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ゆとり教育の理念は正しかったのでしょうか?
リーター、ニート、若年犯罪の増加。 大学進学するもろくに勉強せず、就活で慌てふためく連中。 共通してるは生きる目標(力)が欠如してるのではないでしょうか? それを醸成しようとして総合学習導入したけど、逆に基礎学力低下がクローズアップされておじゃん。 方向性としては合ってたのでしょうか? ゆとり教育見直しが本格化しているこの時期に、改めて皆さんの見識を語って下さい。 大勢の方からのご意見、お待ちしています。
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ゆとり教育の評価ですが、残念ながら、目先のデータにとらわれて、結局ゆとり教育そのものの成果が出る前に打ち切ってしまったというところです。 まずフリーターらの増加は、ゆとり教育とは無関係です。今、ゆとり教育の開始時ともいえる時期にある人たちは、たしかに就職に入るあたりですが、ほとんどの本格的なゆとり教育を受けた子供たちは年齢が最大でも、中学生から高校生あたり。 第2に、フリーターらの増加は、経済産業省の雇用政策のせいであって、企業に非正規雇用のための規制緩和をしたからです。人件費がもちろんさがるので、企業は正社員を減らし、できるだけアウトソーシングでフリーターのワクを増加します。 あと若年犯罪の増加というのもかなり異論があります。いうほど増えていないというのが今の有力説。 常々言われているように、今の子供たちの目標喪失の理由は、 第1に、あまりに膨大な価値選択と将来選択の可能性を与えられて、あまりに無限の目標の洪水に押し流されている。わかりやすくいえば、あなたがたとえば、2個のお菓子から選ぶのは容易であるが、異なる100個のお菓子から1つだけ選んでごらんと言われるとパニックになるのに似ている。これは成熟社会にやむえない現代病です。 第2に、根本的に変わらない日本のテスト主義。日本の教育観念はきわめて誤っており、まずテストの成績があり、どのような大学に入るかが至上目的とされています。ですから、目標がないというよりも、実際は目標が間違っているのです。大学に入ると、突如自分のなかに何もないことに気づき、唖然とするということです。教育を通して世界を見て経験するということよりも、日本はあくまでテストの点数であって、いかに能率よく問題をこなせるかが重要となります。 第3に受動的な教育を受けつづけること。日本の教育は子供の主体性をほとんど無視しており、頭ごなしに知識をたたき込むだけ。子供の潜在能力を引き出すことをほとんどできていないのが現状。したがって、経験が不足し、自分の興味・関心がはっきりしてこない。 結論 1 ゆとり教育は真の意味でゆとりになっていなかった。根本的なテスト主義は変わっておらず、子供にゆとりを与えてはいなかった。 2 ゆとり教育とは、教師へのゆとりでもあるべきだった。無駄な監視や事務を課した結果、教師の過剰負担(私の知人は教師ですけど、ストレスでアル中です)がある。日本は教育予算が世界的にみても多いにもかかわらず、現場がこのあり様なのは異常きわまりない。間違いなく、どこかに無駄金が使われているだろうと推測される。 3 ゆとり教育は、実質上、教師に余裕を与えなかったがゆえに破綻していた。現場では、従来の「学活」でやっていた内容にとどまっており、われわれが望んだような総合学習をしていなかったところが多い。これはおそらくゆとり教育への反発がPTAなどからの圧力があった可能性も高いが、教師自身の余裕がないことの裏返しだった。総合学習とはいえ、もちろん本気でやろうとするなら、舞台設定には膨大な調査と検討を必要とするのであって、ただでさえ忙しい教師にそんな独創的で、すばらしい舞台がつくれる余裕などなかったのである。 4 そもそも学力低下説がほとんど嘘だという主張も少なくないです。たしかにOECDの習熟度調査を見ると、下がっているようで、よくよく考えて考慮すると、それほど変わってはいない。読解力に著しい低さが見られるが、これはもともとの国語力をつけようとしない日本の下手な国語の授業のせいである。改革すれば、数年後には相当にあがる。
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- cse_ri2
