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小学校で、音楽や図工や体育の時間があるのはなぜですか

小学校で、音楽や図工や体育の時間があるのはなぜですか。 それらの時間を、国語や算数に費やせば、子供の学力低下を防止できるのではないでしょうか。

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  • tomas55
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回答No.21

結論を言うと、音楽、図工、体育は必要です。 ●まずは、そもそも「学力」が何かについて確認したいと思います。 apoddgykさんは、「学力」を単なる「読み・書き・ソロバン」といった、いわゆるぺーパーテストで計れるものと認識されていませんか? 率直にいって、それは違います。 現在、学校教育で身につけさせなければいけないものとして『生きる力』というのが公的に文部科学省から打ち出されています。『生きる力』とは「確かな学力」「豊かな人間性」「健康・体力」の3つの総称です。 このうち「確かな学力」とは、「知識・技能に加え、学ぶ意欲や、自分で課題を見つけ、自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力など」と定義されています。「学力」とは、国語や算数など、「読み・書き・ソロバン」といったペーパーテストでは測れない、もっと深い能力を指すのです。  戦後から高度経済成長期までは、物的な発展の必要性にあいまって労働力の大量生産を要し、まずは読み書きそろばんが必要だった。しかしある程度成熟した現在の日本では、与えられた課題を公式に当てはめて解いていくことよりも、自ら問題を見つけ創造していく資質が必要になったのです。そして当然、徳育といった「心」「体」の調和した健全な育成が必要となっています。ですからまず、子どもたちに身につけさせるべき「学力」は、ペーパーテストで計れるような「読み・書き・ソロバン」だけでなく、人としての本質的な資質や能力であるという認識をされるべきでしょう。 (偏差値ばかり高くても、人を見下したり、犯罪を犯すような間違った人間の例はいくらでもあります。) ●図工を例にとって 体育は、身につけるべき『生きる力』のうちの「健康・体力」に直結するので、説明する必要もないでしょうからここでは割愛させていただきます。図工を例に挙げるので、音楽もそれに照らしてお考えください。 (1)わが国での図工は、明治5年から名前を変えたりしながらも残っています。明治期には、必要がなければなくなるはずですが、必要であるから残っているわけです。 (2)実は歴史的にみると、算数・国語などの主要科目よりも、芸術科目のほうが大切であると唱えた教育学者さえいます。人が豊かに生きるためには、当然「読み・書き・ソロバン」だけでは足りない。美しいものに感動したり、物事の本質をとらえたり、物事の善悪の判断をしたり。そういった心の教育(情操教育)として、美術・芸術科目の重要性はこれまでに叫ばれてきました。アメリカでは以前、apoddgykさんのような「芸術科目は不要ではないか」という意見から、中等教育で美術をカリキュラムからなくした州があったそうです。しかし子ども達が荒れて風紀が乱れ、果ては犯罪や問題行動も増加しました。ひょっとして、と美術を復活させると、また子どもたちは落ち着きを取り戻したそうです。芸術科目と子供の情操の深いつながりを感じさせる好例です。 (2)子どもは、自分の存在や思いを表現したり、人に伝えたい、感情を吐き出したい、という欲求を持っています。図工は、算数や国語と異なり、決まった一つの答えがないために「自分なり」の思いや考えを表現し、答えを探すことのできる科目です。また、このように作品など学習成果の違いから、子ども一人ひとりの個性を認め合うことは大切なことです。いじめなどの問題は、異質なものを排斥する姿勢から生まれる傾向がありますが、「一人ひとり異なるからこそ素晴らしい」ことが顕著に現れるのが図工など芸術科目です。 (3)図工など実技科目で習得できる資質や能力は、算数や国語たいった科目に匹敵するも劣らない重要性があります。まさに、机上では得ることのできない学習事項が多分に存在します。  まず図工の中で学習する知識や技能も大切です。例えば、カッター、のこぎり、金づちなど用具の使い方。ちょっと生活の中で不便を見つけたときに自分で手直しができる。生活を豊かにする「生きる力」です。ものが便利になったことも関係していると思いますが、これまでの日本教育の中で実技科目の時間数が減るにつれ、現在の日本人は過去数十年間で、身体とりわけ手先の微細運動能力が下がった(簡単に言うと不器用になった)というデータが実際にあります。科学技術が補完してくれる部分もあるかもしれませんが、できないよりは、できることが多いほうが豊かに生きられると思いませんか。  また図工で表現活動する中で、子どもはどう表そうか考えをめぐらせ、創意工夫をし、困難を乗り越えたり、困難を克服する喜びを味わっていきます。まさに「確かな学力」でいう、、「知識・技能に加え、学ぶ意欲や、自分で課題を見つけ、自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」ですね。  そして美しいもの・そうでないものに感動したり、自分ならではの価値観を築いたりすることも算数や国語ではなかなか得られない経験です。  国際社会となった現代では、異文化理解ということも重要視されていますが、芸術科目は正に、時刻と他国の文化に触れ、相対的にとらえるきっかけとなりうる科目です。  図工、美術は、実は専門家でなくても生活の中で誰もが強くかかわっている分野なんですよ。たとえばプレゼントに旦那花を買おうか、あの人ならこの色がいいかな、と考えること。携帯電話を買う時に、どのデザインにしようかな、と考えること。今日何着て行こうかな、と組み合わせを考えること。こういった感覚は、やはり芸術科目の中でトレーニングできるのです。 ●どのような先生に出会い、どのような授業を受けているかによっても、授業の必要性の感じ方は異なってくるかもしれません。しかし、学力がそもそも何であるかを考えるとき、私達が考える以上に、それぞれの教科によって学ぶことは異なりますし、それぞれの教科から学べることは多いのです。ぜひ人間性を豊かにする、人格の完成という教育の本質に立ち返って、、「読み・書き・ソロバン」以上に何を学んでどう生きる子どもを育てるべきかということを考え直していただきたいです。

