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満州事変以後の大陸への介入は正しかったでしょうか

満州事変以後、日本は在留邦人の保護を名目に辛亥革命以来混乱していた華北へ侵攻しました。そのやり方は大陸が余りに広いものだから都市と鉄道の確保に終止しました。そして傀儡政権を立てて日本がとりあえず確保した地域を統治しようとしましたが、その辺りで必要な師団、弾薬の補給という巨額な出費に対してどういう利益をえられるだろうと当時の陸軍に引きずられていた政府は考えていたのでしょう?当時はその地域はどんな産業があったわけでもないのに何故無理して戦い続けたのでしょうか? イギリスが香港、シンガポールを押さえて貿易の拠点にしたのは分かるのですが、ただ広い土地を取るために十何年も戦ったのはどうもよく分かりません。

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  • sudacyu
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回答No.15

 No.13です。参考までに。  組織論としての「組織の責任」の取り方について。  『個人の責任』については、頭がよく高学歴のエリートであるないにかかわらず、その人個人の覚悟において責任を取ることができます。  しかし、「組織の責任」をどう処置し考えるかは、政治経済の組織論においても、決定版は今のところ出てきておりません。  個人の場合、「他に与えた損害の弁済」とか、「自由の剥奪」や「生存の否定」による不利益を与えることで、その責任を取ったことにしますが、組織のような生物でないものの場合は「自由の剥奪」や「生存の否定」は機能しません。  まして、国の組織が国民全体にに不利益を与えた場合、資金の原資が国民の税金である以上、国民から税金を取って国民に弁済するという意味のない結果になってしまいます。 (付け加えるなら、組織の解体もそれが行政上必須のものであれば、名称は変わっても同じようなものが再度作られますし、作られないなら、元々必要性のない組織であったことになります。)  ですから、「国の組織が国民全体に対して犯した失敗について、国民はその責任を組織には要求したとしても実効性がない。」ことになります。  古くは国鉄の解体、近くは道路公団の解体。今後、社会保険庁は解体されるでしょうが、その問題の責任はきちんと取られたでしょうか。また取られると思われますか。  更に大きなものは、900兆円を越えようとする国の累積赤字。責任はどこに・・・・?  頭がよくエリートとして高給をもらっている政府の高級官僚は個人として色々考えておられるでしょうが、その結果として現れている実態は、結論を出すことの『先伸ばし』です。  状況判断の間違いで、中国大陸深く軍隊を送り込んだ結果、中国側は、「負けなければ勝ち」なのに対し、日本側は「勝たなければ負け」という、抗戦側の理論と侵攻側の理論のギャップにはまりこんだのは、前述の通りです。  戦闘を中止して撤退すれば『負け』という状況となり、撤退すれば『負け』の責任を誰かが取らなければならないため、結論の『先伸ばし』で戦い続けたのは、現在の『国の借金の歯止めの掛からない増加』と全く同じ構図です。  責任を取る覚悟のある個人が、政治決断することでしか、組織の限界を超えることは出来ないのかもしれません。(独裁制の影が見え隠れしますが・・・)  ベトナム戦争のように泥沼化した戦争の終結は、大統領が替わったことで出来たように(実際問題としては、イラク・アフガニスタンからも大統領が替わらないと撤退できないのでしょう。)、最長任期限定の選挙選出による独裁官をトップに据える政治体制が、組織全体の責任になるような決断をすることを、ある程度期待できる政治システムかもしれません。

その他の回答 (14)

  • teccrt
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回答No.4

第一次世界大戦が引き起こした戦争特需によって好景気に沸いていた日本は、世界大戦が1918年に終了後、一気に反動で不景気に陥りました。 また、1929年の世界恐慌によって、列強がブロック経済を加速して自国植民地に対して外国の輸入を締め出したことが、植民地の少ない日独伊と英米仏の対立を生んだとされています。 つまり、第一次世界大戦終了後に、南洋諸島までも取り込み、国際連盟の主要国にもなり、名実共にアジア唯一の列強となった日本ですが、そうした国際政治上での絶頂を迎えると同時に、経済的には苦しい状況を脱することができなかったことになります。 国も国民も苦しかったので、国民の目を逸らす、経済的需要を作り出して経済を持たせる、植民地を増やして日本製品の市場を確保する、といういくつものメリットを持つ点で、満州と中国大陸への進出は、政府も本音では支持していたのではないでしょうか?進出に反対するのであれば、政治家は、戦争による特需の代わりとなる需要の創出と仕事にあぶれる兵隊さんのために別の仕事を作り出さなければいけないわけですから。 それでも、軍部や農村部の不満を抑えきれずに511や226事件が起きてしまいますが、大陸進出をしなければ、日本全体が社会不安に陥っていたでしょう。それが、戦争よりましな結果をもたらしたかどうかは分かりませんが。

Tessa_x
質問者

お礼

当時の中国に日本の商品を独占的に買ってもらう経済力があったと思えないんです。それだけなら広い地域を無理して占領しようとしなくてもいいですよね。ですから、広い内陸を多くの兵士達の命と引き換えにしても取ろうとした発想がよく分からなかったんです。少し下にあるご意見の中の農民的な土地崇拝が根底にあるんじゃないかというのが正しい見方ではないでしょうか。 貴重なご意見をありがとうございました。

