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最古の広告は?

最近、Googleと広告について、あれこれ考えています。 ところで、日本には、一説に平賀源内考案と言われる「丑の日はウナギ」という、歴史的名コピーがあることを思い出しました。 そこで、広告の歴史についてネットで検索してみたところ、折込広告は江戸時代からあったことがわかりました(そういえば、落語に出てきますね)。 さて、質問ですが、江戸時代以前はどうでしょう? 日本の場合、市場経済の発生は近世以降と思うので、マーケットのない時代には広告もない理屈とは思います。 ただ、歴史というのは、マメに調べると思いがけないものがでてくることもあります。 「これは、広告と言ってもいいんじゃないの」というような事例が、近世より以前になにかあるでしょうか? ご存知の方、いらっしゃいましたらお願いいたします。 なお、主に日本の事として考えていますが、外国の事例がなにかありましたら、そちらも。

  • 歴史
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回答No.1

「これは、広告と言ってもいいんじゃないの」というような事例ということで、 真っ先に思いついたのは、「御師(おし)」が配る「神符」です。 御師は、神主ではなく、神主に仕える身分で 神社に祀られている神の霊験を広める一種の布教者だと言えます。 御師は、巡回する地域を分担して近隣諸国を回って神符を配り、この札はこのような霊験があるとか、有力者には参詣をすすめるとか、今風に言えば全国にPRする役目を負っていましたから、「広告・宣伝」のさきがけと言えるのではないでしょうか。 紙または木でできた神符には、神社の名前が書いてあります。 このような制度が室町期にあったことは明らかです。 立山、熊野、伊勢神宮などが「大手」ですが、播州姫路の広峰神社など「中小規模」の神社も御師の制度がありましたから、そうとう「競争」もあったに違いありません。 広告・宣伝の媒体を「紙」に限るのであれば、江戸時代後期ということになるのでしょうが、 紙の貴重な時代は、「口コミ」ということで、「御師」を思いつきました。 立山・芦峅寺 http://www2.ocn.ne.jp/~tomoya1/sub5.html 広峰神社 http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/rensai/200705aruku/01.html

himeuzi
質問者

お礼

回答、ありがとうございました。 「御師」というのは知りませんでした。 なるほど! 宗教がありましたか。 「社会」の本質的な側面のひとつは、(広い意味での)情報の伝達かもしれません。その仲立ちをする役割、またはそれを担う者が、つねに何かしら必要なのでしょう。 それを考えると、市場経済が成立する以前の社会であっても、「広告・宣伝」に相当するものが無かったはずはないと思えてきました。 それにしても、神社名や霊験を書いた紙や木を配ってまわるというのは、まさしく広告そのものという感じですね。 たいへんよいアドバイスを、ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • Ki4-U2
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回答No.2

広告批評の天野祐吉氏によれば、存在が確認されている最古の広告は、紀元前12・3世紀に栄えた古代エジプトの町・テーベの遺跡から発掘されたとされる、逃げた奴隷を賞金をかけて探すポスターだそうです。 (「もつと面白い廣告」ちくま文庫、「私説 広告五千年史」NHK人間大学1995年7~9月期テキスト ほか) (なお、上記の著書では、王の業績を刻む墓碑や、キリストや蓮如・日蓮の言行など、相当に幅広い「広告的手法をもつもの」までを視野に入れており、普通に言う広告については、上記古代エジプトのポスターを除くと、江戸期以降のものが触れられています。)

himeuzi
質問者

お礼

回答、ありがとうございました。 一気に紀元前12・3世紀まで遡ってしまいました(笑)。日本では縄文時代です。古代エジプトのピラミッド建設は失業対策だったという説までありますから、太刀打ちできませんね。天野祐吉氏の本は、さっそく探して読んでみたいと思います。 有益な情報、ありがとうございました。

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