、受験に失敗したショックや、他のごたごたもあって、絵が楽しく描けなくなったりもしました。結局、これといって特別何もやる気がなく卒業だけして地元に帰りました。 その後、就職(アート関係ではない)しましたが、一生懸命頑張ろうという気持ちみたいなものを失ってしまいました。心に穴があいたような感じですかね。 浪人時代、頑張ったんだから悔いがないとは言えませんでした。こんな事なら、あの時(現役)、浪人なんかせずに、いける所に行って、そこで頑張ればよかったかもしれないとも思いました。浪人したからといって必ず受かるわけではないのですから。何浪もし、結局どこも受からず、去っていく生徒を何人も見ましたし。特に、芸大は5,6浪人当たり前です、10浪の方もいましたよ。 ある時(20歳半ばの頃)、友達が海外旅行に誘ってくれて、一緒に色んな所に行きました。世界は広いです!その頃から、また何かに挑戦してみたいという気持ちが出てきて、海外や語学などにも興味がありましたし、20後半から英語を一生懸命勉強し、念願のアメリカの某大学に合格!!!現在、3年生です。もちろん、アート専攻です。浪人時代のつらい思いがあったからここまで頑張れたとも言えるでしょう。今はとても楽しく、充実しています。(ここからがまたスタートだと思っています。) 人生どこでどうなるかわかりません。 浪人、いける所に行く、進路を変える、と、色んな道があります。 人生どこでどうなるかわかりません。自分で選んだ道に自信を持って進んで欲しいです。 悩んだ日々は、必ず無駄にはなりません。 どうか、頑張ってください!

  • igreg
  • ベストアンサー率16% (64/385)
回答No.14

40代、既婚女性、グラフィックデザイナーです。 私の若い頃を思い出しました。日本の美大受験のデッサンや平面構成は、無意味では無いにしても、デザインをする楽しさ、絵をかく喜び等を奪いさってしまう事が少なくありませんね。訳が分からなくなるのも当然だと思います。大学に行きたい理由なんて、何でも良いと思います。大体、大学に行く事自体、大した事でも無いんだから。芸大や美大を出て、あっさりとデザインや絵画を止めてしまった人も沢山います。もったいないとは思いますが、それもありだと思います。ただ、芸大や美大に入学する事自体がこれほど難しいと言うのは、私にはどうしても理解出来ません。多くの学生を試験で落として入学させないのは、意味の無い事だと思います。ですから、質問者さんが現役で美大に入れなかったのは、本当に残念だと思います。 私は、美大受験の頃、本当は何にもなりたくありませんでした。でも強いて言えば、デザインとか絵が好きだったので、それだったらまあ将来の仕事としてやっても良いかな~と思っていました。実際には一浪し、武蔵美の短大の絵画科に入り、その後グダグダ数年間過ごした後、26才で渡米し、(これまたよこしまなのですが)労働ビザが欲しい一心で、現地の大学で僅かばかりのグラフィックデザインを勉強しました。その後、アメリカの企業のデザイン部に就職する事ができ、転職もして、現在はフリーでグラフィックデザイナーをしています。はっきり言って、デザインが本当に好きになったのは、最近です。 私の親しい友人で、桑沢を出て、デザイナーになったけれど、朝から晩まで、時には休みの暇で働く日々が続き、ついには体を壊してしまった人もいます。その人は、今では数々の受賞をした版画の作家となっています。 特に、日本のように大学で学ぶ事と実際に就職して働く分野と全く異なる事が珍しくない社会では、大学は一つのきっかけでしかない場合が多いと思います。 人生、いろいろな事があります。色々迷って、失敗してみて下さい。無駄と思えるような事も、実際は必ず何かの役に立っているものです。自分の人生は自分で作り出すものです。過去に引かれたレールなど存在しません。時には、立ち止まって、何もしない事も必用です。自分をじっと見つめると、本当は何がしたいのか見えて来る事があります。要するに、その時々でしたい事をすれば良いだけの事です。

