里山の神社にいた齧王とは一体何者なのか?

このQ&Aのポイント
  • 本日ドライブ中に、里山の麓に立つ神社の前を通った時、祭られている御神体(本尊?)の名前に「齧王」という字を読み取りました。
  • 鳥居があったため神社だと思われますが、検索すると仏教との関連も示唆されました。
  • この「齧王」とは一体どんな存在なのでしょうか?神道と仏教の境界線が曖昧だった時代に混在していた神々の一つなのかもしれません。
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齧る?一体祭神は?

本日ドライブ中に、里山の麓に立つ神社の前を通った時ですが、 祭られている御神体(本尊?)の名前に「…齧王…」という字を読み取りました。 齧る王…?? その時は単に「里山だから昔は狼とか山イヌがいたんだろうな~」と思ったのですが、 時間が経つにつれ疑問が大きく、収拾がつかなくなってしまいました★ 鳥居があったので神社だと思うのですが、検索すると仏教とも…(しかし他国サイト・涙) 昔、神道と仏教の境を決めるまでは祭神が混在していたとも聞いていますが、 それにしても「齧王」とは一体どういう存在なのでしょうか? ※質問中、神道用語と仏教用語がごちゃまぜだと思いますが、何卒お許し願います。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ichien
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回答No.3

 こんにちは。  この字を用いる神はトヨクムヌノミコトの一柱のみのようです。かなり珍しい名前と言って良いでしょう。その本体が判れば珍しいのも納得が行きます。  下のページから関連の部分を転載しておきます。 トヨクムヌノミコト 豊斟渟尊・豊組野尊・豊香節野尊・浮経野豊買尊・豊国野尊・豊齧野尊・葉木国野尊・見野尊(豊雲野神) ――神世七代の神。別天神。独神で身を隠している。葉木国はハコクニという。  この神を始祖とする氏族はいない。  質問に有る「…齧王…」とは異なりますが、或いは見間違いかも、と感じます。豊齧野尊ではまつっている神社は検索では見当たりませんが、豊国主尊だといくつか出てきます。 http://www.google.com/search?q=%90_%8E%D0%81@%96L%8D%91%8E%E5%91%B8&ie=Shift_JIS&hl=ja&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5&lr=lang_ja

参考URL:
http://estest.u-hip2.com/library/myths/god-jiten-t.html
rosso_cat
質問者

お礼

回答ありがとう御座いました。 気になって昨日も見に行ってしまったのですが、「齧」ではなく「醫」でした… これは「医」の旧字体のようですね(恥) 「醫王」で検索したら、薬師如来の別名という記述がありました(恥×2) お察しの通り見間違いでした~(大恥) どうして薬師堂って書いていないんだろう(至極勝手な言い分) 参考URLにも行ってみましたが、 お教えいただいた方も結局どういう方なのか見当がつきませんでした… No.1の方の狗齧王といい、かえって謎が深まったようです。 それとも「齧」の字を持つ方は、何か複雑な過程をへて神格化されたのでしょうか。 うろ覚えですが、帰化した神々の中にはそういう話もあったような気がするので。

その他の回答 (3)

  • 70633
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回答No.4

No.3の70633です。 平安時代以降に、神仏習合として、 神と仏は表裏一体であるという、本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想として、 仏を神として祀ったことが、今も残っています。 明治初期に起きた、廃仏毀釈の中で、地方によっては完全に分けられてしまった場合もありますが、 完全に分かれていない例のほうが多いように思います。 かつては、大きな神社には神宮寺が置かれ、 寺には、鎮守の神が祀られたものです。 その名残も各地で見られます。 お堂に鳥居があることは不思議でもなく、 大阪の聖徳太子が建立したという四天王寺にも、 大きな鳥居が現存します。 http://www1.kcn.ne.jp/~rascals/shikinokuni/sitennouji.html

参考URL:
http://www.kamnavi.net/mn/osaka/sitenouji.htm
rosso_cat
質問者

お礼

お礼が遅くなって大変申し訳ありません。 あれから色々調べて見ましたが「齧王」に関しては進展なしです。 #流石に中国のHPへ行くほどの語学力も勇気もないので。 でもそのほかについては付け焼刃ながら少し知識がついてきました。 仏教と神道が交じり合ったり分かれたり、時の為政者の都合で神仏もいい迷惑ですよね。 何度もありがとう御座いました!

  • 70633
  • ベストアンサー率34% (295/847)
回答No.2

齧のつく日本の神名を当たったのですが、 豊齧野尊(トヨカブノノミコト)しか、見つかりませんでした。 豊齧野尊は、豊雲野神(とよぐもぬのかみ)の別名です。 http://www.loops.jp/~asukaclub/kami/kami_007.html お尋ねの神とは違うと思います。 多分、中国からの帰化神だと思いますが、あまり詳しくないので、

参考URL:
http://www1.plala.or.jp/kobokudo/hondana/hou/sinwa.html
rosso_cat
質問者

お礼

アドバイスありがとう御座いました。 気になって昨日も見に行ってしまったのですが、「齧」ではなく「醫」でした… これは「医」の旧字体のようですね(恥) 「醫王」で検索したら、薬師如来の別名という記述がありました(恥×2) 教えていただいたHPを見に行きました! …神道の神様ってなんで何通りも名前を持っているんだろう… 先にも書きましたが祭られていた(この表現はあっているのでしょうか?)のは 薬師如来だったようです。(多分)如来なのに鳥居? でもよく「お堂」といわれる建物の前には鳥居がありますよね。

  • aster
  • ベストアンサー率70% (374/533)
回答No.1

  Google で、「齧王」で検索すると、繁体文で、「2149 大唐?典? 0225c」というタイトルで短い文書があり、そのなかに、「 [狂-王+樂]狗齧王經(舊?云[狂-王+樂]狗經 」という言葉が入っています。 これは、恐らく、「王」を偏にし、「樂」をつくりにした漢字があるのだと思えます。「(狂樂)狗齧王經」という「経」があり、その旧名は、「(狂樂)狗經」と云ったということだと思えます。 「狗」は犬のことで、あるいは、「音楽に狂う犬の書=経」というような書物かも知れません。「齧王」は、犬に相応しい称号ですが、これはあるいは、「齧族」というような部族がいて、そこの王のことかも知れません。「齧族」で検索すると、十はないですが、ヒットします。これが「齧る動物の種類」のことか、「齧族」という部族・国民のことかよく分かりません。 「狂樂狗」という人名でしょうか、齧族の王である人物がいて、その名の付いたお経ということになります。中国から見て、蛮族を卑しんで「齧族」などと呼び、その王を、「齧王」と呼んだのかも知れません。 「経」とあるように仏典のようで、「大唐」とか読めますので、何か、玄奘の「西域記」にでも、そういう国や王が出てくるのでしょうか。仏教ゆかりの王で、仏教に帰依したか、何かで仏教の守護者のような立場にあるのかも知れません。 まったく見当違いかも知れませんが。仏教の守護王の名が、神道の神の称号に入っているのかも知れません。(あるいは、実体は、「狗の王」で、仏教に帰依して守護者となったのかも知れません)。  

rosso_cat
質問者

お礼

早速の回答ありがとう御座いました。 気になって昨日も見に行ってしまったのですが、「齧」ではなく「醫」でした… これは「医」の旧字体のようですね(恥) 「醫王」で検索したら、薬師如来の別名という記述がありました(恥×2) でもたった2日の間に、「齧王」に非常に興味が湧いてきました。 #経典にあるのに、日本ではただの一言も記述されているHPすらない。 神道や仏教に関する用語辞典もあるようなので読んでみようかと思います。

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