• 締切済み

自分だけは死なないと思っていました。

30代独身男性です。子供の時から自分は死なないと思っていました。しかし、父親や身内が亡くなり、死を身近に感じ始めてからは自分もいつかは死ぬんだなあと思い始めました。最近では毎日「死」を意識する瞬間が多く、死ぬために生きているような感じです。日々の死への意識や考えで頭の中がいっぱいです。できることなら死を意識せず毎日を楽しく生活したいです。どうしたらいいのでしょうか?

みんなの回答

  • puccini
  • ベストアンサー率38% (126/330)
回答No.9

先日心筋梗塞を患い病院へ救急車で搬送中に心臓停止になりました。死というものは何時襲ってくるかわかりません。救急隊の心臓マッサージを試みましたが心臓の鼓動は戻りませんでした。病院についてから電気ショックにより心臓が鼓動するようになりました。 心臓が止まるとき自分である程度分かります。死後のでかいも似てきました。きれいなお花畑がありました。でも私には生きたいという心を持っておりましたので、家族の呼びかけで必死の思い出死後の世界から戻ることが出来ました。死ぬことを考える前に、前向きにこれからどうやって生きていくかをまずさきに考えなくてはいけないのではないですか。死ぬのは簡単です。でも人生の中で生きていられることが一番幸せだと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kei3999
  • ベストアンサー率39% (39/100)
回答No.8

「死」に恐れを抱くのは自然のことかもしれません。 でも、 突然に「死」が訪れても悔いのないような 「生」き方をしていれば恐れも少なくなるの ではないかと思います。 「死」が怖いのではなく 悔いを残して「死」を迎えるのが怖いのだと思います。 残した「物」に「人」に「仕事」に、などなど ならば、 「生」あるうちに、 手にしたい「物」を手にし・・・ 接したい「人」にたくさん接して・・ 出来うる「仕事」をして・・ 悔いのない人生を送れば、 「死」の恐れも小さくなると思っています。 あれもしてやろう・・これもしてやろう・・ いつ死ぬかもわからないしと思うと 結構、毎日楽しいですよ。 したいこと全部しちゃったら、「死」なんて怖くないかな? 勝手な私見ですので、参考にならなかったらごめんなさい。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kokoro34
  • ベストアンサー率12% (1/8)
回答No.7

私も時々死について考えます。 生きている限り、誰にでも「死」はやってきます。 だから、結構自分が死ぬことについて考えるのは嫌だと思う人も多いかもしれません。 でも誰にでも死がやってくることには変わりないので「死」を知ることも大切なことと思います。 死を身近に感じる体験をして、 死について考え込んでしまうというのはよくある事だし、 これは余談ですが…、 志賀 直哉の小説「城の崎にて」でも、 自分が電車に跳ね飛ばされたものの、助かったという体験を通して、 また、小動物や昆虫が自然に、あるいは人によって故意に・不意に殺されて死んでいく姿を通して「死」について考えています。 でも、考えすぎるのはよくないと思いますよ。 死に向かって生きているけれども、 生きているこの命は ただ、死ぬためだけに与えられたものではないはずです。 「死」を意識していても、誰にでもあることだけども、 でも「死」はいつくるかなんて誰にもわからない。 もしかしたらもっともっと先のことかも知れないのに、 この大切な一瞬一瞬に、今しか出来ないことをせずに いつくるかわからない「死」で頭をいっぱいにしてしまうのは もったいないと思います。 いつかこの命も終わってしまうからこそ、 だったら楽しく生きたいです・・ だからkyoronさんには楽しく笑っていてほしいです!!          * * * 趣味を見つけて気分転換にでも何か初めてみてはどうですか? あと!映画をみることは私としてはスゴク、オススメです!!(^O^)/ 人生は30代からです!!ここから楽しくなるんだと思います。 こんなこといってますが、 私とkyoronさんとは○○歳も(歳隠してるし…・笑) 歳の差があって、私は人生経験とか少ないから言える立場ではないのですが…(^O^;)ごめんなさいm(_ _)m 参考になれば幸いです。

kyoron
質問者

お礼

ありがとうございます。今生きているこの瞬間を楽しく過ごしていきたいと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • nyozegamon
  • ベストアンサー率45% (895/1969)
回答No.6

