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その時歴史は動いた!ナチスのソ連侵攻

ナチスドイツのソ連侵攻は、常識では考えられない行動だと思います。 ナチスのソ連侵攻の歴史的意味合いを考えて見たいので・・・ もし、ナチスがソ連に侵攻していなかったら、その後の歴史はどう変わったと考えられるでしょうか? ご自由にご想像し、ご回答ください なるべく説得力のある説をお願い致します。

  • 歴史
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  • cse_ri2
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回答No.2

西部戦線でフランスを降伏させた後、ドイツはイギリス本土 上陸を目指しますが、イギリス本土の制空権がどうしても 取れず、英国本土上陸をあきらめざるをえなくなります。 この後、ヒトラーはソ連に侵攻するのですが、私は戦略的 な理由で対ソ戦を開始したというよりも、ヒトラーとナチスの 思想的な理由で戦いを始めたのではないかと考えています。 参考『ドイツがソ連を攻めた理由』    http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=151661   ですので、ドイツのソ連侵攻は必然的ではなかったかと思う のですが、ソ連侵攻をしなかったというifの歴史を考察して みます。 ソ連と戦わないとすると必然的にイギリスが相手になるかと 思うのですが、空軍力を強化して再び「バトル・オブ・ブリテン」 を挑み、ドーバー海峡と英国本土の制空権確保を目指す、 また、北アフリカのロンメル軍団の兵力を増強し、エジプトから さらには中東まで勢力圏を広げるというシナリオが考えられます。 「バトル・オブ・ブリテン」を再開しても英国空軍を打倒 できたかどうかは難しいですが、イギリスも空軍力につい てはかなり消耗していましたので、ゲーリングに代わる有能な 空軍司令官を抜擢できれば(個人的にどの人物が該当する かは情報不足のため不明)、消耗戦に引きずり込んで辛勝 することが出来たかもしれません。 北アフリカ戦線については、戦力さえ増強すれば勝利は疑い なしですね。ロンメル将軍は戦力的に劣勢の中で、チェニジア からリビア、さらにエジプトまで攻め込んでいたのですから、 独ソ戦に投入した兵力の一部を割くだけで十分勝利できた でしょう。 ただし、もともとヒトラーはイギリスを打倒する構想を持って おらず、ゲルマン民族優越主義と反共主義からソ連の征服 を考えていたので、やはり独ソ戦は必然ではなかったかと 私は考えています。

参考URL:
http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=151661
toyoh99
質問者

お礼

ありがとうございます ナチスがソ連を攻めた理由がわかったような気がします

その他の回答 (2)

  • ooops
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回答No.3

他の方々とほぼ同じ回答になりますが、もしドイツがソ連侵攻をせずにいたら? 当面は、連合国側にとっては大きな脅威となっていたでしょう。 もう少し強力な条約をソ連と結べていれば、英国攻略も背後の脅威を気にせず、 じっくりと行えていたのではないでしょうか。 (個人的には、制空権を取っていたとしても英国の粘り強さ、我慢強さを考えると 上陸・占領はなかなか難しかったのでは?と考えますが。) それでも、ドイツの英国占領後にソ連のドイツ侵攻!も考えられます。 また、当時の世界的な嫌共情勢を考えても、どのみちやはりドイツ・ソ連の 対決は避けられなかったと思われます。

toyoh99
質問者

お礼

ありがとうございます やはり独ソ戦は避けられないのですね

  • Singollo
  • ベストアンサー率28% (834/2935)
回答No.1

ソ連軍が中東へ南下し、独軍と共に英軍を北アフリカで挟撃粉砕 英軍は本土決戦に備え海外兵力を順次召還 手薄になったインドシナ『保護』のため米軍が進駐 一方であまりにもソ連軍がベルリンに近いため、独軍はやはり英本土上陸作戦を断念 『生存圏』拡大のため結局独軍は対ソ戦へ ソ連軍が南方へ兵を割いていたため、冬将軍の到来前にモスクワ陥落 ソ連軍がシベリアへ押し込められた状態で、日本軍が対ソ戦、対米戦のいずれを優先したかは(米側の挑発にも関らず)微妙なところだと思います

toyoh99
質問者

お礼

やはり独ソ戦は避けられませんか・・・ 鋭い予測ありがとうございます

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