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”殺意”が有った・無しはどうやって決定されているのか?

nonkunの回答

  • nonkun
  • ベストアンサー率27% (98/357)
回答No.5

現状の刑についてはすでに意見がたくさん出ているので他のことを。 私も死刑等の極刑より、生きて罪を償わした方が良いと考えます。 手足を飛ばしたら、やった奴の手を取ってしまったら、そいつの世話で税金が使われるのは嫌です。人を殺した奴を簡単に殺してあげてはいけないと思うし。 #愉快犯等、殺すことが目的の犯人は除く。 ハンムラビ法典の第一条 『もしある人を死刑に値すると告訴して、これを立証し得ないときは、告訴した者を死刑に処す』 犯罪を犯した者以外にも全てに波及しますよ?まるでアメリカの訴訟社会を更に極端にしたみたいで私はイヤだ。

kimball
質問者

補足

回答、ありがとうございます。 ハンムラビ法典のことは、ちと余計でした。 回答としては、殺意の決定だけに限って、法的原理?、技術的原理と いうことでお願いします。 つまり、小生が一番心配というか疑心暗鬼なのは、殺意なんてものを うまくいいくるめることができるシステムになっているんじゃないの ということなんです。わが国の、加害者弁護団が決まって無罪を主張する をみていると!! ちがいますかあ? >専門化の方

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