  • Mr-WATSON
  • ベストアンサー率59% (117/196)
回答No.13

桑沢卒です。 卒後20年以上なので、今とは事情が違うかもしれませんが… 学歴や出身校は話題にはされても、まったく問題になりません。 ただし! 四大卒でないと門前払いのところもありますから、特に(社会人としての)経験を積まないうちは要注意です。 美大という話と少し離れますが、高校卒業後の進学についての自分の持論を言わせてください。 「高校卒業後の学校は2度行け」 卒後すぐ、現役でなくとも事情がゆるされるならば2浪くらいまでに、とにかく勢いで(多少興味がある方向ならば)なんとかして行ってしまう。親のお金で行ければなおのこと、勢いで。 高校生の考える将来の自分像、職業観、大学などの高等教育に対する考え方や心構えなんて、言い方は悪いですがたかが知れてます。 自分もそうでした。 父親と同業を選び、考えに考えてグラフィックデザイナーという職業を選びましたが、やはり「本当によかったのか?」と何度も悩みました。 専門学校へ行ってしまった(要は美大・芸大に落ちました)ため、潰しのきかない学歴にも悩みました。 石の上にも三年~ではありませんが、ある程度コレと思って仕事に取り組んで初めて、自分にはどういうことが向いているか~や本当に自分のやりたいことは社会人になってから実感できると言えるでしょう。 よく聞きますよね 「学生の時にもっと勉強しておけばよかった」 どんなに聞かされても学生である自分にはその真の意味はわからないものです。かなりマジメな学生だった自分でもそうでした。 そして、ある程度の経済力がついて、自分の本当に学びたいことがわかってからもう一度大学なり専門学校なりに行けばよいのです。 それこそ学費をムダにすることはありません。 少子化の今、社会人入試などで社会人が入りやすい学校は少なくありません。美大や美術系専門学校は多浪や他の学校を卒業してから入る人も多く、その気になれば手段はあるものです。 しかも、高校卒業後にとりあえず行った学校での単位がいくらか認められるケースがほとんどです。 つまり、卒業単位を取得するために取りたくもない授業をアクセクと取る必要もありません。本当に学びたい科目を選ぶことができます。 大学(専門学校でも)に行けるのは今だけではありません。 いつだって遅くはないです。 ただし、同級生や同じ年頃の受験生と一緒に勢いで行ける今の時期も貴重です。 仕事も同じ。 回り道をしてもやっぱりやりたい仕事に就こうとするのが人の常。 質問者様のような道を目指す方ならなおさら。 その時に回り道をしたこともそうそう無駄になるわけではないですよ。 ちなみに自分は30代の10年間を「うつ病」で棒に振り、医学部図書館でアルバイトした挙句、図書館司書の資格を取りに社会人入試で短大に行き、資格を取った途端に思いなおしてデザイナーに舞い戻りました。およそ畑違いを含めて転々としましたが、何一つムダになっていないと実感できます。 あまり具体的なアドバイスになってないかもしれませんが、あまり焦らずに「何が何でも」と自分で自分をしばっているモノから自分を解き放ってあげましょう。 それからもう一度ゆっくり自分が何をしたいのか考えればいいのです。

  • simonsays
  • ベストアンサー率11% (3/26)
回答No.12

>将来的に専門学校卒では、企業や会社で下っ端としてしか扱われないと講師に言われ どういうコースを選んでも、上に行く人は行きますし、下っ端な人は下っ端ですし。

noname#110629
noname#110629
回答No.11

あまり無理をしていると、好きで描いているのか描かされているのか分からなくなりますよ。  絵に従事するのは、始めは人を感動させたいというよりは、自分のために描いている、制作している事の方が強いと思う。ただ、得意だったからと言う人もいるだろうけど。   「会社や企業の下っ端でしか扱われない」  No,7の方の言う通り、グラフィックを目指すならデジタル検定一級とるにしても大学の卒業資格は必要です。しかも、英話もこなせなくてはいけませんし。将来生業とするスキルで就職口も心配なく確保したいとなるとどちらにせよ必須な資格です。気付いた時にはもう遅いし。  でも、仕事でクライアントと話しますけど会社も企業も、大卒だけの人を優遇すると言うのも違うような気がしますけどね。(けど、給料には差がつく) 一定のスキルを持った、頼まれた事を一定の条件で満たす機械人間を探しているなら問題ないか・・。でも、アートは個性、自分を認めさせて評価もされたくありませんか?。 企業は分野にもよりますがどれだけの利益をもたらしてくれるかの可能性、実用性、求められているものを探していると名刺をくれた広報の人は話してた。(ゲーム会社・出版関係)  アートは楽しんで下さい、デッサンデッサンとチマチマと楽しくない時に描いても、つまらないケチな絵にしかなりません。魂も心もこもってないのは比べてみても一目瞭然。そして自分より上手い人、尊敬する人の絵を見て闘争心を燃やして下さい。懐かしむ気持ちもぶっ飛びますよ。 「俺ならこうは描かないね」と相手と自分との違いを見つけると一層に。  描き手は個性の強い人が多いですから。

