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プラトンとアリストテレスについて
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「無謀」と「臆病」の中庸は「勇気」、「虚栄」と「卑屈」の中庸は「自尊心 (名誉)」という事で… :アリストテレスは『ニコマコス』の中で、中庸について述べますが、その際 「徳」を何とするかも述べられます。「徳」を知恵としたプラトンに対し、彼は 徳を「状態」と説くのですが、それによって「中庸」という言葉の意味が生まれ てきます。ですから、「勇気」も「名誉」もそれが中庸にある「状態」を徳と するようです。 「正義」「友愛」の両極端はあるのでしょうか… :先にも書きましたが、アリストテレスは人間に限定して哲学しています ので、最高善を「幸福」とまず説きます。その基で徳は「中」の状態である 事を説きますが、「正義」に対しては「不正義」という事で、これは説明 されますし、「友愛(親愛)」については、「機嫌取り」と「不愉快」な人 の中庸として紹介されます。「中」の状態に必ずしも呼び名が備わる訳では ないと述べられますが、「友愛(親愛)」に関しては、そう呼べると述べら れます。
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- eidos
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及ばずながら、書いてみます。こういった事で良いのかどうか分かりませんが 取りあえずという事でさわりまでに。 プラトンは「魂」について、自らを動かす力(意思)と定義し、全ての生物に 宿り、それ自体は永久不滅なイデアであるとした。そして魂には、三つの部分が あると考え、それらを「理性」「気概」「欲望」としたが、それらがより善くあ る為にはそれぞれに善き徳が備わらなければならないと考えた。 それらの徳とは、理性については「知恵」、気概については「勇気」、欲望に ついては「節制」がそれだとするが、それぞれがばらばらに存在するのではなく、 全体として調和している時、更に第四の徳「正義」が成り立つとした。 これら四つを四元徳と呼ぶと思うけど、アリストテレスはプラトンのイデア論 に対し、対象を人間に特定して、魂に相当する部分を「形相(エイドス)」、肉 体に相当する部分を「質料(ヒューレー)」と再定義し、徳を二種類に分けた。 それが、「理性的徳」と「習性的徳」で、前者は理論的な徳であって、「観想」 によって得られるとした。これが、プラトンの言う「知恵」の徳。 次に「習性的徳」は実践によって得られるとしたが、どのような実践かという と、プラトンの言う残りの徳(「勇気」「節制」「正義」)に「友愛」を加えた四 徳をあげて、「善き状態」を説いたプラトンに対し、アリストテレスは善悪の「中 庸」を述べた。
お礼
回答ありがとうございます。よくわかりました。まさに知りたい事を答えてくださいました。 なるほど。知恵が理性的徳で、残りが習性的徳なのですね。アリストテレスはプラトンの四元徳を増やしたのですね。 習性的徳とは、「勇気」「節制」「正義」に「友愛」を加えた四徳だと答えてくださいましたが、よく、教科書や資料集を見ると、中庸についてのいくつかの例が載っています。(「無謀」と「臆病」の中庸は「勇気」、「虚栄」と「卑屈」の中庸は「自尊心」など)これらは徳ではないのでしょうか。 また、「正義」「友愛」の両極端はあるのでしょうか。 もしよろしければ、そこら辺のことも教えていただきたいと思います。 質問が大まかすぎたかなと、少し落ち込んでいたので、回答を下さって大変うれしかったです。ありがとうございました。
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お礼
重ね重ね、ありがとうございます。 なるほど。よくわかりました。プラトンとアリストテレスの徳の違いは、徳の解釈の違いなのですね。教科書によっては、「中庸の徳」などと書いてあって、「よくわからないなぁ」と思っていたのですが、なるほど、「状態の徳」なのですね。そう考えると、いろいろなことが納得できると思います。 本当にありがとうございました。