肉体が死んでも、生命は不滅です。 生命の辞書に「死」という言葉はありません。 「生きること」が、生命の本質であるからです。 >死を意識せず毎日を楽しく生活したいです。 >どうしたらいいのでしょうか? 死を意識せずにはいられませんね。 それならば、死を意識しつつ、楽しく有意義な生活を模索した方がいいでしょう。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • acacia7
  • ベストアンサー率26% (381/1447)
回答No.5

個人的な見解ですので、鵜のみにしないでいただきたいのですが・・ まず、「死ぬために生きている」のは然程間違いではないと僕も思います。 ただし、そうそう、死の瞬間はわかりませんし、 特に、「死ぬ」ことを能動的にする必要はないので、 「いつ死んでも良い様に生きる」事を目指すべきなのだと思います。 死後の事は良くわからないですが、皆さん同じように死後を迎えるので、 特に心配することもないとは思います。 というより、心配して、するだけ無駄でしょう。 といっても、「今、死んでしまえば不安を抱えつづけるよりマシだ」という 超短絡的な結論は浅はかな面もあり、 万が一、生きづらい状態で生き延びてしまった場合なんかを考えると 現状のもっとも、生きやすい状態で生活した場合の方が楽そうです。 ということで、一番考えて意味のあるのは、 情報が得やすい「現状」からの「将来予測」ですから、 自分が生き延びた時に、どうすれば、自分の目的に合致するかでしょう。 ・・・・なんてことを「余命10年」とか「5年生存率50%」とかいう タイムリミットを眼前に最近考えてます。

kyoron
質問者

お礼

最近おくやみの欄など60歳で亡くなったとの記事を見ると自分の人生は残り30年なんだなーと他人に置き換えて考えてしまいます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.4

死について考えるのは特別なことではないと思います。 毎日考えていますが、だから楽しい日々が送れないということはないです。 いままでに、ペットの死とか、親類以外の人の死は経験ありますか? 初めての経験が身近な人の死だとショックが大きいのかも知れません。 子どもの時に自分は死なないと思うのは、子ども特有の感覚です。万能感と いうのでしょうか?大人になってそれが無くなるのも異常なことではないと 思います。

kyoron
質問者

お礼

自分が大人になったという証ですね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.3

 私も子供の頃は、あなたと同様に死というものとは自分とは無縁だと思い込んでいました。そして、自分や愛する肉親がいずれは死ぬということを考えるだけで、胸が苦しくて、絶対に死にたくない、死んでほしくないと思っていたものでした。死んでしまうということは、この世の中から消えてなくなること、そんなことは想像するだけでも恐ろしかったことを憶えています。(確か幼稚園か小学生の頃)  でもたった今あなたの質問を拝見して、前述のような死への恐れや意識が私自信の中で知らない間に薄らいでほとんど消えていたのを知りました。  これはなぜなのか、なぜ恐ろしいと思わなくなっていたのか。私自身の勝手な分析なので一般的でないかもしれませんが、これは私がまだまだ短い人生経験の中において少しずつ身内や知人の死と直面するにつれて、それまで知識としてのみであった死が徐々に現実のものとして実感できるようになったためだと考えます。いずれは私も死にゆく運命なのだなあ、と自覚できるようになったのだと思います。そして、人は死んでもその人が確かに存在していたということ、つまりその人との思い出を残された人々の心の中にずっと大事にしまっておくことこそが大事なのだと考えられるようになりました。  確かに死ぬのは嫌ですし、ずっとずっと生きていたいと思うのは殆どの人の永遠の願いなのでしょう。事実、歴史上に不老不死の薬を求めた暗君がどれほどいたことでしょう。でも、考えてみてください。もしもすべての人が死なないとしたら、世の中どうなるのか?きっと生きていることにうんざりしてしまうに違いありません。限られた時間があるからこそ、今を大切にしようだとか、もっと上を目指したいだとか、向上心が生まれるのではないのでしょうか。  実はつい先日に、私の祖父が亡くなりました。92歳でした。悲しかったですが、お葬式のときは身内同士和気藹々と祖父の思い出話に花が咲きました。自分も死ぬときはこうありたいですね。最期までできるだけ迷惑をかけずに、そして惜しまれつつしかもお疲れ様、みたいな感じで。祖父も最期のほうは、早く死にたいと念仏ばかり唱えていたそうです。90まで生きるとそう思えるのでしょうか?  話がそれてしまいましたが、結局言いたいことは、いつ死んでもいいといったら言い過ぎですが、仮に明日死んだとしても今日一日の自分の行いは後悔しないものだった、と考えて生きることが大切なのではないでしょうか。死への恐れは誰しも忘れることはできないものだと私は考えます。逆に、限りある人生だからこそ、もっと輝きたいと思えるのではないでしょうか。要は考え方の視点を変えてみることだと思います。