  • deuta
  • ベストアンサー率13% (2/15)
回答No.10

「自分の夢は美大に入りたいことだけだ」って素直に言えてしまうこと、大切だと思います。きっと今予備校で勉強している人たちも、心の底では自分の行為を疑っていることでしょう。でも、立ち止まることが怖くて自分を騙し続けている。考えまいとしている。(だって、多岐にわたるデザインの学部をまとめて受験してしまうんですからね・・美大を目指す人に限ったことではありませんが^^;) あなたの様に自分の心と正面から向き合える人こそ、幸福な未来を手にする権利があるんだと思います。今はきっと、我武者羅に歩むよりも舵を取ることが重要なのですよ。

noname#64696
noname#64696
回答No.9

いつも思うのですが、ここで自分の将来について質問される方の多くがかなり若いうちから色々な可能性を考えている事に驚かされます。 IS_MIさんはいつ頃から美大に行きたいと思い始めたんですか? 高校で美術部などに入っていたのでしょうか? 中学の時からそんな事を考えていたのでしょうか? 私はその時その時の一歩しか考えておらず、しかもギリギリまで緊張感もありませんでした。 ですから大学を卒業して次はどうすれば良いんだろう?と考えた時に始めて自分も人並みに働かなければいけない事に気が付きました(笑)。 これはかなり酷い例ですが、IS_MIさんが高校の次に大学進学しか見えていないというのも特におかしいとは思いませんよ。 そこから先というのは本当にどうなるか分からない世界です。 勿論将来の目標に近づける大学を目指す事が出来れば、進み安いとは思いますけどね。。。 でもそれがどうも具体的に分からないのなら、考えるのを止めろとは言いませんが、とりあえずの一歩だけでも決めれば良いだけですよ。 それが浪人であっても、専門学校であっても、就職であっても、フリーターであっても、その選択肢によって進む枝は自然と伸びていきますから、どれが駄目とは誰にも分からないのが本当です。 まあ、大学の後の事は分からないのですから、その事で悩むのは今の「受験の失敗のショック」から混乱しているだけであって、「美大入学」というとりあえずの目標を「浪人」という形でまた確固としてゆけばいいじゃないですか。 不安ですか? そりゃそうですよね。。。 でも「美大」のその後は全く分からないんですよ。 だからIS_MIさんがいまゴチャゴチャと考えているものはどれも答えの無いものなんです。 そのゴチャゴチャを「浪人時代」に持ち込んだっていいんですよ。 両親も講師も自分の知っている範囲で色々言ってくれているだけで、その答えになんの根拠も無いようなものなんですよね。。。 結局今がどんな形であったとしてもIS_MIさんは「そうした時期」に入ったという事なんです。「ゴチャゴチャしてしまう時期」にね。。。 これは避けようが無いですね。 自分でもおっしゃっているじゃないですか、「美大に受かったとしても、また、そこで自分は何のために美大に来たのか悩むことになる・・・」って。。。 受かっていてもこうした「悩み」を持つ「時期」に来ているんですよ。 そしてその答えは「その時」が来ないと明確にはならないんです。 次のステップの枝が生えてくれば自然とそのどれかを選ぶ事になります。 その枝の先が「吉」か「凶」かなんてその時の自分が判断するだけで、「今のあなた」では判断つかないものなんです。 「占い師」になろうと、「アトリエでバイトをする予備校の講師」になろうと、それを今のあなたが「嫌だな」と思っても、「その時のあなた」が嫌だと思うかは分からないんですよ。 それにその時嫌だったら、その枝でない他の道だってあるかもしれない。 何があるかなんて分からないんです。 もしかしたら大学時代に「運命の人」というものと出会って「結婚」という枝を登るかもしれないじゃないですか。 それがもっと早くて「浪人時代」に訪れるかもしれない。。。 今はそんな馬鹿なこと・・・と思うかもしれませんけれど、本当にそうした「何が起こるか」なんて分からないんですよ。 因みに私はそのあまりに酷い意識を引きずりながら、「就職浪人」でも無くフラフラバイトをしたりして、絵の専門学校に「何となく」入りました。 そこでもろくに授業も出ないで飲み遊んでいて、ある時紹介から「たまたま」デザイン事務所に入ります。それだって別に将来の計画とかでは無く、「何となく」です。 そこでプラプラ使いっ走りなどをしていて(私は別にデザインをやりたいと思ってはいなかったので)、たまたま絵が描けるという事でイラストの仕事を引き受け始めます。 そうした「なんとなく」伝っていった枝の途中に今の自分がいるんです。 私はギターも弾けるので、そのバイト先がデザイン事務所ではなくて音楽事務所だったら、今頃はギタリストという枝にくっついているかもしれませんね(笑)。 これは「適当でいいよ人生なんか」という例で挙げた訳ではありませんよ。「人生」なんて何がどうなって「自分」がどうなるかなんて分からないものだ。という事を言いたかったんです。 こんな私でも一応四苦八苦しながらも枝にしがみついているのですから、これだけ考えるIS_MIさんは、その「人生の分岐点」でもっとキチンと選択してやっていけると思いますよ。 要はそうした「人生の分岐点」で、自分が「やってやる!」という気持ちが出せるかどうかなんです。 その枝の先の別れ方は、今考えても分からないものですよ。 長文になりましたが、とりあえず今選択できる枝を「吟味」して、そのまま進んでいけばいいと思います。という事です。 それしか無いですよね(笑)。結局。。。 大丈夫だから、良く考えて一つ選んで下さい。頑張って!

