出羽神社(羽黒山神社)の歴史について
出羽三山への旅行を計画しています。
全くの無知なので、ちょっと予備知識をと思ってネットで色々学習しているのですが、いろいろな表現で書かれていたり、どっちが本当なのと疑問を感ずるような記述もあったりでもやもやしています。
何せ飛鳥時代までさかのぼるようですので曖昧な部分も多々あるかとは思いますが、とりあえず出羽神社(羽黒山神社)の歴史について自分なりに次のように整理してみました。
1 蜂子皇子が、まず羽黒山に神(出羽神社の初め)を祀り、修験道場を開いた。続いて月山や湯殿山を開く。
2 平安時代には入り密教(真言宗)の影響を受けて神仏習合が進む。
3 江戸初期に寂光寺となり天台宗の寺となる。
4 明治の廃仏毀釈で寂光寺大金堂は三神合祭殿(出羽三山神社)
となり、寂光寺は廃止。
というふうに現時点では理解しているのですが、これ良いのかどうか、確認ないしは訂正いただけたらありがたいのですが、よろしくお願いします。
お礼
ありがとうございます!!