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江戸の庶民が読み書きそろばんに力を入れたのはなぜ
江戸時代、日本は世界で最も高い識字率で5割程もあり、明治以降の高度成長に原動力になったと聞きました。 身につけた教養が収入に結びつくわけでもないのに、指導者層でもない江戸の庶民までが読み書きそろばんに力を入れたのはなぜでしょうか。
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徳川政権による、長期の平和が根本的には原因だと思います。 長期平和によって、江戸時代初期は人口爆発で人口が二倍になっています。 土地は決まっているわけですから、農業形態を変える必要があります。 粗放的農業から集約的農業への転換です。 集約的農業とは何かというと、単に人間がたくさん関わるのではなく、生産を高めるために、産品を変えたり、肥料を加えたり、つまり農業が「知識産業化」することになります。 平和が続かなければ、戦乱による人口調整が行われますので、農業の集約化のドライブがかかりづらい。また、土地がなければ、余っている土地に移民できるとなれば、また集約化のドライブがかからない。 ということで、狭い土地で人口が増えたので、農業が集約化という知識産業化したために農民も「読み書きそろばん」が必要になったということになります。
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- m-jiro
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こんばんは 私見ですが・・・ひとことで言えば読み書きも計算も日常生活で必要だったから、ということでしょう。 江戸時代は何かにつけて証文を書いています。お金の貸借や商取引はもちろん、トラブルがあった場合の詫び状や解決した時の済み口証文などずい分ありました。現代よりよほどしっかりしていたと思いますね。 領主や庄屋からの指示も文書(回覧として)届くことも多かったようです。 町場だけでなく、田舎でもそうでした。 私の生まれた所には当時、寺子屋はありませんでしたので庄屋が読み書き・計算を教えていました。 計算も日常生活に必須だったと思います。当時のお金には金貨・銀貨・銭貨がありましたが、日常生活で互いの換算が必要でした。しかも同じ1両小判でも慶長小判と元禄小判では価値が違いますし、単位が10進ではないので相当面倒な計算が必要だったはずです。 「3両を2割の利子で1年借りるといくら返すか」 こんな計算もしょっちゅうやっていたはずです。1両=4分=16朱 ですから現代人には難しいですねぇ。長さや面積も10進ではありません。 農民は米相場を見ながら売る時期を調整していました。つまり計算ができないと農家の経営もうまく行かなかったみたいです。
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お返事が遅れまして申し訳ありません。ご解答ありがとうございます。 読み書きできることを前提にした文書社会では勉強せざるを得ませんね。 貨幣の単位も複雑だったとは。。私なんか生きていけないかも。
NO.3です。 江戸時代の階級のピンからキリまで 武士:ピン大名、キリ足軽(武士とは言い難いですが) 町人:ピン豪商http://www.tanakahonke.org/htm/profile.htm、 キリ棒天振 百姓:ピン大庄屋http://www9.plala.or.jp/vintage/nozakitei.html キリ水呑み ということで、町人のピンの豪商や百姓のピンの大庄屋は、武士のキリよりはずっと上でした。 町人や百姓のそれぞれのピンからキリまでの幅は広いものでした。 もちろん、世襲とかなんかで棒天振や水呑みがピンの豪商、豪農になるチャンスは少なかったですが、努力次第ではキリから抜け出すことはできたわけです。 その第一歩が読み書き算盤でした。
お礼
重ね重ね ありがとうございます。 自分の階級の中に大きな格差があり、ステップアップできる可能性があったことがモチベーションになったことがよく分かりました。 階級の仕組みが他の国とちょっと違っていたわけですね。
- mixy39
