囲碁のルールの欠陥について
私は現在の囲碁のルールには欠陥があるように思います。
たとえば、終局時の死活について、ネットで悪意のプレイヤーがでたらめな死活を主張するなどということが問題なっています。ここでも過去にそういう問題についての質問があったと思います。通常はマナーの問題と考えられているようですが、私個人的にはこういう考え方には違和感を覚えます。「ゲームのルールというものはプレイヤーの善意に依存してはいけない」と思うからです。
終局問題以外にも三劫の規定が「日本囲碁規約」(日本棋院、関西棋院の協力で1990年頃作られたルール)では、「双方の合意によって無勝負」にするとかかれていたはずです。なぜ、同一局面3回にしなかったのでしょうか? 相手の方が先に体力の問題などで先に対局続行不可能になるとわかれば、合意を拒否して三劫を延々と取りつづければ勝てるではありませんか。
将棋においては今から十数年前に千日手の規約が米長-谷川を契機にしてルールが改正されました。米長九段が千日手のルールの欠陥をついて勝利するという汚れ役を演じることによって初めてルールの改正になりました。そのときも欠陥は前から分かっていたのになぜ? という気がしたことを覚えています。
囲碁は国際化され世界のいろんな人が試合に出てくるようになると思いますが、なぜこのようなルールの欠陥が放置されているのでしょうか? 相手がルールの欠陥をついてきたとき、審判がルールによらないで超法規的な処置によってそういう相手に負けを宣告するのでしょうか? これはこれで国際試合だったりしたら大問題のように思いますが。