乞ふ」、「乞う」の過去形は?
用例1 内田百閒著「貧凍の記」
~事情を打ち明け、紹介を乞つた。
注)この作品は歴史的仮名遣いが随所に見られます。ただし、それで統一されているか否かは不明です。
用例2 添田唖蝉坊著「乞はない乞食」
かの見苦しい男は、けっして乞ふてはゐないのです。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000368/files/3222_16153.html
1 用例1で、「乞ふ」の過去形は「乞つた」でよいですか。聞き慣れないせいか耳目が素直に受け付けません。「乞つた」でよいとすれば用例2では「けっして乞つてはゐないのです」になる筈ではありませんか。
2 用例2の「乞ふて」は「乞ふ」の連用形のつもりではないですか。「乞ふ」の連用形は「乞ひ」でしょうから用例2では「乞ひてはゐない」にするのが妥当ではありませんか。また、音便が生じるというなら「乞つてはゐない」になりませんか。
それとも「乞ふては」は終止形に接続助詞「て」と係助詞「は」が接続していると考えるのですか。どうも、こちらみたいな気もします。
以上は理屈です。私自身の感覚では何故か「乞ふては」でも「乞ひては」でも素直に読めてしまい、「乞つては」には抵抗があります。どう書くのが妥当ですか。
3 用例1で現代仮名遣いだとどうなりますか。「紹介を乞った」でよいですか。不自然で認めにくいです。どうも、「乞う」には過去形がない(?)ので「頼んだ」とか「願った」とか類語で表現したくなります。
4 用例2で現代仮名遣いだとどうなりますか。「乞いてはいない」、「乞うてはいない」、「乞ってはいない」のどれが妥当ですか。
よろしくお願いします。
お礼
今日流に「ドウベイ」とか「ジュベイ」とか読んでおくのでしょうか。「膝の皿」を指す、よく知られた和語があれば、そう訓じるのかもしれませんが果たしてそんな用語が有りや無しや。どんな漢字を用いるかは明治時代には今日に比して個人の裁量に、より多く委ねられていたのでしょうから、ひょっとして単に「サラ」と読ませる積もりだったりして……。 ともかく誰もが承知しているべき用語とまでは言えない事だけは、はっきりしました。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。