  • imp-dsc
  • ベストアンサー率25% (57/222)
回答No.3

日本が満州を押さえた理由は概ね以下の通りです。 1防衛上の理由 これは朝鮮半島と重なりますがWW1以前は帝政ロシア。以後はソ連から日本本土を護る為の空間としてです。例えば野球場が直径にして30m程小さかったらホームランが続出して面白くなくなるでしょ?戦争するにもある程度の空間の余裕を設ける事で防衛線を構築し侵攻を阻止または遅延する必要がある為です。 2人口&食料政策として 日本は明治以後人口が増える傾向にありました。大体、江戸時代までは三千万を下回る程度で経過していたのですが各種の技術や医療の向上。政策によって増えていきました。ちなみに戦争直後は一億総懺悔という言葉が流行りましたし今日では減少傾向にありますが一億二千万が住む国です。今ならば農業では農薬・品種改良・機械化によって以前よりも効率的に収穫量が見込めるし足りない分は自給率がグラつく位に輸入して補ってます。しかし当時では殆どが自給に頼ってる状態で養える人口の限度が今よりも低い水準にありました。それに対して政府は移民政策という形で南米・北米に送り出しましたが食料政策も念頭に入れて満州への移民も奨励したのです。 3資源確保 確かに満州には産業はありませんが日本よりも資源に恵まれた地域です。満州国の経営が軌道に乗ればそれらを開発する予定であり、既に鉄道を敷いてあり海路は短く輸送も楽ですからこれ程理想的な供給源は無いでしょう。 私が失敗だと考えるのは満州のみならずシナ本土への過剰な介入です。満州だけでも手に余るというのに更に広いシナ本土に手を出せばどうなるのか位は判断できなかったのか?と疑問です。多分軍部内の政治的な力学・・・派閥争いでしょうけどね。日本は本質的に海洋国家です。これは当時の兵器体系から見ても明らかです。 零戦・大和・機動部隊といった装備は60年以上経った今でもなおマニアやファンが居る位に興味深い兵器です。通常兵器体系というのは技術と資金。そして仮想敵国・戦闘教義・国家戦略を鑑みて開発や調達がなされます。陸軍で有名な装備といえば38式歩兵銃位と言って良い位に近代化されていません。まぁ匪賊討伐や一部を除いた装備・錬度が低いシナの軍隊相手ならば対応できたのでしょうけどね。 ちなみに日本を占領したマッカーサーはそれまでの日本が何故ああも大陸に執着したのかは朝鮮戦争で理解しました。当時の満州は中共。朝鮮北部は北朝鮮が押さえ日本には共産党の浸透が激しく半島が押さえられれば防衛戦略が破綻し朝鮮を護るには満州が必要だとね。これは善も悪も無く必要だと判断しただけの話です。 古代ギリシア人は 「戦争程儲からないものは無い。しかし戦争しなければ更に儲からない。」と言っています。これは今も昔も変らない現実です。

Tessa_x
質問者

お礼

有難うございます。私もそう感じます。

Tessa_x
質問者

補足

戦争は勝てば儲かる事もあるんですが、負ければ絶対儲からないし損をするんですよね。 反共の砦という発想はあったんでしょうが共産党につけいられそうな社会構造だったということに気がつくべきだったんだと思うんです。特権階級があり無産階級があり社会の富が特権階級に集中していた当時はまさにマルクスが階級闘争の原理を説いた頃のヨーロッパ各国とよく似ていたんです。現在の日本のように大きい収入はなくても欲しい物が苦も無く手に入る社会になると共産革命なんて誰も見向きもしなくなるでしょう。当時それに気がついて社会資本の充実、産業の振興、商品を消費してくれるマーケットの開拓を過度の軍備に費やす代わりにしていればわざわざ満州に出張って対ソ防衛を考えなくてもよかったんじゃないかなとつくづく考えさせられるんです。

  • musokunin
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回答No.2

  歴史上の國際政治、國内政治について、「正しい」とか「誤り」とかの判斷は、何を持つて言ふのでせうか。政治は結果責任を問ふといふ觀點から、我が國の大陸政策が敗戰に至つたといふことで、「誤り」であつたといへます。一方、大東亞戰爭の大義は、人類の理想乃至は我が國の理想、もしくは我が國の防衞を追求したもので、それ以前の大陸政策も同じ流れに沿ふものだといふことで、「正しかつた」と言へます。   それはさうとして、あなたの質問自身が、既に、あなたの望む答へを予想してゐるでせう。「在留邦人の保護を名目に侵攻」、「傀儡政権を立て」、「無理して戦い続けた」、「ただ広い土地を取るために十何年も戦った」といふ問ひかけが、全てを否定的に捕らへて、過去の大陸政策は誤りであつたとしてゐるやうです。

Tessa_x
質問者

お礼

明快なご指摘、ご意見感謝します。 これは私見ですが国益という点で見るとどう見ても誤りだったと思います。人的な出費、物質的な出費を見ても得るところがなかったじゃないですか。最終的には国土を焼かれて、無差別爆撃で非戦闘員まで殺されるに任せて何の大義ですか。世界恐慌以後の日本に出来た良さそうな選択肢は大陸戦線の拡大ではなく満州のみの防衛または撤退、独伊とではなく米英との連携です。アジア、太平洋地域と全く関わりの無い独伊と組んで米英を刺激するよりはずっとましだったはずです。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

はじめからちゃんとした計画があったわけではなく、ここを押さえれば相手も屈服するだろうといきあたりばったりなやり方をしたために長期間の戦争をせざるをえなかっただけです。 うまくゆかなくても、いまさら大きな成果を得られないままでやめるわけにもいかず、その決断をできる人(リーダー)もいませんでした。

Tessa_x
質問者

お礼

止めると自分が非難されるという理由だったんでしょうかね。帝大出や陸大出のエリート達が実は国のことを考えていなかったってことでしょうかね。 ありがとうございました。

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