参考までに
質問者さんもご存知の通り、ジョン・ロックはイギリスの経験論者です。彼は物質と知識の関係を経験にあると説きました。人間は外的な感覚/sensationを通して、内的なreflection(ごめんさない、日本語の訳がわかりません。これはロックを読む上でのキーワードです(専門用語だと思うので、普通の訳ではないように思えます))と比較し一致を求めます。そしてそこにある物体が何であるのか理解すると述べています。また人間の認識と観念を考慮する上で人間の”思考”を考えると思います。それはロックによれば tabula rasa (white paper)白紙のようなモノとしています。ちょっとここでロックを引用しますね。※ 僕は日本語のテキストを持っていません。意訳するので英文と異なると思います。
All ideas come from sensation or reflection... Let us then suppose the mind to be, as we say, white paper, void of all characters, without any ideas… Whence comes it by that vast store which the busy and boundless fancy of man has painted on it with an almost endless variety? Whence has it all the materials of reason and knowledge? To this I answer, in one word, from experience; in that all our knowledge is founded; and from that it ultimately derives itself. Our observation employed either, about external sensible objects, or about the internal operations of our minds perceived and reflected on by ourselves, is that which supplies our understandings with all the materials of thinking (Locke, 1961, p.77)
私たちの認識/観念は感覚とreflectionによる。思考が何であるか考えてみる時、それは単なる認識/概念を含まない空虚な特徴を持つ白紙にすぎないだろう。(中略)思考はどこから物質に関する知識と理性を抽出するのか? それは一言で言えば”経験”に他ならないだろう。(中略)私たちの観察眼は外的な感覚しうる物体か、または内的による自分たち自身の知覚と反映を利用している。またそれら物質による概念/知覚と伴に私たちの理解力は補ぎなわれているのであろう。※つたない和訳で申し訳ありません。
ここでロックは白紙というキーワードを使っていますが、これは私たち人間が生まれた時、認識と知識は単なる何も書いていない白紙状態であり、外的な感覚/経験により内的な物体に対する概念を作り上げて行くことだと(書き込んでいく)ロックは言っているんだと思います。そして経験で得られた概念を二つにロックは分類してます。"all of our ideas―simple(単純) or complex(複雑)―are ultimately derived (抽出) from experience" こうして内的に創られた概念(reflection)と外的な感覚の一致により人間は物体を理解しているとロックは言っているわけです。
ロックは外的な感覚、そして経験を通して物体を認識することに根拠をおいているのですから、これがロックが”唯物論者”である根拠に繋がるのではないのでしょうか。つまりロックは最初に物質ありきで考え、経験による人間の認識と知識を考察しているのですから。しかしこの考えには大きな疑問が残るんですけどね。
※かなり大雑把な説明になってしまっていると思いますが、もし質問者さんに時間があるのでしたら An Essay Concerning Human Understanding. Ed. Roger Woolhouse. New York: Penguin Books の日本語訳に目を通してみるのもいいと思います。
参考まででした
補足
昔、ロックは唯物論者であると習った記憶があったのですが、最近考え直してみて「非物質的な霊魂を認めるのに唯物論者はおかしいのでは」と思ったのです。どうやら唯物論者とはいえないようですね。