その他の回答 (20)

  • supobobu
  • ベストアンサー率0% (0/7)
回答No.20

私は小5の女子です 私は音楽、図工、体育の授業は嫌いです でもだからそれを無くして国語や算数に使っても だめだと思います 私がお母さんに質問者さんと同じような事を言ったら 「それを無くしたら塾と同じになっちゃうでしょ。  学校がある意味がなくなっちゃうじゃない。」 と言われました 今でも「私は音大に行くわけじゃないのに     なんでこんな勉強しなきゃいけないのだろう」 と思ってます でも最初から授業がなかったら音楽の才能や芸術の才能などに 気づくことができないのではないでしょうか それに国語や算数の授業を増やしたからといって 勉強をしない子はしないし 余計にやる気が無くなる子もいるかもしれません それにこんな質問をする理由は あなたがただこの授業が嫌いなだけなんじゃないですか?? 失礼だったらすみません

  • desent33
  • ベストアンサー率5% (2/35)
回答No.19

逆に私は音楽 図工 体育を増やしてほしいです、特に体育で逆上がり跳び箱などでできた自信をつけさせたいのです最近の子は刃物の使い方が下手ですよね 十数年前に比べて身長は伸びたのに体力が落ちていると聞きます もっと図工 体育に力を入れた授業でもいいと思います(小学校のうちは)

  • snowing
  • ベストアンサー率14% (1/7)
回答No.18

なぜ音楽や図工、体育の時間があるのか。 理由は簡単です。 子どもたちに「好きな教科は?」と聞いてみて下さい。 この3教科を答える子が大半を占めるはず。 楽しい、学びたい、すごい…と子どもたちの心を成長させるのがこの3教科です。 知識を増やすことも大切ですが、感じる心を育て、想像力を働かせて生きることはもっと大切だと思います。 だからこの3教科があるのです。 私は今、教育現場の最前線で働いています。 子どもたちを毎日見ていて、確かに学力低下は気になっています。 けれど、実技教科を減らしても、学力低下の防止にはなりません。 むしろ、子どもたちの心の成長を阻むことにより、学習への意欲も低下して逆効果になるのではないかと思います。

