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太平洋戦争はやっぱり無謀?

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回答No.4

無謀です。 明治維新を戦った世代が無くなった後、実践よりも精神論を重視するようになってしまいました。 維新の時には最新の武器の導入合戦と言われるほどで、最新の銃火器・戦艦を購入し相手に有利にするよう勤めました。 武士の時代であったに関わらず、刀よりも銃火器が大事と考え方の一大転換をやってみせたのです。 この時の内戦は、官軍・旧幕軍ともに植民地化されないように、如何に日本という国をまとめるかを考え、集結までも短い期間で行われ、武器の購入はあっても双方ともに武力支援を諸外国に願っていません。 維新を最前線で戦ったメンバーが日清・日露で指導者として戦ったため、戦争の本質を身をもってわかっており、最適な戦術・戦略を取ることが可能でした。 日本海海戦で日本連合艦隊の司令長官であった東郷平八郎も、維新の時に戦艦春日にて、蝦夷共和国軍の戦艦と戦い、土方歳三の乗っていた戦艦に唯一砲弾を命中させたときの砲術士官として活躍しています。 これが太平洋戦争の時期には、昭和初期9年には東郷も死んでおり、維新の生き残りは居なくなった状態になっています。 東郷もそうですし、明治の初期には大量の官費留学生を送り出し、最新の技術・軍事を身に着けていましたが、日露に勝ったあたりから慢心を覚え、日本は強いと自惚れ、武器の進化を怠りました。 日露の時代であれば、戦艦こそ戦争の中心でありましたがその後世界では飛行機による攻撃が勝敗を左右してくるようになりました。 零戦などはありましたが、大和・武蔵などの時勢から見れば過去の遺物ともいえるようなものを造ったりと、世界の情勢でさえ出来なくなっていました。 確かに無謀とも言える戦線の張り方でもありましたが、これも単に情勢の把握能力のなさの表れです。 兵站なくとも気合いと精神力でと突っ走ってしまったのが行けません。 また軍も真珠湾攻撃時には明治維新より70年以上も経過し、官僚化してしまっていて、優秀な人材を指導者に出来なくなってしまってたという問題もあります。 歴史にもしはありえませんが、維新の主力が生き残っていたとしたなら、戦争を回避する術を選んだか、空軍の増強に励み、武器で負けないようにしたのではないでしょうか。 ちなみに満洲事変より来年で63年目、明治から満州事変までも63年です。 現在の日本の官僚組織が腐ってきているのも、軍の官僚化による暴走と重なるものがあるように思えませんか? 憲法の改正の動きも時期的に必然なのかもしれないと最近よく思います。

noname#37982
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 日露以前には合理的且つ冷静な状況分析ができた指導者がいたのに、自惚れとも言える大国意識から時勢が読めなくなってしまったのですね。 大艦巨砲主義を最後まで引きずったのも、ある種、古きものや慣例を大事にする日本人の国民性かもしれませんね。

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