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あくまで参考程度にお聞きください。 それは庶民にもそれらの能力が求められていたからです。 まず、商人は先の回答者さんがおっしゃっている通りでしょう。 金勘定ができなければ商売で損をするし、取引上読み書きができなければ不便があります。 そして、農家にも識字能力の必要性はありました。 江戸時代になると多くの農書が発刊されます。 たとえば宮崎安貞の『農業全書』や大蔵永常の『農具便利論』などが有名です。 田畑の売買が禁止されている中、農家が生産量をを増加させるには、生産効率を上げるしか方法はありませんでした。 こうして能書を読むなどして生産力の向上に努めない農家は没落してしまいます。 また、江戸時代の村役人であった「村方三役」のうち百姓代は本百姓の中で有能であるもの(もちろん読み書きそろばんは必須)が選ばれ、上からのお触れを伝えたりする役目も持っていました。 だからといって、この百姓代が必ずしも善人であるとは限りません。 例えば、わかりやすく村人全員が識字能力のない農民だったとします。 お触書には「今月は特別に年貢1割増徴」と書かれていました。 百姓代は村人に「今月は特別に年貢を2割増徴」だそうだと伝えれば、1割分の差額で私服を肥やすことができます。 農民の識字率向上は自衛の意味もあったそうです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど農村にも情報が入ったり、能力があれば、百姓代に選ばれたり、実利に結びつくこともあったわけですか。 他の国でも階級社会であったことは同じなのに、日本では庶民でも能力を生かすことのできる社会だったのですね。
>身につけた教養が収入に結びつくわけでもないのに・・・ ここのところですが、収入に結びついていたんじゃないでしょうか。 文字が発明されて以来、どこの国のどの時代でも、文字を知っている奴は最下層ってことはありませんでした。 (1)どんな商売をしても、ゼニ勘定が必要です。少しマシな店だと帳簿がなくては商売になりません。 商店に丁稚に入ったとすると、読み書き算盤ができなければ出世は絶望的です。 (2)農家でもおなじです。マシな百姓は読み書きができました。 江戸時代は武士階級と町人百姓階級の間に越えられない身分の壁がありましたが、町人の中だけに限ると、世襲ということはありましたが、それ以外は自由競争、実力社会だったと思います。 文盲だと、余程腕力が優れているか、手先の器用さがなければ、最下層の人生に甘んぜざるを得なかったと思います。 今の社会は皆大学を出ていますから、大学を出たからといって、その程度の教養では、それが直接収入の多寡に結びつくというわけではありませんが・・・(しかし、いくらなんでも文字を知らないと、えらいことになりそうです)。
お礼
ご回答ありがとうございます。 能力があれば、商店の丁稚から昇進を目指すこともできたわけですね。 マシな百姓は読み書きができたようなのですが、それを何の役に立てていたのか少し疑問が残ります。 日本以外の国でも農民が多数派、階級社会であることも同じなのに、日本だけ学問が広く普及したのは不思議です。
- komes
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江戸時代町人の子弟が職につくのは商人の丁稚になる他ありませんでした。 その他の職業には読み書きは必要なく弟子入りして体で覚えることで済みました。 商人の丁稚になってから読み書きソロバンを実地訓練する場合にも役にたったのです。 僧に弟子入りし「門前の小僧習わぬ経を読む」という時にも役に立ちます。 学問で身を立てる志にも必要でした。 つまり町人の子弟が少しでも出世がしたければ最小限度の教養として必要であったからです。
お礼
草々にご回答ありがとうございます。 商店に採用してもらうには必要だったですね。 でも人口の8割を占めるといわれる農村でも学問を読み書きを身につける人が少なからずいたのはなぜか の疑問が残ります。
- yatoaa
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店(呉服屋、両替商、いろいろ)に 就職するためじゃないでしょうかね 今でいう大企業への就職活動で資格を 取っておくというような意義でしょうか 読み→重要書類を理解する 書き→書類を作る、台帳をつける そろばん→勘定、計算、経理 江戸などの都会では農業はほとんどありませんから 商人などになるしかなかったのかもしれません 商人や工業(職人)の世界においても幹部になるためには 無学というわけにはいかないでしょうから
お礼
草々にご解答ありがとうございます。 なるほど商店に就職するのに必要だったのですね。 江戸時代の農民人口は8割ぐらいだと思うので、一生懸命勉強しても商店に就職するのは狭き門だったのですね。
お礼
お返事が遅れまして申し訳ありません。ご解答ありがとうございます。 非常に納得できました。260年間も安定した平和な社会を実現した江戸時代は世界でも稀に見るものだと重います。 人口増に対して森林以外の面積が限られていたこともカギになっているのですね。