回答No.17

こんにちは。 >もし最初から無かったとしたら、教育関係者は、音楽や図工や体育という「新科目」を新たに作ろうとするでしょうか。 というご質問者さまの4番さんへのお礼 欄を見て、思い出しました。 ちょうど先週、NHKの「クローズアップ現代」で見たのですが、今、世界の産業界では、「デザイン」に着目した物作りを目指しているそうです。 ナンバーポータビリティ導入後、auが一人がちしているのも、携帯電話や広告の「デザイン力」に要因があると分析されているようです。 (かくいう私も、デザインに惹かれて3年前からauユーザーです) イギリスや韓国では、国内産業をデザイン力で勝ち抜こうと言う国家戦略がすでに始まっているそうです。 学校の「図工・美術」の時間に、「デザイン」という考え方を取り入れた教育を始めたそうです。 算数や国語だけでない能力も、国の将来に必要だと言う好例だと思います。 (最近の韓国製品はデザインもよくて割安で、日本もうかうかしていられませんね) それから、音楽について。 音楽の楽譜を思い浮かべてください。 五線譜を左から右に、「時間」の経過(リズム)があり、5本の線を使って音の高さを表しています。 リズムには、4分の4や、8分の6、3分の3などあり、音符の並び方を良く見てリズムを理解するのは、「算数・数学」の分数と似ています。 音の高低も、1度、3度などと言い表し、耳で聞いた音の高さの微妙な「度数」を表現しているんです。 私は趣味でアマチュアのオーケストラでバイオリンを弾いているのですが、音楽家に「理系」の人が多いのをご存知ですか? 数学科や医科に進んでから、音楽の道に進んだ偉大な音楽家が世界中にたくさんいます。 楽譜の「勉強」でなくても、音楽を聴き、歌い、演奏する事は、今注目されている「脳を鍛える」上で大切なものがたくさんあると思います。そして、できるだけ「若い」脳で体験させる事が重要だと思います。 日本の小学校で週に1回ずつでも平等に機会を与えてもらえることはとても良い事だと断言できます!

  • konntya
  • ベストアンサー率20% (8/39)
回答No.16

小学校の音楽や図工や体育の免許はありません。小学校の免許は全教科を教えると言う免許です。したがってそれがなくなることによって失業する人が出ることはありません。専科制を取っている学校でもそれは同じです。学力は読み書き計算だけではなく考えたり想像したりする力も必要です。それは国語や算数だけでは身につきません。学力の低下は、与えられた問題を解くという受身の姿勢が招いている部分もあるのではないでしょうか。教師の力不足の人がいることも事実ですが優れた人もいます。また、授業をしたくても、それ以前に夜更かしをしていて日中ボーっとしているなど、生活リズムなどを整えてあげることに力を注がねばならないなど、昔はなかった、家庭が躾けていたことを学校が負うことによって学校本来の機能が果たせなくなってきている面もあると思います。小学校はいろいろな面で自分の得意分野苦手な分野を知って生きていくための力をつけていく基礎作りの場であると思います。図工・音楽・体育でなければ絶対いけないかというとそれは違うものでもいいかと思いますが、机上だけではなく五感を生かす体験は成長していく上で心にも健康にもとても大切なことではないでしょうか。

回答No.15

体育、音楽、図工などがなくならないのは、それらの免許を取得した教員が行き場を無くってしまうからではないと思います。 特に、apoddgykさんの書かれている小学校では殊更。理由は他の方が書かれているので省略します。 豊かな心、感性を育てる為には5教科だけでは不十分だと考えます。 人間は一人では生きていけません。人と人とのつながり、コミュニケーション、人間性は音楽や体育で学べても算数では学びきれません。 学力重視であれば、塾のみで良いのではないでしょうか。今の格差社会の中では不可能です・・・・。 義務教育は何故あるのでしょうか。考えてみてください。 あなたのように学力向上のことだけを考える方も大勢いらっしゃいますが、それだけが本当に子どもにとって良いことなのでしょうか。 もっと子どもの立場になって考えてみて下さい。