kyoron
質問者

お礼

死を現実のものと認識できたことは自分が大人になったのだという証拠だと思います。毎日を有意義に過ごしていきたいと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.2

だれでも生あるものは死にます。 それは仕方がないことです。 でも死は別に怖いことじゃあありません。 死は古くなった肉体を脱ぎ捨て、新しい世界に誕生するときに だれでも経験する壁みたいなものです。 Kyoronさんは、「死ぬ為にいきてるみたいなものです・・」などと書かれて いましたが、それは違います。 生きるということは、死ぬその直前まで自分を磨き、内在する魂を向上させて、 あの世での幸せな生活を送る準備することなんです。  肉体生命は長くてもぜいぜい100年、人生なんてあっという間です。  そして、死を迎えた肉体は消滅しますが、その魂は何千年も生き続けます。  その魂は生前、あの世や魂の存在を信じなかったり、悪想念を抱いて生活してい た人の魂は、残念ながらあの世でもどんどん下降して苦しむことになります。 逆に、生前あの世を信じ、日々魂の清浄化と向上に努めたひとの魂は、死など少しも怖くなく、現界生活も幸福で、死後も当然そのレベルに応じた幸せな生活をおくれます。 魂の存在やあの世を信じないひとにはまるで信じられないかもしれませんが・・      

kyoron
質問者

お礼

魂の存在については私は全く知識がありません。まず魂についてそれが存在するのかを含めて勉強したいと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.1

今私自身も同じ状態ですね。 やっぱり親も死ぬんですよね、当たり前だけど。 死ぬために生きてるって文中にありますけど、 あながち間違ってもいないんじゃないのかなぁ。 死ぬためじゃあないけど、 死に向かって生きてることには違いないですよね。 毎日「死」を意識する瞬間を感じてるって、 具体的にどんな時なんでしょうね? 失礼かもしれませんがとても興味ありますね。 こういう状態なら、逆に「死」について 考える良い機会なのではないですか? 楽しく生活したい、という気持ちがあるのなら とても前向きな状態だと思いますし。

kyoron
質問者

お礼

死について考えることは決して悪いことではないですね。これを機会にもっと死について考えてみたいと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 自分に考えがない。

    20代男性です。 最近、ものすごく悩んでいます。 自分の考えの無さにとても悩んでいます。 これについてどう思おう?と聞かれても何も浮かんできません。 よく、いろんなことに興味を持つ事が良いと本で読み、色々なことにチャレンジしましたが、 それでも考えが浮かびません。やはり頭が悪いのでしょうか? 学生の頃は、テストの点数は比較的良いのですが、実習等になるとめっきり点数が悪くなってしまうんです。ただ単に記憶力が良いだけで、そこに自分の考えなど無いのだと思います。 最近では、周りの人が頭の中でどのような事を日々考えているのか、どのように考えているのかとても気になります。 何か考えが浮かぶ方法はないでしょうか?

