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無生物名詞の受動態
最近、本で読んだのですが、無生物名詞を主語とする場合、受動態は、 文法違反であるようなことが書いてありました。 本当なのでしょうか? その本には例がたくさん書いてありましたが、 例えば、 「センサーは校門の脇に置かれています。」は誤りで、 「センサーは校門の脇に置いてあります。」 というのが正しい、と書いてありました。
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いや、文法違反では有り得ないですが、 「センサーは校門の脇に置かれています。」よりは、 「センサーは校門の脇に置いてあります。」の方が、 やはり日本語として自然な印象を受けますね。 「センサーはどこ?」と聞かれて、 「校門の脇に置いてあるよ」と答える人はいても、 「校門の脇に置かれてるよ」とはなかなか答えないのではないかと思います。 そもそも無生物主語の構文は、 英文和訳体の文章から広まったものです。 ですから、日本語としてより自然な表現に書き換えることができる場合が多いですね。 加えて、日本語、特に柔らかい文体では、 それほど受身の文章は多用されず、 (といいながら、このような硬い文体では私も多用していますが) むしろ主語を明示しない能動的な文章が使われますので、 そのあたりを踏まえて、より適切な表現を用いるのが良さそうです。
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文法違反などという言葉は「言語学者でない無知な者の言葉」だと思いますね。 言語は生き物だし、日本語は変化が早いし(これは「標準語がない」からです。英語だとシェークスピア、ドイツ語だとゲーテと規範がある、フランス語のアカデミーフランセーズの衒学的な議論は不毛だが、日本語には規範がない、私は吉本隆明先生の言葉が明快で良いと思うのですが)どの様な使い方でも一応意味は通ずる言語だし…。 無生物が主語の受け身は表現を軟らかくする利点があります。 他方、受け身を除けば、文章は簡潔になり、日本語特有の、持って回った、イライラする程婉曲な表現から解放されて、言いたいことがはっきり見えます。 ただそれだけ。
お礼
ありがとうございました。
- ANASTASIAK
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嘘です。 そこまでいうなら間違いだという理由は?
補足
その本というのが 「許すな!悪文と不正確発音」(赤塚伊三武著、大学教育出版) です。 その7ページから引用すると 『3.無生物主語に対する動詞を受動態にする罪 無生物主語とは翻訳に関する用語であり、文字どおり、生物とは違う有形物および無形物が主語になっている場合、その主語をそのように呼ぶのである。なにゆえ生物と無生物を区別するかというと、元来日本語では受動態は特殊な表現であって、生物、とくに人間、が主語になった文での受動態は、代表的表現から、「迷惑の受動態」とも呼ばれる限定的な面でのみ使う形であるからである。 つまり、日本語では、生物とは違って、無生物主語に対しては述語としての動詞には受動態は元来存在せぬのである。このことを義務教育時代の子供の脳にしっかりと叩き込まぬから翻訳調と言われるこの形が蔓延してきたのである。・・・』 その本の例では、 「プライバシー保護のため暗号化されることなく送信されます」(誤)⇒「暗号化することなく送信します」(正) 「上の2件と似たページは除かれています」⇒「除きました」又は、「除いています」 「軍配が返されました」⇒「軍配が返りました」 「今作られているのは」⇒「作っているのは」 「濃硫酸が積まれていた」⇒「積んであった」 「迫撃砲弾が埋められているのが発見された」⇒「埋めてあるのが」又は「埋まっているのが」 「現場に残されていた」⇒「現場に残っていた」 「印刷されていますが」⇒「印刷してありますが」 など、まだたくさんの例が書いてあります。 日本語には「元来存在しない」用法なので、文法的に誤りといってしまいました。
- miirumatsu
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嘘です。 そのような規則が鵜呑みにされると、日本語の文章表現の幅は極端に狭まり、豊かな表現力を失う一途をたどるでしょう。 表現の多様性は日本語の特長の一つです。 せっかくの豊かな国語を、貧しくしたくはないものです。 ただ、国語文法の場合、「受動態」という用語はふつう用いません。 「受身の表現」などと言うのがふつうだと思います。
お礼
ありがとうございました。
嘘です。次のような例は普通に見られます。(←この文も受動態) 千葉で回収された「CO・OP手作り餃子」17袋から微量の殺虫剤が検出された。
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。