回答No.14

私の知っているある国では、音楽・図工・家庭科・水泳などを小学校で教えません。家庭科は親が教え、水泳は友達と川で泳ぐ中で覚え、音楽や図工はその国の文化故に生活していくなかで自然に学びます。あと兵役での訓練も。 日本では、親が両方とも働いていたり、川で泳いではいけなかったり、道端で音楽が聴ける場所がないなど、学校以外の場所で学べる場所が非常に少ないので、学校が授業として「接する機会を設けてやる」ことが必要なのではないでしょうか。 芸術の授業の目的は、歌が上手いとか、絵が上手いとか、そんなことは実はどうだっていいのです。 必要なのは、そういう世界があるのだと、どの子も「知る」ことです。 あと、効率がいいからです。 毎日毎時間、国語と算数だけやるよりも、音楽や図工・体育などをはさみながらやった方が、国語や算数にも集中力が増します。 一日だらだら勉強するより、1時間くらいちょっとジョギングしてからまた勉強した方が効率よかったりしますよね、子どもだって同じなのですよ。

  • Karinpapa
  • ベストアンサー率41% (136/324)
回答No.13

学力低下の理由は、授業数の減少だけではなく、様々な社会的環境的要因が絡み合っています。従って時数を増やしたからといって解決するという簡単なものではありません。それに小学生では体育等は子供たちにとって貴重な息抜きの時間でもあります。国語や算数ばかりやってても、集中力なんて続かないでしょう。 義務教育における技能教科は、その子供たちの才能を大きく伸ばすようなものではありませんが、そのきっかけ作りに大変重要です。別の現行の教科で全てを網羅しているわけではありませんが、全体的総合的な人格形成、人間育成を行うのにバランスが取れた教科として選ばれたということでしょう。  なお、そういうものは総合的な学習の時間にやったらどうか、という意見がありましたが、総合的な学習の時間の「ねらい」はご存じですか?学習指導要領の総則など読んでいただけるとすぐわかりますが、総合的な学習の時間の目的は、知識や芸術的感性を高めること自体に目標が置かれていません。詰め込み教育の反動として生まれたこの教科は、それらの知識をいかに生活、人生に役立てるか、途中でわからないことが出てきたらどう解決するか、そういった能力の獲得を主眼に置いているものですので、体育や図工を単純に置き換えるわけにはいきません。

回答No.12

言わんとしていることは分かりますが、大人になって一番必要なのは、保健体育と家庭科。人生を豊かにしてくれるのは芸術であると思いませんか。

  • escotte
  • ベストアンサー率54% (20/37)
回答No.11

学力の低下の問題についてですが… 塾と学校の問題は、すでに数十年前から問題になっていました。 それは将来の就職戦線を見越した受験戦争に端を発し、塾に通う児童 とそうでない児童の学力格差を招きました。 しかし、受験戦争の過熱は止まず、はては学校を休ませてまで家庭教師 や塾の授業を受けさせる、という親まで現れ、それではと学校側も 受験用の授業内容を採用し始めました。 結果、児童たちは閉塞感に苦しめられ、こんどは「ゆとり教育」が 叫ばれるようになり、授業数を減らしたり、教科書の内容の簡素化が 行われるようになったのです。 学力低下を招いたのは、他でもない、その場限りの対応ばかりしてきた 身勝手な社会と、他でもない親たちなのです。 単に、数学と国語の授業数を増やせばいいというものではありません。 教育制度を根本から見直さなければならないのです。 小学校は本来の機能を取り戻さなくてはなりません。 学校は塾ではないのです。子供に社会生活の基礎を学ばせ、情操を 豊かにさせる場所でもあるのです。 それと関連して、教員の質の低下も忘れてはなりません。 昔の小学校の教員は、本当に子供が好きな人が多かったものです。 今は、「成績の良い子しか可愛いと思えない」などと発言する教員 がいる始末です。たとえコマ数を増やしたところで、そんな先生の 授業に、誰が身を入れて取り組めるでしょうか。 学力の向上を含む教育の質の問題は、授業のコマ数を増やしただけで は、解決をみるとは思えません。

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