  • これからの生活について(長文です)

    昨年2人目(男の子)が産まれ毎日の成長を楽しんでいたのですが、今年の4月に原因不明の死を遂げました。 病院で原因がわからないこともあって司法解剖までされました。(それでも原因はわからず、乳幼児突然死症候群の部類に入るのかもしれないと言われました) まだ上の子供もいるので普通の生活に戻っていますが、下の子が死んでしまったのは自分のせいだと毎日考えています。 何故なら夫を巻き込んでオンラインゲームをしていた事で不規則な生活になりがちだった事があるからです。 司法解剖の結果待ちの時にそれを知っていた私の父親からこんな事を言われました。 「お前らが○○を殺したんだぞ。旦那にはこんな事言えないが、お前だから言うんだ」 自分もずっとそう思っていた事もあり、父親からそう言われた瞬間に吹っ切れて、気付いたら道路に向かって走っていました。(夫に止められて気付きました) それから何を言われても「自分が殺したんだ」と言う事が頭から離れず、原因不明だと両親も知って「お前のせいじゃないんだよ」と言いますが、どんな事を言われてももう考えが変わりません。毎日こんな事を考えているのも嫌で、家出して誰にも知られず一人で過ごそうかと考えた事もありました。(上の子供がいるのでそれは思い留まりました) カウンセラーでも受けたらどうかと夫に言われた事もあるのですが、もう人と接する事も身内でもない人に細かく事情を説明するのも嫌なのです。(単なる我儘でしかないのかもしれませんが) 今後自分はどのように生活していけばいいのか悩んでしまい、少しでもいい方法があればとこちらに投稿させていただきました。 ※最初に子供を見つけた時点で夫に「お前がちゃんとベビーベットに寝せておかなかったからだ!」と言われた事、夫に「自分が殺したと思ってるんでしょ?」と言っても否定もされず黙られてしまう事なども考えが変わらない原因でもあります。

  • 自分が怖いです

    高3です。 最近、おかしくなりそうで怖いです。 もちろんしたことは無いですし自殺願望も無いですが、自分の手首をざくっと切る情景が頭に出てきたり、生々しい感覚が手に残ったりします。 毎日じゃないのですが、突然なるんです。 その感覚が一度出てくるとキッチンに行くのが怖くなりますし、手首をズボンにこすってないと不安になります。 暫くは消えないので頭が落ち着きません。 表面(表情や行動)は平静でいられるのでたいしたことは無いと思いますが…。 それから身内が身内を殺したり、目の前で知らない人が殺されるような夢を見たりして(たまにですが)、そういった情景も思い出すとなかなか頭から離れなくなったりします。 殺された瞬間目が覚めるのではなくその後も生々しい情景を見てから目が覚めるので気分が悪くなります。 前に死体がいくつも転がっている場所で知らない男の人に「ここに転がってる奴らも俺が殺ったんだ」と言われながらバットでお腹を思い切り押さえつけられて、息ができずお腹も凄く痛くて死ぬ寸前のところで目が覚めるという夢を見ました。 その時生理でお腹の激痛も(布団に潜っていたので)息苦しいのも実際にあったのでそれが原因だと分かっていますが、思い出すと怖くなります。 他にも嫌なことがあったりすると頭の中で(知らない人相手ですが)蹴ったり殴ったり殺したりします。 嫌いな人がいるわけではありません。 自分の頭の中がコントロールできないです。 (説明しにくいですが)頭の中で考えたくないことが頭に出てきたりして自分と言い争いをしているみたいです。 文章がグチャグチャですが、このような不安が出てくると自分が無意識のうちに人を殺してしまったり、手首を切って自殺したり、なんらかの犯罪を犯してしまうのではないかと思ってしまいます。 毎日ではないですが、考え始めるとゾクゾクするんです。 もともと極度の心配性なので、考えすぎと言われればそうなのかもしれないですが…。 文章が分かりにくくてすみません。 この不安はどうすれば取り除けるでしょうか…。

  • 自分の劣等感は、他人はそんなに見ていない?

