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松尾芭蕉は衆道(男色)でしたか?
「悪党松雄芭蕉」(嵐山光三郎著)によれば、 芭蕉は衆道(男色)で、若い弟子たちと次々と関係をもっていたそうです。 「菊に出て奈良と難波は宵月夜」 では、 「菊は衆道を意味し、酒堂(弟子)にしか通じぬ暗号である」 とか、死の直前の歌仙での「月澄や狐こはがる児の供」に対して、 「児(ちご)とは男色の美少年である。宴席でいきなり衆道の句を詠む芭蕉のふてぶてしさを見よ」 と書いています。 衆道であることに手紙とか何か根拠があるのでしょうか? また寿貞は、夫と死別し子供をつれて芭蕉の妾となったが、 芭蕉の甥の桃印と駆け落ちした、としています。 本を売りたいがための持論なのでしょうか? よろしくお願いします。
- yoshinobu_09
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織田信長と森欄丸、武田信玄と寵童春日源助(高坂昌信)、上杉謙信と直江山城守兼継らは、紛れもなく同性愛の関係にありましたが、 松尾芭蕉が忍者とか、そのような関係にあったと云う文献はありません。 http://urano.org/kankou/topics/bashou/index.html なお、夏目漱石の「坊っちゃん」にも書かれていますが、明治の頃まで湯島天神界隈に「陰間(かげま)茶屋」があり、坊主がよく利用されたその方面の茶屋でした。
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- caesar-x2
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松尾芭蕉については全然知りませんが、 痔だったからアナルセックスの愛好者だったんだと 決め付けるのは、あまりに短絡的な暴論でしょう。 日本人の三人に一人は痔主といれれるほど 痔は日本人に多い病気です。 しかしこれは別に日本人がアナルセックスが 好きだからというわけでないのは、言うまでもありません。 痔の人がゲイだと考えるのは、偏見も偏見、酷すぎます。 さて、芸の道の人、あるいは仏門に入った人に、 ゲイが多いのは昔からですし、江戸時代には、 あるいはその時代からすでにというべきでしょうか、 性に開放的なところがあったので芭蕉がゲイでもバイセクシャルでも 特にどうということもないでしょう。 嵐山光三がそう書いてるならそれなりの根拠があるのかもしれません。確かに松尾芭蕉の肖像はゲイっぽいですし。 しかしそれをあえて”悪党”とタイトルを打っているのは ある種の皮肉というか、あなたのように歴史上の人物の 意外な実際の性生活を知って驚く人をからかうような感じの本ではないかと思います。 読んでないけど。 ま、歴史上の人物にゲイは意外と多いですし、 坂本竜馬も言ったようにどんな立派に見える人物も閨房の中では 威厳もくそもあったもんじゃないのです。人間とはそういういもの。
- Bakabomb55
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芭蕉は痔に悩んでいたそうですが、これによって芭蕉はアナルセックスの愛好者であったと推測できます。 したがって、芭蕉が衆道(男色)であったことは間違いないでしょう。
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