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No.1の方に賛成。 現場の教師が、ゆとり教育の理念を消化できず、すべてにおいて中途半端になったのが、失敗の主な原因でしょう。 教師の質を上げてるための工夫、問題教師を排除する仕組み、あるいは数を増やして質の低下を補うといった対策を施す必要があるかと思います。
一時期、格差社会の本がブームでしたが、その中で、国家の企図する格差拡大・身分固定のための政策の三本柱の一つが「教育」だったと思います。 センター試験で国公私大の一元的序列化を実現したので、後は良家の子女が確実に高い序列の大学へ行けて、貧乏人は低い序列の大学かあるいは大学に行けないという事を確実にすれば、「良い大学を出た人は優秀だから、楽な仕事・高い給料・良い福利、駄目大学やそれにも行けないカスはきつい仕事・安い給料・無い福利」という流れで、子々孫々まで格差がひっくり返される事はないとなる訳です。 その時にネックになるのが、「知る機会を与えてしまうと、どんなとんでもない教え方をしても、全容を理解する天才」が貧乏人の子弟の中にも必ず存在するという事実です。このような天才を含め、貧乏人の子弟が試験に勝てないための施策が「ゆとり教育」だったと思います。 ゆとり教育の入試では、学校で教える内容より広い範囲を試験で出題されることが許されていますよね。知らなければ試験問題は解けない訳ですから、学校以外で教えてもらわない限り入試には太刀打ち出来ないという訳です。ここで言う学校は公立校のことです。私立や国立は独自のカリキュラムが許されています。私立や国立に子弟を行かせられる或いは公立でも塾にやれる経済力が入試には必要ということです。子供に金をかける余裕のある家庭の子弟だけが良い大学に行けるという構造がこれで出来る訳です。 その証拠に「ゆとり教育」と言っても、小学校の子供達の帰宅時間は早くて午後四時であって、決して放課後に遊ぶ余裕はありません。親の世代より一時間は遅いのではないでしょうか。じゃあ、学校で何をやっているかと言えば、車いすの押し方の練習だったり、いろいろな店に行ってバイトの仕方を学んだり、学校の行事の準備・練習に費やしたりで、算数・国語・理科・社会の勉強は一日に3時間あれば良いという状態です。 今年四月に中学・高校受験を控えた小六と中三の公立校生を対象に、統一テストが行われました。文科省としては、「ゆとり教育」の目的としての学力低下と、入試に際して、どのような問題を出せば、公立校生を排除できるかを把握したと思います。10月の結果発表は、入試担当者には出題のための参考に充分間に合うと共に、受験者としては対策時間がとれないという絶妙のタイミングでした。 「ゆとり教育」は格差拡大という目的に対しては大成功だったと言えるでしょう。
- dai-ym
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「ゆとり教育」だろうが「詰込教育」だろうが暗記中心で受験のための教育をしている限り駄目だと思いますよ。 暗記も必要ですが、自由な発想力や自分の考えを発表する能力などさまざまな勉強をしていかないといけないのに、 そういう勉強はテストをして点数をつけにくいことから、 誰が採点しても点数の変わらない暗記中心の勉強になってしまう今の日本の教育の考えを変えないと、何も成長は無いでしょう。 それこそ、授業によっては別に点数をつける必要の無いこともで点数をつけないといけない今の教育制度を見直さないと、根本的な解決は無理だと思います。
- potkurin
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「ゆとり教育」 現状をみれば失敗だったと思います。 なぜ失敗したか。 それは現場の教師からすると、上から命令が降りてきたものの、何をしたらよいかをわかっていなかったことに起因します。 つまり、命令を出した人がかっちりモデルを作っているか、または現場の教師が「ゆとり教育」に足りない部分を補えるチカラがあれば成功したかもしれません。 つまり、誰もよくわかっていなかったから失敗、ということかと思います。 そもそも「ゆとり教育」なんて言ってても社会に出れば「結果主義」ですから。 「ゆとり教育」を受けた人は、ギャップに耐えなければならないので気の毒だと思います。 以上、御参考までに。
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お礼
大変論理的な回答で、なるほどと思いました。 大変参考になりました! 回答ありがとうございました^^*