noname#168882
noname#168882
回答No.8

こんにちは 家のひとは一浪してもいいっていうのでしょう? だったら、一浪して大学に行かせてもらえばいい。 そこまでがんばったのならば、いきつくところまでやってみなさいよ。 もう一年やってみてそれから先のことを考えればいい。 その経験は絶対無駄にならないから。 あきらめたら、人生それで終わり。 残るのは挫折した記憶ばかり。 やってみなきゃあ何にもはじまらない。

  • sicco
  • ベストアンサー率27% (134/486)
回答No.7

自分の場合、東大に入りたいと思って入ったんだけど、将来の目標もなく入ったんで、入ってから、どうしていいかわからなくなった。 それで、なりゆきみたいな人生を経て、いままったく学歴に縁のない仕事をしているけど、まあ成功したクチかな。 周りを見ると、あれになるんだ、これが夢なんだ、って目を血走らせてる若いヤツほど、すぐへこたれる。 期待過剰で、頭の中のイメージばかりふくれあがってるんだ。 そういうのはあんまり信用しない。 高校の頃から、将来はこの職業、って決めつけてるヤツはむしろ気持ち悪い。 美大に行きたいのは、あなたの潜在意識がそうさせてるんだから、行けばいいと思う。 あなたが意識的には気づいていない何かが、あるんだよ。 将来のことなんか、その時その時、考えればいいの。 >もちろん、将来なりたい職業があれば、専門学校卒でも十分に頑張っていけると思います。 それは、そう甘くはないよ。 たとえば広告代理店には芸大と美大卒じゃないと就職できないしね。 浪人して美大行っときな。

  • suunan
  • ベストアンサー率14% (224/1569)
回答No.6

根本的にダメですね。 「将来の夢と言ったら美大に入りたいことだけ」 美大に入って出るのはその後の目的へ向かうための手段にすぎません。 手段を目的としているのでは、 仮に美大に入ったらそこで人生の目標は失われるので 留年を繰り返して中退することになります。 仮に卒業しても、そのあと何にもなれません。 何にもなりたくない者が何かになれるわけがない。 「あの先輩が美大にいるから行きたい」 こんなの完全にアウトですよ。 自動車にたとえると車輪とエンジンがありません。 そもそも、技能職は一生自分を磨いてゆくのであって、 一年の浪人でそんなに深い挫折感に落ちるなら 精神力が標準以下であり、ぜんぜん見込みがありません。 むしろここで不合格になったのは幸運でした。 まず美術そのものが大好きでなければ成功するわけがありません。 美術方面の進路はいっさいあきらめて、他の職業につきなさい。 会社の下っ端はいやだとか将来が不安なら公務員になればよろしい。 楽して得する方法は無いので、 努力を怠る者は平凡な生活で満足するほかありません。

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