    僕は 自分の劣等感は、自分が意識している程他人は見ていない。 他人も他人自身の劣等感や、そのほかいろいろなことに頭がいっぱいだから。 というような考えなんですが、みなさんはそうですか?

  • いつか自分が体験するであろう死について

    死がどんなものなのか興味があります。 「死とは何かについての問答」の回答No.11、urigadai2013さんの回答がすばらしいと思いました。 明快で非常に興味深く、なるほどと感銘を受けました。 哲学的に考えるとそうなるのだろうと思います。 urigadai2013さんの回答では生物的死と意識の死が指摘されていました。他人が死ぬ時はそれを生物的死として観察し、自分の死については意識の死ということになると思います。 例えば、Aさん、Bさん、自分の3人の死を考える時、Aさん、Bさんの死は自分からみて生物的死であり、自分の死は自分からみて意識の死であり大違いです。 ですがBさんからみた場合はAさんの死と自分の死は同じように生物的死です。そして同じようにAさんの死はAさんにとっては意識の死です。 各人に生物的死と意識の死が存在すると考えます。 意識がなぜ発生するか?それは脳が活動しているからです。脳が停止する時、あるいは休む時、意識は消えます。 意識の死に似たものがないか考えてみるとそれは夜、深く眠っている時です。少なくともその時、意識は消えています。 死とはこの意識の中断が無限に続くものだと思います。 意識が消えているという点において、死も深い睡眠も同一もしくはきわめて類似した状態に思えます。 つまり、私たちは毎晩、意識の死のようなものを体験していると思います。 ・・・と考えてみました。そこでおたずねします。 この考えについて蓋然性が低い箇所がありましたらご指摘ください。 「この他に○○という可能性があるかもしれない」というものの中で、蓋然性が高く考慮するべきものがありましたら教えてください。

  • 「自分の考え」「自分の性格」にかなり悩んでいます。

    こんにちは。 毎日平凡な暮らしをしている20代前半の独身男性です。 今日は皆さんのお知恵を借りようと思いまして、投稿致しました。 実は…「自分の考え」「自分の性格」にかなり困っています。 毎日お金の事しか頭になく、両親にも「世の中お金だ」とか言ってしまったり ほかにも、過去に1度だけ女性から「付き合って下さい」と言われたのですが私は「そういう感情は微塵もない」と言って断ってしまいました。 私にも心の中では女性を好きになるって感情はある(多分)と思うのですが…、なぜか自分の頭の中の考えでは「そういう感情を持つな!」という命令(指示)を体全体に下されるんです。 だから、今まで一度も女性とお付き合いをしたことがありません。 将来的には、結婚して子供を作って両親に孫の姿を見せてあげないといけないような感じがするのですが やはり私の頭の中では「そういう感情を持つな!」という命令が体全体に下されるんです…(汗) ほかにも、寝る前になるとよく「自分は何のために生きてるんだ」なんて事を考えながら目を閉じたりします。 ここまでが「自分の考え」での悩みです。 ここからが「自分の性格」での悩みです。 自分の性格は、「束縛を嫌う」「自由を愛する」「飽き性」「めんどくさがりや」を全部混ぜた性格ですね(汗) 何をしてもすぐに飽きてしまったり、一つの物事に縛られるのが嫌で、何か起こったら必ず最初に「金」の事が頭の中に浮かびます。 あと、私はほかの人と同じような道(人生)を辿るのが嫌いです。 毎日平凡な暮らしをしていて、何も起きないこの暮らしに嫌気がさしてきたりもします。 ここまでが私の全ての悩みです。総合するとかなり重症ですよね(笑) もしよろしければ、辛口でもいいのでズバズバっと私に言ってくれませんか? よろしく御願いします。

  • すっきりしない

    自分は強迫性障害なのでしょうか? 最近ずっと頭の中に考えが浮かんできて、それが消えません。一日中ある感じです。 その考えが→死にたくないのに、自殺、死の事がよぎる。自分は何なのか、人間とは何なのか、それを考えだすと、人類とは?と壮大な所まで行きます。あとこうゆう風に考える症状を調べ出して、自分は鬱なのか、強迫性障害なのか不安障害なのかなどそれが次乗っかかります。それでそれの対処などを見出すと、次にその対処方を意識し出してそのことで、頭がいっぱいになります。 常に頭の中に考えがある感じです。これはどれに当てはまりますか?あと対処とゆうか意識する事などのアドバイスお願いします。

  • 私の自殺についての自論に反論してください

    半年前に大病をわずらい 現在 一時退院の身です 基本もちろん死にたくありません 生きていたいのですが 難病にかかり 毎日 ベットから少しも動けないような激痛にかかっていました 現在は少しやわらいだものの それでもまだ日常生活には支障をきたすほど痛いです 毎日ずっと痛いです そうなってから私の自殺に対する考え方が変わってきました 健康な人の死というのは 愛する日常 、子供と遊んだり 恋人とすごしたり おいしいもの食べたり、を失うことだが 私のような 病人の死というものは くるしみからの解放である つまり死ぬことが自分の幸せとなっている 人間はやりたいことをやるために生まれてきた 、と私は ずっと考えていて 今やりたいこと というのはどう考えてもこのくるしみから解放されること 自殺しかないとおもっている  ずっと点滴でご飯 も食べれず 、男なのに体重が30キロ台になってしまった 私にまだ生きろと言うのかと、、、 今 私の頭の中はこういう考えなのだがやはり生きたい生きたいとは思っている  誰か私のこの意見を理論的にロンパして 私の考えをアップデートしてほしい 生きて行く方向の考えで 私の頭の中を一杯にしてほしいです  よろしくお願いします

  • いつ死んでもいいと思う自分

    40代の兼業主婦です。 20歳.19歳.12歳の娘がおり.小さい事は色々ありながらも毎日過ぎています。 パートですが、ミスが重なったりする事もあり小さい事でクヨクヨします。 いつも明るくて優しい人と言われますが、それは表向きで家では常に疲れています。 主人はゲーム依存ですが、それを悪いと思ってる所もあるのか元来なのか優しさを日々感じられます。 こう書き連ねていくと、何故?と思われそうですが、自分が長生きしたいと全く思えないでいます。 子供達の将来は楽しみではありますが、今突然に死が訪れたとしても、あぁそうかと思います。 どうしてこう言う風に思ってしまうんでしょうか? 仕事を変えて半年、完璧な同僚と比べて出来ない自分に情け無くお腹を痛めてる毎日から来ているんでしょうか? 気持ちの切り替え方、前向きな生き方を教えて頂きたいです。 よろしくお願い致します。

  • 親に愛されているのかわかりません。

     私の家は父子家庭です。小学5年生の時に両親が離婚し、父親の元で生活することになりました。離婚の原因は母親の借金が理由です。母親とは音信不通です。今、私は大学生になろうとしています。  片親になってから一度も褒められたことがありません。毎日のように怒られる日々が続いています。認められようと勉強して結果を出したりしても当たり前のような顔をします。家事についても父親の負担が軽くなるように洗濯や掃除などもしていますが、当然だと言われさらに罵られます。料理に関しては苦手であまり上手にできないのですが、それでもやるように努力しています。ただ、作ったとしても父親はダメだししかせず、アドバイスもしません。父親に質問しても自分で考えろとしか言われません。父親は家事全般を完璧にこなせます。家事のすべてを私には教えず、見て覚えろの一点張り。できなければ「こんなのもできないのか」と怒られます。  そして毎日のように「母親のところに行け」 「お前がいなければ俺は自由なのに」 「家を出ていけ」 「欠落した人間」などと怒鳴られる日々です。  父親が私のことを思ってこういうことを言っているにしてはキツ過ぎます。一人暮らしをしようにも奨学金とバイト代だけでは生活することは厳しく、大学のお金だけで手いっぱいです。なので家から出ることはできないです。父親からの愛情や優しさがわかりません。毎日貶される日々で精神的にもいっぱいいっぱいになっています。 私はどうするべきでしょうか?